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アメリカではおかしな質問

「ハーフですか?」

私は、覚えている限りでも小学生の頃から、そして、それこそ日本からアメリカへ移住する直前まで「ハーフですか?」と聞かれることがたびたびありました。街中で突然、外国人に呼び止められ「ナンベインノヒトデスカ?」と聞かれたり、同じく街中で、ご年配のおばさまに呼び止められ「沖縄の子?沖縄の子?」と嬉しそうに聞かれたことも。きれいなフィリピン人のおねえさんに「あなたもフィリピンから?」と話しかけられたこともあったっけ。要するに、日本人にしては濃い目の顔をしているということなのでしょう。でもこの「ハーフですか?」という質問、日本だから成り立つものだったんだなぁと、アメリカに住むようになって実感しています。最近では日本でも、在住外国人の数、国際結婚の数、そしてハーフの数も増え、見た目がハーフの人に「どこのハーフ?」なんて聞くのも、よくある会話の一部かもしれません。でも、この質問、アメリカではちょっとおかしな質問になるんですよね。

この人は何人なんだろう?

アメリカに住んで10年目を迎えている今でも、私は未だに「この人は何人なんだろう?」とさっぱり見当がつかないことが多々あります。ここで言う何人というのは、大きくは白人、黒人、アジア人、ラティーノ(南米人)、ヨーロッパ人って感じかな。うちの旦那さんに言わせると「見たら分かるでしょう?」とのことなのですが、これがなかなか難しい。見た目だけでなく、苗字や話す英語のアクセント(なまり)で見当がつくこともあるとのことですが、どちらも私にとっては“言うは易し”でして…

例えば、少し前までベーカリーで一緒に働いていた青年。他の部署からベーカリーへ移動してきて、またしばらくして元の部署へ戻っていったのですが、フレンドリーで好感度抜群の彼。一緒に働いているときは「彼は何人なんだろう?」なんて思ったことはありませんでしたが、彼の移動後、なぜかNBAのボストンのJayson Tatumという黒人のスタープレイヤーを見るたびに、彼の顔が思い出され「そうか、彼は黒人なんだ!少なくとも黒人のハーフなんだね。そういえば髪の毛もクルクルしているしなぁ」と、勝手に思っていたものでした。何とかして確かめたいという気持ちはあったものの、アメリカにおいて、人種に関する話題はとても繊細な場合が多く、特に黒人となると慎重さが求められるものです。「Black (黒人)」という言葉を使うことさえ躊躇されることも多く、より無難な「Aflican American (アフリカ系アメリカ人)」という言葉を使う人も多いですね。自分にそんな気はなくても、自分の発言が聞いた相手にとって「差別」としてとられてしまうこともありますので、極力、人種に関する会話は避けた方がいいのです。
そんなこんなで、彼と顔を合わせるたびにモヤモヤっとしていたある日、偶然にもそのモヤモヤが一掃されるきっかけが訪れました。彼がメキシコ人のケーキデコレーターと流暢なスペイン語で話しているのを見かけたのです。後からデコレーターと「今、スペイン語で話してたの?」という会話を始め、彼がメキシコとプエルトリコのハーフだということが判明しました。てっきり黒人と白人のハーフかな、なんて思っていたのですが、大間違いでしたね。

Ethnicity=民族性 Race=人種 Nationality=国籍

人種のるつぼであるアメリカにおいて、ある程度の会話で移民であることを想定したうえで「Where are you from?(どこの出身なの?)」と聞くことは別として、基本的に「あなたは何人?」という聞き方はやっぱり不自然なものです。例えば日系二世のうちの旦那さん。血的には日本人ですが、生まれも育ちもアメリカです。当然、国籍 (Nationality)もアメリカ。彼が「あなたは何人ですか?」と聞かれたら、当然のように「アメリカ人だよ」と答えるでしょう。でも血的には日本人であって、質問した方の意図として、聞きたいのはそっちなのかもしれません。微妙に悩ましいところでしょ?
数年前に旦那さんとシアトルに遊びに行った時、通りがかりの知らないおじさんが、それは唐突に「君はどこのインディアンだい?」と聞いてきたことがありました。ここでいうインディアンとうのはネイティブ・アメリカン(アメリカの先住民族)のこと。悪気があったとは思えませんが、不躾な印象はぬぐえませんでしたね。

最近知り合った女の子がいるのですが、最初から私の中には「彼女は何人なんだろう?」という疑問/関心がありました。見た目にはラティーノ(南米人)のようにも見えますが、彼女の英語からはラティーノのアクセントどころか、英語が母国語であることは明らか。知り合って数日後、気軽に雑談できる空間に至ったので、思い切って聞いてみることにしました。
「あのね、どういう風に聞いたらいいのか分からないんだけど、あなたは何?つまり…」こうして文字にすると、失礼な感じがするかもしれませんが、それまでに土台は作って準備していたので、私が言いたいことは自然と伝わった様子で、彼女はすぐに「My ethnicity?」と反応しました。なるほど、「Ethnicity」という言葉を使うのですね。「Ethnicity」というのは民族のことで、調べたところでは、"言語、慣習、宗教、出身国(本人や親、祖父母などの出身地)など、同様の文化的特徴をもつ人々の集団、つまり、民族(民族性)のこと”となっていました。
近い言葉になりますが、Raceというと「人種」で、Nationalityというと「国籍」になります。
ちなみに、彼女はメキシコとプエルトリコのハーフで、そこにネイティブ・アメリカンが少し混ざっているとのことでした。言われてみれば納得かも。

多民族国家ならではのサービス

アメリカでは、DNAテストで家系図をさかのぼるというサービスがあります。日本では、ほぼ需要がないものかもしれませんが、アメリカでそんなサービスを利用する人の気持ちは分かる気がします。血が全てではありませんが、自分がいったいどこから来たのかを知る一端にはなるのではないでしょうか。「端から端まで日本人です!」と言いきれることを誇らしくも思う一方で、いろいろな国の血が混ざっていることに浪漫を感じるのは私だけでしょうか?

そういえば、昨年の家族のクリスマスパーティーで、旦那さんのいとこがなぜかこのサービスを利用したという話していました。彼女も日系二世で、日本人の母(旦那さんのお父さんの妹)と日本人の男性の間に生まれています。私も旦那さんもその話を聞いて「意味ないでしょう?!」と思ったのですが、驚くことに、ほんの数パーセントは韓国人という結果が出たのだとか。
ふむ。

アメリカでも、移民はまた別

基本的にアメリカ人とはちょっと気を使う、この「あなたは何人ですか?」という会話ですが、移民仲間ではとても盛り上がる定番の話題です。ベトナム人の誰誰、ウクライナ人の誰誰、ミャンマー人の誰誰、コンゴ人の誰誰、日本人のマチコのように、誰もがどこか、その国代表みたいな感じ(笑)。
だからワールドカップは、よりワールドカップとして楽しめるのです。メキシコが試合をしていればメキシコ人は大盛り上がりだし、日本が試合をしていれば、みんなが『マチコ事』として応援してくれました。

職場という小さな一空間に過ぎないのに、まるで世界の縮小版のように感じることができるのがアメリカ。日本では、なかなか実感しづらいものであることは百も承知していますが、日本人にはどうしても欠けてしまう感覚です。容易なことではありませんが、この欠けている部分をいかに補っていくことができるかが、今後の鍵なのではないでしょうか。まずは、欠けている感覚がある、ということを知ることが最初の一歩なのかもしれないですね。


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