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小さな冒険を通して学んだ、時間の過ごし方

先日、金曜ロードショーで放送された「スタンド・バイ・ミー」。すでに何度か見たことはあったのだが、大人になってから見る4人の少年は眩しく輝いて見えることに気づいた。

「ひと夏の冒険」

何気ない言葉のようなのに、強く訴えかける何かを感じる。ワクワクする話が始まりそうな中に漂う一握りの儚さが私を惹きつける。
私にとって、彼らのような懐かしきひと夏の冒険はどんなものだっただろうかと考えてしまう。

私にとってのひと夏の冒険は18歳の夏、デンマークで過ごした1ヶ月。

ゴーディーたちのような大冒険ではないが……。

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大学生になって初めての海外、しかも人生で初・1人で海外に行ったのがこの国だった。まあデンマークには叔父一家が住んでいたので、日中は1人でフラフラして夜は叔父の家でお世話になるというイージーモードな冒険だ。

幼少期から憧れていた、ヨーロッパへの初上陸。絵本のような建物、石畳の路地裏、おしゃれなカフェ……。夢の中でしか訪れたことのない土地に行くということは一体どんなに心躍ることか。まだまだ見知らぬ国ばかりだった18歳の私が羨ましい。

約11時間のフライト中は、時差ボケ防止のために寝ておこうと思っていたのに、すっかり頭の中がお祭り騒ぎで全くそれどころではなかった。そういえば隣に座っていた外国人のおじさんが、1人で飛行機に乗っていることをやたらと褒めてくれた。多分12歳くらいだと思ったんだろうな。

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叔父もその奥さんも日中は働いているし、小さなたった1人のいとこは保育園に通っている。私は昼過ぎまでは英語の語学学校に通い、午後は毎日のようにコペンハーゲン内を練り歩いてた。

コペンハーゲンは小さな街なので、1ヶ月もかけて観光するところではない。「地球の歩き方」と睨めっこしながら毎日歩いていたら、主要な観光先はあっという間に行き尽くしてしまった。

コペンハーゲンにも慣れてきたある日、中心街のホコ天「ストロイエ」から、地図をカバンの奥にしまい込み、適当に横道に入ってみることにした。一本入るとあまり人がいないので、ちょっと怖い。海外では人通りの少ない場所では誘拐されたりカツアゲされる、そう思ってずっと人通りのある道しか通ってこなかった。

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しかし、大通りからチラッと見る小道が何とも可愛らしく、怯える気持ちなんて忘れて吸い込まれるように横道に逸れていった。

地図を見ず、目的地もなく直感だけで進んでいる私は、まるで壮大な冒険物語の主人公だ。最初こそドキドキしていたものの、いつの間にか好奇心がそれを追い抜いて顔を出す。

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並ぶ家々の淡い色、愛らしい装飾のドア。窓辺に飾られた花。何気ない住宅街ですら全て輝いて見えた。

気になる道があるととりあえず曲がってみる。もうどこからきたのかわからなくなってきた。それでもぐんぐん進んで行くと、小さなカフェに行き着いた。

看板には「MATCHA」の文字。なんと、北欧で抹茶カフェがあるなんて! 子供の頃から茶道を習っている私は、たまらなく嬉しかった。中を覗くと日本人ではなかったが、アジア系の女性がゆるりと抹茶を点てている。ちょっとお点前が自己流な感じなのが、興味深い。周りには人通りがなく静かで、まるで時が止まっているかのような気持ちになった。

この時までほぼ毎日同じカフェでランチをしていた。だって、見知らぬカフェやレストランに英語のメニューがあるのか、どうやって注文するのか、値段はどれほどだろうか、外からはわからないところに入る勇気がなかったから……。

でも、このお店がどうしても気になってしまった私は、恐る恐るドアを開けた。

にこやかにお姉さんが出迎えてくれて、少しほっとする。抹茶を頼み、どの席に着こうかと考えていると、窓際の席が気持ちいいよ、というアドバイスをくれた。はにかみながら小さな声でお礼を言い、その席にちょこんと座る。

背筋をピンとして、ソワソワしながら周りを見ていた私の元に綺麗に点てられた抹茶が差し出された。ゆっくりどうぞ、微笑みながら言ってくれたお姉さんを見たら、少しリラックスしてくる。

ひとくちひとくち、大切に飲んだ。心がほぐれていくのを感じる。窓から差し込む木漏れ日を浴びて、静かな店の中でただただぼーっとして、少しだけ宿題をして過ごす。

そのひとときは、旅先での過ごし方なんて観光することしか知らなかった私にとって、初めての体験だった。何万円もかけて空を飛んではるばるきた土地で、お茶を飲んでいる時間なんてもったいないと思っていた。一生に何度も訪れることのできない土地、ならば一つでも多く、観光地を巡るべきではないかと思っていた。

でも、こういった何気ない小道を歩き、観光客が気づかないようなカフェに座って、その地の太陽を浴びて過ごす時間もその土地ならではの体験なのかもしれない。周りに数人だけいる、地元の人たちと同じ時間軸を過ごすことで、彼らに溶け込んだような感覚になった。

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その時間がいかに贅沢なものなのか、今社会人になった私にはすごくよくわかる。旅に出られても、たったの1週間。それこそ、毎日観光地を走り抜け、ゆっくりまわり道をしてお茶をする時間なんてなかなか確保できなかった。

でも、ふとこのことを思い出した今、ここ数年の私の旅の仕方が本当に正しかったかを考えてしまう。スタンプラリーを集めるように、毎日朝から晩まで観光名所を歩き回る。行きたいと思っている名所をひとつ残らずその旅の中で回ろうとして、せかせかしてしまっていた。

行きたいと思っている目的地を巡ることはもちろん大切だ。でも、どんなに急いでまわったって、結局たった1週間では全て回り切ることはできない。それなら、急いで回ろうとせず、たまには地図を閉じて、その地にただ身を委ねて見ることも、必要なことだったのかもしれない。

今、仕事に忙殺され日々ときめきを感じる気持ちがすり減っているのを感じる。こんな時だからこそ余計、デンマークで過ごした時間が思い出される。

あの1ヶ月は今思えば、余白のある生活だった。余白があるからこそ、自分の時間を過ごし、ただ今を流れる時間を過ごすことができる。

そんな時間が欲しくてたまらない。私はこれからをどう生きていきたいのか、その答えを、あの夏の冒険は示してくれているような気がした。


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