![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70661954/rectangle_large_type_2_bcf60f1a830d26843f8f781c99f5c688.jpeg?width=800)
ずっと、夢を見ていた~鳥山明に憧れて漫画家になりたかった少年の話
【ずっと、夢を見ていた】漫画家になりたいと本気で思い始めたのは小学4年生の頃。当時、クラス担任だった先生がマンガクラブの顧問も務めており、毎回拙い「落書き」のような絵を褒めてくれた。以来、いつか本当に漫画家になって、先生に報告するのが目標になった。きっかけなんて、ごく些細なもの。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
高校の社会科教員をしていた父は厳格なキリスト教徒でもあり、しつけには特に厳しかった。小学卒業までは夜8時に寝ていたし、テレビは週に30分と決められていた。小学2年の頃に発売されたファミコンも家では買ってもらえず、もっぱら友人宅に入り浸って遊ぶしかなかった。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
当然、毎週日曜は有無を言わせず礼拝最優先で、友人から誘われ曖昧な理由をつけて断るたびに気まずい思いをした。やがて「日曜は遊べないヤツ」感が定着し、声もかからなくなり内心ホッとした。日曜に行われる中高の模試も受けた記憶がない。試合のある運動部を希望していた兄は何度も父と衝突した。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
子ども世界の流行などにまったく興味も理解も示さなかった父だったが、なぜか「キャプ翼」だけは買ってくれた。運動音痴の我が子を不憫に思ったのだろうか。クラブの時間だけ漫画を持参してもいいことになっていたが、他になかったので好きでもない「サッカー漫画」のキャラをひたすら模写していた。 pic.twitter.com/9PRy8qfc3O
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
とはいえ娯楽の少ない片田舎でもあったので、家にあった数少ない漫画『はだしのゲン』『ルーズ! ルーズ!!』『750ライダー』などは好みにかかわらず隅々まで読み漁った。これらの漫画が同時に複数読めるという、夢のような「漫画雑誌」の存在を知ったのは、しばらく経ってからのことである。 pic.twitter.com/hAyvq9upiM
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
忘れもしない。兄弟3人でなけなしの小遣いを持ち寄り、170円もする週刊誌「ジャンプ」を初めて買ったあの日。すでに大流行していた「キン肉マン」はじめ「北斗の拳」「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」と、超豪華なラインナップの雑誌に魅了されボロボロになるまで読み込んだ。https://t.co/ftKIdW5gg1
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
中でも、まだ悟空が小さかった「ドラゴンボール」初期は、まさに冒険活劇の王道を行くストーリーと斬新な構図、スピード感、無駄のない線、緻密なタッチと画面の爽快感、透明感、オサレなファッション、奇想天外なアイテム、そしてユーモアがてんこ盛りで、ワクワクしながら鳥山ワールドに浸った。 pic.twitter.com/UYzEQcCfH9
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
今でこそ漫画の描き方に関するハウツー本があふれ、背景やポーズの資料集なども容易に手に入るようになったが、当時は「漫画家になりたい」といっても(ネットはまだなかったし)ほぼ手探り状態だった。唯一、頼りになったのが藤子不二雄監修、方倉陽二の『まんがのかき方全百科』(1979)。 pic.twitter.com/XEow9UYYtC
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
ジャンプ読者は脳裏に焼き付いているはず…の、このおじさんの横顔。講談社フェーマススクールズの適性テストにこっそり応募し、「才能がある」と煽てられたのを鵜呑みにして一大決心をし、「受講したい」と父にねだった。今思えば単なる宣伝に過ぎなかったのだが、夢見る少年はまんまと乗せられた。 pic.twitter.com/5j00kPJ3n3
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
家の方針もあり塾などの習い事は一切していなかったので、高い受講料を払って絵の勉強をするなど当然認められるはずもなく、一世一代の勇気を振り絞った陳情もあえなく玉砕。親としては正しい判断だったに違いないが、そんな大人の事情など知る由もなかった。父へのおねだりは後にも先にもこの件だけ。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
以来、自分が大好きだった漫画、ゲーム、アニメの話を親族や教会の場ですることは極力控えた。牧師だった伯父は父以上に厳しかったので、従兄妹と遊ぶ際も気は抜けなかった。大学進学は大前提で、「漫画家になりたい」などという絵空事は、きっと理解も評価もしてもらえないと確信していた。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
しかし、阻まれれば阻まれるほど熱は高まり、ますますのめり込んでいった。遊んだことのないゲームの裏技を妄想し、架空のラスボスの攻略法をあれこれ編み出し、暇さえあればオリジナル長編漫画のプロットとキャラ設定、世界観をメモるという陰キャ街道まっしぐら。気づけば中二病をこじらせていた。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
敬愛する鳥山明がキャラデザを手がけた「ドラクエ」なるゲームが発売されると知り、ジャンプに載ったかすかな情報だけで妄想を膨らませた。Ⅱ、Ⅲの発売後も、友人からもらった攻略本を読破して遊んだ気になり、クリアしてもいないのに自腹で初めて買ったⅢのサントラCDを聴きまくった。#ドラクエ pic.twitter.com/1OF8yODCs5
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
