まあや💭自分哲学で気軽に生きる

自分にとっての大事なことだったり、みんなにとって大事そうなことだったり

まあや💭自分哲学で気軽に生きる

自分にとっての大事なことだったり、みんなにとって大事そうなことだったり

マガジン

  • 毎月みんなへ向けたエッセイ

    月初めに出すことを目標にしておりますが、なんだかんだ月末になってしまう日も。毎月のどこかで、頑張りすぎてしまった時、行き詰まった時に、読んで頂けますように。

最近の記事

人よりも繊細なきみへ

春、夏、秋、冬、 移りゆく景色もきみにとっては、 この世界がひっくり返って、 何かが始まろうとしているように見えているかもしれないね。 音、味、匂い、光、 色んなものを吸収するきみの体は、 今、なんて言っているのだろう? 「疲れた…」 そうか、疲れているんだね。 でも、何故だろう? 色んなものを感じ取れる繊細さがあれば 楽しさや喜びももっと感じていてもおかしくないのにね… 窓を開けて見て そこには、今のきみだけが見える景色があるでしょ? 空の色を、きみは何て表現す

    • きみが創るしがつ

      誰か、私をしばいてください。もう4月22日なんですよね。終わりかけですが、4月を生きる皆さんへ向けたエッセイを書くことをお許しください。 春の風が新しさを運んでくるように、その風によって背中を押されるように、いつもとは少し違う場所へ足を踏み入れる。 春とは、そんな小さな勇気が生まれる季節なのかもしれない。 「期待に胸を膨らませる」という言葉を体現したことはありますか? ワクワクしながら眠りにつき、新しい人間関係に期待をしながら浮き足だった気持ちで、桜が散った跡の残る道

      • いよいよ生まれたことを後悔する日が来たような気がしていた

        今日から、というかどうせすぐにまた気分が変わるので続くかはわからないですが、出そうと思っている動画を作る前に、その脳内というか、経験したこととか、そういうことを書こうと思います。こんなふうに。 それは決して、説明とか言い訳でなくて、ちゃんと当時の自分を思い出し、今の自分が引き継いだ言葉で。みなさんが動画を見た後に、どういう経験からこの言葉が生まれたのだろうと気になって下さった時、此処をぜひ覗いてみてください。 両親は、確か私が23歳くらいの時に離婚しました。けれど、「お母

        • きっと乙女座だったあの人

          わたくし、生粋の乙女座好きなんですよね。星座に好きも何もないわって人の方が多いと思いますが、好きになった人はほとんど乙女座の私の話でも今日はしてみます。 名刺と彼 本当は、「始まりは乙女座から」というタイトルで書き進めていたのですが、色々な人を思い浮かべて過去のメッセージに目を通したりしていると、ある人物のことを書きたい!となってしまい、今に至ります。しかも乙女座かどうか分からない人という。でも、きっと、乙女座なのだろうと思います。(むりやり) 出会いは、小さな空間で、

        マガジン

        • 毎月みんなへ向けたエッセイ
          6本

        記事

          生意気で若いという価値

          まず初めに、人間は皆十分な価値があるということ。そして、何か他の要素を持っていたら自分の価値が優れていく、誰かよりも意味のあるものになっていく、なんてことはありません。ここでいう”価値”とは、他者から見て、価値を見出されるという意味ですので、その点を踏まえてご覧ください。 生意気さ みなさんは生意気な人ってどんな人を思い浮かべるでしょうか?言葉遣いが少し荒っぽ人?態度が大きい人?どんな人でしょうか。 私は、まず思い浮かべるのは、年上年下関わりなく誰にでもタメ口でちょっか

          正欲は0点

          今日は、朝井リョウさんの正欲の話を。これは批評ではなく、想いです。タイトルから色々と連想されると思うのですが、小説や映画を見られた方や、SNSでの紹介で本の名前だけ知っているという方も、ぜひ一緒に考えてみてください。過激なものではないのでご安心を。 多様性の象徴 この本が話題になった時、多様性の象徴かのような言い回しが飛び交っていました。というのも、この本の冒頭で、多様性に対して”おめでたさ”と表現し、言及している箇所があるからです。それって結局多様性を語っている人の中で

          3:1で生きる3月

          月初に更新したいと毎度言いながら、もう15日でした。今日も、いつも見てくださっているみなさんに言葉をどう届けるかを想像しながら、残していきたいと思います。 初めに少しどうでもいい話をしようかなと思います。タイトルにある3:1という意味に込められた想いというのは色々あるのですが、その中でも個人的にしょうもないものを… ある日の夜、好きな人と夜に散歩をしていました。どう見られているのかが気になって仕方がないそんな忙しい時に、スマホが光り… もはや、どんなことを聞かれたかも覚

          その「ありがとう」を瓶に詰めさせて

          何となく、何となくですが、小さな光が差し込んでているようなエネルギーを感じた話をしてみます。 昨日の夜は0時半頃からTikTok LIVEをしていました、3時間。終わったのは3時半で、久しぶりに多くを語らせて貰って、深い眠りにつきました。 昨日のLIVEはなんだかこう、懐かしい気持ちになれました。初めてLIVEに来てくれた時に高校二年生だったある男の子がいるのですが、「もう高校も卒業で、受験に合格して大学に行くんだ」と報告してくれました。初めてLIVEでコメントしてくれた

