愚行権の話(人間は法を守るべきか、それとも法を侵すべきか)

最近インターネットで炎上するネタ、
と言いますと人間の愚行が、
映像として流されて、
それを袋叩きにする、
そういった事が多く観られます。

そんな中インターネットの世界では、
「道徳自警団」の呼び名のように、
必要以上に小さな愚行に対して、
多くの人間によって袋叩きにする、
その様な現象が現れてきています。

この様に、
現代は愚行というものを、
許さない世界、社会になってきているのです。

そして今回この様な事をなぜ書こうか、
そう考えたキッカケになったのが、
あるバイク店YouTuberの、
80年代90年代バイクブームの批判動画でした。

最近私は普通二輪免許をとりまして、
もうすぐ大型二輪免許を取りに行く予定、
さらに250ccのバイクも購入しまして、
もうすぐ納車の予定です。

そんな状況ですので、
バイクのYouTubeをかなり観ていて、
その80年代90年代バイクブームの、
批判的な動画を見た訳です。

この頃は峠のコーナーを、
膝をすって攻めるという、
他人に迷惑をかけ、
大変危険な愚行が流行していました。

確かに誰がみても、
危ない愚行であるのは間違いないし、
社会的に言えば、
やってはいけない、
または法律を違反している行為なのです。

しかし日本の現状をみても理解できますが、
日本人の頭の中は思い込みが進みすぎ、
言い換えると「洗脳」されすぎている。

例えば私たち市民が持っている憲法、
それを元に作られる法律、
そう言った私たちがより豊かに生きる、
また社会を成立させるためのものが、
ある種「神格化」されている。

憲法も法律も、
所詮私たち人間が作ったものです。
そして人間が作ったものに、
「完璧」なものはありません。

さらに「憲法」だから、
「法律」だから、
絶対に善であるとは言えません。

例えば独裁国家の独裁者が作った、
憲法や法律が、
独裁者の為に作られたものだったら、
それは市民にとって善であると言えるでしょうか?

そして日本の様な国でも、
憲法や法律は時代と相対的であり、
時代とともにその合理性は無くなる事が、
多々あります。

ですから憲法や法律は常に更新されていくべきなのです。

そして憲法や法律というのは、
ある一定の基準を示しているだけであり、
グレーの部分が全てに存在します。

つまり私たちは、
憲法や法律を臨機応変に使う、
それが民主主義における市民なはずです。

今の日本は、
ある意味独裁国家です。
憲法という神格化された、
憲法独裁国家、法律独裁国家なのです。

例えば、
もしあなたの命が奪われそうな時、
助かるには法律を憲法を逸脱しなければなりません、
そんな時私なら、
当たり前に法律や憲法を違反して、
自分の命を守るでしょう。

しかし今の日本人のほとんどは、
法律や憲法を守って「死んで」しまうのです。

皆さんはそんな事無いよ、
というかもしれませんが、
実際に社会ではこれと似た様な事が起こっています。

それが過労死です。
僕の記憶に残っているのは、
東大卒で電通に入社して過労死した女性、
ある種彼女には、
法律や憲法を違反して、
自分の命を守るという選択ができなかった。
むしろ法律や憲法でも無い、
「社会の目」からすら、
彼女は逸脱できず、
死を選んだ訳です。

結論、
「私から言えば法律や憲法なんか侵せ」です。

それも社会や世界にバレない様にwww
正々堂々犯罪をするのは本当の馬鹿ですからね。

人間の本質というのはとても面白いもので、
社会というものを作り、
ルールを守るという本能と。
それを逸脱して新しい社会を創造する、
ルールを破るという本能が、
同時に二つ存在している訳です。

この様な二律背反の存在こそ、
「人間らしい」のです。

なぜならそれこそが、
「人間のリビドー」だからです。

ですから、
先に記述したバイクのYouTuberや、
インターネットの道徳自警団などは、
本当の意味で、
「自分自身」と向かい合えていないのです。

そもそも「人間」とは「愚行」をする存在です。
だからこそ、
人間の根本的権利として「愚行権」があるのです。

あなた自身が「愚行」を認められない行為こそが、
本当の意味で一番の「愚行」なのだと考えています。

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