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[Portugirl]~EU最西端での小娘ひとり旅奮闘記~[005]


前回の続き。 ( 最初から読む

2018年4月28日 

 この日は雨予報(のはず)だった。

 確かに朝方降っていたが、シャワーを浴びて身支度を済まし、朝ごはんを食べ終えた頃にはもう晴れていた。チェックアウトは11時までだが、私の泊まっている部屋を使うゲストは明日来るらしいので特別に荷物はそのまま、レイトチェックアウトさせてもらうことに。

 9時過ぎ、昨日この旅行記を書いたカフェのほぼ目の前にトラムの停留所があることが発覚したので、そこからまたアルファマに向かうことにした。ジリンジリーンとなるベルの音がして左を振り返る。

ついに来た。トラムだ!

やっと乗れる!(しかも座れた)

 朝から思わずテンションが上がり、カメラであの世界の車窓からを真似しながら動画を撮っていたら「すまないね、このトラムはここで終点だよ!この先は目の前のバスに乗ってくれ!」と運転手が叫ぶ。急いで目の前の(昨夜帰りに乗ったバスと同じ)黄色いバスに乗って向かうが、今度は道路工事のせいで展望台でバスは終点となった。

 この日は土曜日。楽しみにしていた蚤の市は10時から。ポルトガル語で通称「ドロボウ市」と呼ばれている。日本語で言う、持ってけドロボー!と同じ意味合いなのか。


 展望台からは歩いて10分くらいで会場に着いた。大きな門をくぐって公園内に入ると、想像していた以上に規模の大きな蚤の市だった。公園下の駐車場から先ほどの門まで、丘の傾斜にズラァーっと市民がそれぞれの品を持ち寄って売り場を連ねていた。


 10時過ぎに見始めて、一通り隅から隅まで見て回った頃にはもう12時過ぎていた。帰りは展望台よりも会場手前のアマリア・ロドリゲスのモザイク画目の前の停留所から、今度は途中で降ろされることもなく28のトラムで一気に帰れた。しかし観光客でぎゅうぎゅうの車内。これじゃあまるで日本みたいだ。

満員電車ならぬ満員トラムか。


 奥へ奥へと追いやられたと思いきや、運転手横の特等席。相変わらず体勢こそきついが、なんとかカメラを構えて動画を撮りつつ、童心に返ってひたすら運転手の運転さばきを見つめた。もし私がリスボンで生まれ育ったなら、子供の頃一度はこのトラムの運転手に憧れただろうな。と思いを馳せた。

 ステイ先に戻ったのは13時頃。戦利品(レコード、アンティークの鏡と置き皿、アズレージョタイル等)を荷物に詰めた。AlexとZiにパンとハムをわけてもらい、バスで食べるサンドイッチを作って準備万端、チェックアウト。

 最後AlexとZiと3人で写真を撮り、イファがこちらを見つめてくるのに後ろ髪引かれる気持ちで別れを惜しみながら、呼んでもらったタクシーでオリエンテ駅まで向かった。

 ポルトガル首都リスボンで過ごした数日は私の予想よりもはるかに楽しかった。これだけでも苦労してきた甲斐があった。

だが旅はここで終わりじゃない。

 タクシーでバスターミナルに降ろしてもらった後は、事前に買っていたバスのチケットで次の街へ移動する。

 リスボンの次に向かうは第三の街コインブラ。リスボンが東京、シントラが鎌倉なら、コインブラは京都。ポルトガル最初の首都だった街でポルトガル1古い大学がある学生の街。リスボンと並んでファドも有名。

 バスに乗り込んだら一気に天気が変わり土砂降りに。ずっと晴れ続きだったリスボン。ここにきて初めて雨に降られたが幸い移動中。

自分の晴れ女説がさらに強まった。


 コインブラまでの高速バスはRede Expresso(通称Renex)というバス会社を使った。Paypalのアカウント(オンライン決済)さえあれば日本からチケットを買えて、あとは当日乗るときに送られてきたEチケット(QRコードの画面)を見せればペーパーレスで乗車できる。バスにはWi-Fiもあり、通信速度に問題もなかった。

 バスは2時間もかからないでコインブラB駅に到着。ここで注意して欲しいのは、コインブラには駅が二つある。中心地にあるコインブラ駅と、少し離れたところにあるコインブラB駅。この二つの駅は在来線が5分で繋いでくれるが、列車やバスでリスボンーコインブラ、コインブラーポルトなど都市間を移動するなら自分の乗降する駅がどちらなのか要確認。