          その「ありがとう」を瓶に詰めさせて

          -大切な人への寄り添い方-優しき儚いあなたへ

          優しいのですよ、みなさん。自分の人生でこんなに優しい人に会ったことはないだろうと本気で思うほど、みなさん優しさに溢れています。というか、優しいか優しくないかの議論は不毛なのです。既に優しいのですから。 大切な人への寄り添い方。これは、よく頂く相談の一つです。そして、皆さんの大切な人への想いや、今までしてきた行動などの文を読みながら、あゝなんて優しい人なのだろうといつも思っています。 ですが、みなさんある共通点があるのです。 それは、自分が消えかかっているということです

          -大切な人への寄り添い方-優しき儚いあなたへ

          自己表現って恥を越えることなんですよ

          大好きな自己表現について少し。今日の昼下がりになんとなく思ったことです。「恥ずかしい、そう、自己表現って恥ずいんだよなー。恥じらいの感情をどれだけ超えられるのかみたいなところに表現力が出てくるというか…」 と、ぶつぶつ言いながらコンビニに向かって歩いていました。(もちろん人が歩いてたら独り言は言いません) 分かりやすく自己表現の一つである動画に関して言うと、よくある100日後に〇〇するというテンプレートあるじゃないですか。あれも、みてる側はもうそろそろ、またこういうやつか

          自己表現って恥を越えることなんですよ

          2月のお裾分けを

          人間は皆、唯一無二であり、特別なのだけれど、それを特に実感するのは、誕生日月だと思っている。つまり、今これを書いている人間の誕生日月、2月をいつもより少しばかり、感じてみたいと思う。 「冬生まれなんだけど、寒がりなんだよね」という言葉を一体人生で何度口にしたのかわからない。そして、その言葉が持つ意味も、自分ではわかっていない。冬が嫌いだということを遠回しに表現しながら、自分が生まれたことを、頭の片隅で何度も悔いていたのかもしれない。 それなりに、誕生日パーティーみたいなも

          明けたその1月を進もう

          まずは、新年明けましておめでとうございます。 そして、12月中に書きたかったのですが、新年明けてしまいましたので、今年からは毎月、月初にエッセイをちゃんと書こうと思います。 もし、書いてなかったら、おい、とコツンと叩きにきてやってください。 そういえば、小学生の時、書き初めの宿題が死ぬほど嫌いでした。今ではあんなもの、一発勝負でだしてしまえばいいと、思えるのですが。 けれど、当時の自分はというと、何か違う、もっと綺麗に書かなきゃ、ここ滲んでるから笑われてしまう、と、自分の

          自己認識という単語に辿り着いた理由

          “自分”で生きることが難しい社会で自分を大切にするべきだとか、自分が生きたいように生きるほうがそりゃいいのかもしれないという認識はみなさんにもあるのではないかなと思います。それはもちろん私自身にもあって、今までの苦しみを思い出したとき、真っ先に思い出すのは、”自分が自分として生きることが何故こんなにも辛いのか”という想いです。 自己を犠牲にする中で、こんなの自分ではないという想いと、こんな自分にならなければ生きられないという狭間で闘ってきました。そんな自分が”自分”という存

          自己認識という単語に辿り着いた理由

          冷んやりと11月に触れる

          自分の手足が冷たいと感じる季節になった。冷たいまま何かに触れると、心までその冷たさに侵食されていくような感覚になる。それらを温めるためには、一体何から手を付ければ良いのかわからなくなり、辛いものでも食べてみて誤魔化してみるんだ。そうすると、瞬間的にお湯が沸いたように熱さを感じることができる。じゃあそのほてった身体の奥底にある心という物体はどうやって温めようか。 心にほら、スポットライトを当ててみて、そうすると、12月という終わりを迎えることに焦っていたり、1年の思い出という

          生きづらさのどん底にいる時に救われた意外な1冊

          生きづらさの始まり生きづらいと表現し始めた時、ずるずると明るみになっていく今まで自分が抱えていた生きづらさに気づいてしまって絶望した。 この本を読んだ当時は、23歳頃だったと記憶している。フリーターをしながら、お金を貯めては一人で海外旅行へ行っていた。バイト先の飲み屋では、”オジサン”からセクハラ発言をされることは日常茶飯事で、お酒を提供しながら、この社会で生きるということはこうしてアルコールに浸り、現実逃避をし、無神経に人を傷つけ、そうして、「酔ってたから」という言葉を免

          生きづらさのどん底にいる時に救われた意外な1冊

          10月の速度に焦らないで

          風の速度が早まり、 背中押され、ほらもっと早くと言われているかのような錯覚に陥る10月。 読書の秋と言われれば、 なんだかゆっくりと時が流れている情景を思い浮かべるけれど、 実際は、この季節というのは、ササッと過ぎて行ってしまうのだ。 そして、そんな速度に置いてきぼりにされたような気持ちになる。 焦らなくても、 又、冬が来るのだ。 毎度のことながら、今年は去年より寒いと言いながら耐え凌ぐ冬が。 そして、又、春が訪れるのだ。 紅葉が落ちた後に、秋は終わってしまったのだ