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チョヒヨッチョ チョヒヨッチョ、ピヒヨッピ ピヒヨッピ、 テンスケテンテテスクテン、

祖父の代から住んでた駅の南の驚神社の近くが区画整理で道路になるっていうんで、そんならもう駅の近くへ行っちゃおう、ってこっちへ来たんですよね。昭和43(1968)年1月23日まだ21歳でしたね。緑区元石川町字大坪っていう所でしたが、翌年に美しが丘になったんです。同じ場所ですけどね。いや何しろ生まれたのが港北区で途中で緑区になって青葉区になって。

好きな場所はありますよ。自宅が好きです。家族が好きです。たまプラーザで7人家族ってあんまりないと思うんですよね。私たち夫婦、息子夫婦と、孫3人。街の中でどこがいい?って言ったらやっぱ自宅かな、って言おうとしてたんですけど、人が好きかもしれない。人が好きなのかもしんないねえ。いや、お囃子が好きなのかな?お囃子が好きだし子どもたちが好きなのかもしんない。

実はいま、コロナでいろいろ休んでるんですけど地元の祭囃子をやってるんですよ。昭和50年、1975年からずーっとやっていて、コロナの前までは、水曜日は驚神社の近くの宮元自治会館で地元の人たちと、木曜日は荏田地区で、週に2回、出張指導みたいな感じでお稽古をしてたんですよ。私は笛と太鼓。踊りはやんなかったけど。お囃子は祖父もやってたし、父もやってたし、息子ふたりはやんなかったんですけど孫3人もやってます。

演奏するのは5人ですね。笛が1本で、大太鼓がひとつ、締め太鼓が上と下。あと、鉦というカネ。

チャンチキチチャチャチキチ、って。

5人でやるから五人囃子っていうですけど、でも、ひな祭りの五人囃子とは違うんですよね。ひな祭りのは謡があったり、鼓があったりするんですけど、祭囃子はまるっきり庶民のもので、太鼓が3つの笛が1本。踊りがあるときは踊りに合わせるんですけど、踊りがないときの囃子は笛がピッとやれば太鼓がトンといくんですよね。真ん中の太鼓の真打(上バチ)が、笛の音を拾いながら叩くと、流れ(下バチ)がそれに合わせる。

トンツクトトスクトトスクトコトン、とか。

だから真打がしっかりしてればほかの太鼓は子どもでも大丈夫。でも小学生でもうまいのがいるんですよね、ええ。学校の勉強よりも一生懸命やるようなのがいてね。一番速かった子は、1月の最後の水曜日にお稽古を始めて、4月の2日の伊勢社にもう叩いたんですよ。2カ月ちょっとでもう舞台に上がったんですよね、すごいです。ちょうどあれが、4年生ぐらいだったから、習い始めるのは4年生ぐらいが一番吸収するのかな、というふうに思いますね。あと面白いのがいますよ、ひょうきんなのが。正月のひょっとこ踊りなんか、まさかこの子が、ってのがすごく面白かったりして、もう笛が吹けなくなっちゃうくらい笑っちゃう。

うちは宮元囃子連。驚神社の近くです。お囃子が好きな子どもたちが、他の友達を誘ってきたりして増えてきて、いま、会員は50人弱ですね。うちのお囃子は、多分明治ぐらいからやってるんでしょうね。山車が昭和9年という山車ですから、山車を作る前にもうだいぶやってるでしょう。1716年から1736年の間、享保年間に、香取大神宮の神職が祭囃子というものを創作したって言われてるんですよ。それがきっと150年ぐらいかかってこちらへ来た。羽田の方から多摩川を上がって来たのか、大山街道を来たのか、あるいは鶴見川を上がって、早渕川を上がって来たのか。うちのお囃子は、ちょっとルーツがわからないんですけどね、等々力とか用賀の囃子にも似てるし、茅ヶ崎とか山田とか、あの辺のお囃子にも似ている。昔は、川を利用し舟が運搬の手段だったので、舟で米やなにかを運んだりで船頭さんが来たとか、嫁さんに来たとか婿さんに来たとか、そういう人がお囃子を教えたんじゃないかな。美しが丘の平川神社の囃子は昭和48(1973)年ぐらいには途絶えてたんですけど、それを保木、今の美しが丘西の人が平川に教えた。で、その保木のお囃子に似てるのは、菅生とか平とか、川崎のお囃子なんですよね、ちょっと速いし、威勢が良い。だから平川神社のお囃子とうちの方のお囃子とちょっと違ったりとかね。どうもその保木というのは、船を作る木のことを言うみたいですね。新しい人たちはホギと読んで、ホウギとは読まないって言うんですけど、元々の地名ですから、その様に読んで欲しいですね。

お囃子って楽譜には落とせないんですよ。だからこういう風に書いて教えてですね、あとは自分で練習するようにって言ってます。この赤いのが笛の音色、この黒いのが太鼓なんですが。

チョヒヨッチョ チョヒヨッチョ、
ピヒヨッピ ピヒヨッピ、 
テンスケテンテテスクテン、

これを覚えてきなさい、って渡すんですけど、それでいながら、ちょっと矛盾してますが、マニュアル通りやっちゃ駄目だよって、こう言ってるんですよ。マニュアル通りやっても上手くはならないよ、って。人のを見て、自分でも研究してやっていかなきゃ駄目だよって。なんていうんだろうなあ、何しろ、お囃子を好きになんなきゃ覚えられないよ、っていうのを教えてる。うんと好きになりなさい、って。

インタビュー:2020年 夏

このおはなしは2020年No.007号に収録されています。

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昭和のニュータウンの温故知新。
住民のまちづくりの努力の蓄積と街の成り立ちを共有したい。

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企画・文: 谷山恭子
写真:小池美咲

編集・校正: 谷山恭子・藤井本子・伏見学・街のはなし実行委員会

発刊:街のはなし実行委員会

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