 コインブラB駅に着いて外に出るとわかりやすくタクシースタンドがある。Booking.comで押さえた宿はコインブラ大学のある丘の上にあるのでタクシーで向かった。「ヌメロ(No.)…18!」と番地を伝えて着いたのは築100年以上もする古き良きゲストハウス。チェックインは18時までとあり、もし過ぎるなら要連絡だったので、ギリギリに着く予定だったのを危惧して事前にメールしておいた。

 ドアベルを鳴らして迎え入れてくれたオーナーさんは

「すごい!本当に言った通りの時間!日本人でもこれは初めてだわ!笑 どうぞいらっしゃい!」

と明るく、そして暖かく迎え入れてくれた。


 エレベーターもないゲストハウスで最上階だったら自力で荷物を持って上がるしかないな…と心配していたが、幸い私の部屋は入り口入ってすぐ左手だった。ラッキーだった。オーナーさんはハキハキキビキビしており、テンポよくシャワールームやトイレなど要点を説明してくれた。

 荷物を置いたら1階のラウンジに移動して宿帳に必要事項を記入。地図をテーブルに広げて、この店は今日お休みで、この店は明日お休み、明日の17時にはここでJazzライブがあるなど、お勧めのレストランやこの滞在中のイベント、ファドの情報などを地図に書き記しながらわかりやすく教えてくれた。

 部屋に戻って一息ついたら、事前に調べて目星つけていたファドハウスへ。ここコインブラに来たのだから本場のコインブラファドを聴いてみたかった。18:45にスタートだったが、歩いて10分の場所だったので余裕で間に合った。ワインかビールを聞かれ、赤ワインを注文。席に着いてファドが始まるのをワクワクしながら待った。するとオーナー兼ヴィオラ(ファドギター)の演奏をする大柄なおじさんが現れ、チューニングしながらコインブラファドの歴史や背景を英語スペイン語フランス語でこう説明してくれた。

 「ここコインブラファドは、リスボンのファドと少し違う。リスボンのファドはファディスタ(女性)が歌うものが多く、曲調もブエノスアイレスの影響を受けたものが多い大衆音楽。一方コインブラファドはファディスト(男性)がコインブラ大学の学生が羽織る黒いマント;カッパネグロを纏って歌う。元々は男子学生が女子に向けて歌ったセレナーデ。ロマンチックにしっとりと歌う。」しかしオーナーはこう付け加えた。「コインブラのファドはロマンチックだけじゃない。詩的なファド。ポルトガル最初の首都だったので、当時の政府の検閲に引っかかり未発表のままお蔵入りになった曲も多く、政治的だったり、革命的な詩の曲もここコインブラには残され、今も歌い継がれています。」

 これは知らなかった。説明が終わる頃には全てのテーブルに客も揃い、いよいよスタート。ギターとヴィオラの調べに乗せてラッセルクロウ似のファディストのテナーヴォイスが店内に響き渡る。中盤からは飛び入りで普段教師をしているというオーナーの友達のファディストも登場。彫刻のような威厳のある出で立ちで白髪の似合うその人はさらにワントーン低い歌声で店中の客を巻き込んでまさに席巻した。聞いたこともない曲で、ポルトガル語の歌詞を理解するのは難しかったが、なぜかいつの間にかメロディを口ずさめてしまう。


 十分満足して店を出る時に、最後オーナーさんと話すチャンスがあった。

「日本人はMusic Loversが多いね!遠いところから聴きにきてくれてありがとう。日本に帰ってファドの良さを広めてくれると嬉しいな!できれば君が弾いたり歌ったりしてくれると最高だけどね!笑」

と最後まで良い人だった。私は弾くことも歌う(歌うのは好きだが歌詞も曲もわからない)こともできないが、こうして文章にしたり発信することはできる。こちらで助力になれればいい。


 店を出た時にはもう小腹を空かせたので、ゲストハウスのオーナーにオススメされたレストランに行ってみた。そこでバカリャウのグリルを食べた。確かに新鮮で美味しいは美味しいが如何せんしょっぱすぎて喉がカラッカラ。お水よりワインの方が安かったので、頼んだワインをがぶ飲みして店を出て向かったのは教会のカフェで夜な夜な開かれるフリーファド。ミュージックチャージ無しでファドが聴けた。

 先ほどのファドハウスとは違い、石造りの教会の一角なので空間も広く、人も大勢集まっていた。コーヒーで一息つきながらファドを聴いた。ここはマイクを使うのでどの席でも問題なく聴こえる。ここでもカッパネグロを纏ったファディストが、静寂な空間に静かな情熱を込めて歌い上げた。最後にはアンコールで数曲歌ってくれたのでこちらでも満足して夜中日付過ぎた頃に、余韻に浸りながら宿に戻った。


翌朝自分の体に何が起こるかも知らずに…


つづく。

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