ちょうど同じ頃、東京創元社の『ソーサリー』4部作、『ドルアーガの塔』3部作を発端にゲームブックが流行り始め、安価でかつ大人も認める「読書」の体で遊べることから夢中になった。「地獄」「要塞」「恐怖」「紅蓮」などの漢字はすべてゲームブックで覚えた。社会思想社にもだいぶお世話になった。 pic.twitter.com/YG66ZBtcrx
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) January 4, 2019
脈絡もなく昔の話をすると、まだドラクエが世に出る前のこと、ファンタジーRPG黎明期に「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」を説明するのは至難の業だった。せいぜい『指輪物語』とか『ナルニア』の原作から想像を膨らませるしかなかった。そもそもRPG自体、知られていない時代。たかだか30年前の話。 pic.twitter.com/9Zp2tTfzS7
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
そこに『ソーサリー』四部作をはじめとする東京創元推理文庫の「スーパーアドベンチャーゲーム」シリーズや『火吹山の魔法使い』をはじめとする社会思想社の「アドベンチャーゲームブック」シリーズ が相次いで登場し、一気に「日本語で読める」ファンタジーの世界が広がった。https://t.co/paFcwwxNaV
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
同時に、世界初のRPGである『D&D』(ダンジョンズ&ドラゴンズ)が翻訳され、テーブルトークRPGが国内でも本格的に普及し始めることになる。ゲームブックに慣れ親しんでいた身としては「選択肢が無限にある」というTRPGのシステムは、想像を超える夢のようなゲームに思えた。https://t.co/xnU0PHEV30
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
当時、ファンタジーの世界観といえばやはり劇画調のビジュアルが主流で、おどろおどろしいインパクトのあるイラストが今も脳裏に焼き付いている。和製RPGが生まれるには、ドラクエ誕生を待たなければならない。『悪魔に魅せられし者』に始まるドルアーガの塔ゲームブックは数少ない国産ゲームだった。 pic.twitter.com/v5nr8KQRoP
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
そして1986年5月27日、その後のゲーム界に多大な影響を与えることになる歴史的シリーズ第1作発売の瞬間を迎える。ドラクエが画期的だったのは、鳥山明によるキャラデザ。特にスライムの造形は、先述したドルアーガのビジュアルと比べても一目瞭然。PC版「ウィザードリィ」とも一線を画していた。 pic.twitter.com/ne2exRf8os
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
それまで海外からの「借り物」だったファンタジーの世界が、ついに日本の「お茶の間」でも親しめるようになった。後継作品も次々と世に出てRPGがゲームの一ジャンルとして確立し、国内でも市民権を得られるようになる。「モンスターメーカー」も、まさにそんな和製RPG普及の一翼を担った作品。 pic.twitter.com/SYg3hHn4N1
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
ビジュアルのことで言うと、VFXとかCGがまだ普及していなかった当時、SFファンタジーの世界を視覚化する技術にはかなり限界があった。今となっては稚拙に見えるコマ撮りだが、これらの映像をもとに妄想を膨らませるのが精一杯だった。→ 伝説のSFX魔術師 レイ・ハリーハウゼン https://t.co/Wi1Wtfgj4C
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
ジム・ヘンソンの『ストーリーテラー』シリーズとか『ラビリンス 魔王の迷宮』とか、レンタルビデオショップで探し回って見まくっていた。他になかったから。→ 30 周年アニバーサリー・エディション ブルーレイ【初回生産限定】発売! https://t.co/er5oNz77Fj
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
ドラクエから派生して『勇者アベル伝説』https://t.co/NLdccigzV4 や『ダイの大冒険』 https://t.co/GJmxUxgreO のアニメが始まる際にも、炎や雷を使った数々の呪文をどのように映像表現するのかが大きな関心事だった。今では考えられないことだが…。
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
ゲームブックと言えば双葉社の『ドラクエⅡ 悪霊の神々』上下巻も忘れ難い。 https://t.co/NIF4YmVUZq
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
『RPGなんてこわくない!―テーブルトークRPG入門コミック』(Hobby Japan comics)は、まだTRPGが知られていなかった当時の入門書としてホントに重宝しました。→ 山本 弘 https://t.co/UjzNDvEZGJ
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 17, 2018
遡ること29年前の2月11日。『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』の発売を記念して中三の夏に描いたパッケージ絵を公開。#ドラゴンクエスト4 #ドラクエ4 #ファミコン pic.twitter.com/r6lWMXgU1U
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) February 11, 2019
中二の漢字テストに描いてた落書きを思い出した。#スライム #ドラクエ #DQ pic.twitter.com/rFCjCoFmO8
— 松谷信司@「いのフェスチャンネル」イエスぱねえマジ神すぎワロタww (@macchan1109) July 22, 2020
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?