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海中時計 ~お題2つでショートショート その6~ 『海』『時計』

 遠くに真っ白な入道雲が見える。
 コンクリートの地面が太陽の光を受けて熱気を帯びているのが歩く度に伝わってくる。
 夏休みも終盤に入り、そろそろ宿題を片付けなければならない。
 今日はこれから同じ中学校の友達の家に行き、協力して宿題を終えることになっていた。


 ――ピンポーン

 ガチャッとドアが開き、友達が顔を出す。
「いらっしゃい。久しぶりだな! 入れよ」
「おう、おじゃまします」
 僕は友達の家に上がりこむ。
「俺の部屋は二階なんだ。ついて来て」
 友達は階段を上りながら言うので僕はそれについて行く。
 
 部屋に入ると、真ん中に小さなテーブルが用意されていた。
 僕たちはそのテーブルをはさんで向かい合って座り、さっそく宿題のテキスト等をテーブルに広げる。

 僕が宿題に取り掛かろうとシャーペンを取ると、友達が言った。
「なぁ、お前は夏休みどっか行ったか?」
「いや、どこにも」
 
 夏休みと言っても、ここ何年もどこにも出かけてはいない。

そう……父が亡くなったあの年から……。

僕の父は、僕が小学3年生の春、事故で亡くなってしまった。祖母も祖父も僕が生まれる前に既にこの世を去っており、僕の家族は母親だけだ。父の死後、母は一人で家計を支えているため、仕事で忙しく、我が家は旅行どころじゃない。僕は友達に聞き返す。

「そういうお前はどっか行ったのか?」
「俺か? 俺は親戚の家に行ったんだ。近くに海があってさ。海水浴、楽しかったぞ」
「海かぁ~。いいなぁ~、僕も行きたいよ」

 友達が出してくれたジュースとお菓子をつまみながら話していると、結構な時間が経過していた。
 僕たちは慌てて宿題に取り掛かる。
 
「なぁ、すべての対称式が基本対象式で表せることの証明ってどうやるんだ?」
「あぁ、それは数学的帰納法を使うんだよ。えっとね、こうしても一般性は失われないから…………」
「なるほどな! ありがとう」

 僕達は協力しながら宿題を片付けていく。
 結構長い間やっていたらしく、窓の外を見ると夕日が沈みかけていた。
 大方宿題を片付いたので、僕はキリの良いところで宿題をやめ、家に帰ることにした。
 
 階段を下って玄関から外に出る。
 友達は玄関で僕を見送る。
「じゃあな」
「おう、また学校でな」

 帰り道、僕は先程の友達との会話を思い出していた。
 友達が親戚の家に行って海水浴を楽しんだという話である。
 
 ――海か、父さんがいた頃はよく家族三人で行ったな……。

 セミの声があちこちの木々から聞こえてくる。
 さりげなく頭上の木を見上げると、ふわっと涼しい風が通り抜け、僕の前髪を揺らした。

「夕方の風は随分涼しくなってきたな……もう夏も終わりか……」


 そう思いながら視線を戻すと、前方に一軒の古びた時計店が目に入った。
 こんな場所に時計の店なんてあっただろうか?
 以前通りがかった時、ここは空き地だったはずなのだが……。
 
 僕は妙に気になって店内に入る。
 壁にはずらっと掛け時計が飾られ、ショーケースにも沢山の腕時計やアンティークの懐中時計が並んでいる。
 僕はある一つの懐中時計を見て、足を止めた。
 
 文字盤はまさに絵具の青という感じで、同じく青色のフレームには水色の波模様が入っている。

僕はなぜかその懐中時計に魅かれ、不思議な感覚でその時計をじっとじっと見つめていた。
 
「すみません、これ下さい」

 気づくと僕は奥にいた店員さんを呼んでいた。
 値札には三千四百円と書かれていたので、慌てて財布の中身を確認する。
 四千円あったので、何とか買えそうだ。

「その時計、今のあなたにピッタリだと思います。お包みしましょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です。そのまま持って帰ります」
 
 僕は買ったばかりの青い懐中時計を手に握り、店を出た。


 はぁ、なんで懐中時計なんて買ってしまったのだろう。もう持っているのに……


 僕は少し後悔しながらその懐中時計を眺める。
 

 かすかな夕日が時計のガラス部分に反射して僕の顔が見える。
 そしてその奥には海がうつっていた。

 ――え? 海?
 
 僕は驚いて後ろを振り返る。
 もちろんそこには海なんてなく、見慣れた住宅街が広がっている。
 僕は再度、懐中時計のガラス部分を見る。やはりそこには海がうつっていた。

――え?どういうことだ?


 僕はしばらくガラス部分を眺め続ける。

 その時だった。
 足に砂の上に立っているような感触がした。
 僕は目線を懐中時計から外して、自分の足元を見る。
 
 僕は砂浜の上に立っていた。

 驚いた僕は顔を上げる。
 そこで僕の目に飛び込んできたのは、大きな海だった。
 
 ――海なのか……?
 
 僕は海の近くに行き、しゃがんで水面に手をつける。
 冷たい。やはり幻覚じゃない。

 ――海だ。昔よく家族三人で遊びに行ったあの海だ。

波に向かって走っていっては、大波が来ると、怖くて逃げたり……
砂浜で砂の城を創ったり……
海の家でメロンかき氷を食べたり……
いつもそこには、僕をやさしく見守る父と母がいた。

ふと、水面にあの頃の父と母の姿が映ったような気がして、妙に懐かしい気持ちになった。
 
「父さん……」
 

目からあふれる涙が頬を伝い、雫となって水面に落ちていく……。
僕は黙って立ち上がり、時計を見て言う。

「ありがとう」

 気づくと僕は先程の住宅街に立っていた。
 先程まで手に持っていた青い懐中時計も、古びた時計店もいつの間にかなくなっている。

「……さて、帰るか」

 まだ少し熱気を帯びているコンクリートの地面の上を、僕は一歩ずつ歩いて行った。

<了>

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