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七月を掻き分ける


まるで、雨雲が足を生やして地上に降りてきたかのような、もくもくとした霧が目の前に広がっている。


人々は目の前の霧を鬱陶しそうにしながらも、霧の向こう側の世界へと足を踏み入れて行く。

でもきっと、向こう側は晴れているのだろうと、私たちは信じている。

だって、止まない雨はない。

私たちはそれを知っているからこそ、霧の向こう側に光を見ているんだ。

きっと、ある。
そこに、あるんだって。

そういう流れを私たちはよく知っている。
こうやって、掻き分けて、過去をくぐり抜けて、そして”きっかけ”を手にする。


サイズがぴったりの靴をプレゼントされるような、そんなきっかけを。


先の見えない暗闇を歩いた先には必ずこういうプレゼントがあってね、それは”努力は報われる”ということではないのだけれど、でも、私たちはそれを必ず手にするように世界は回っている。


私たちが諦めずに歩き、走ったからなのか、
世界が私たちの元へ回ってきたからなのか、
どちらが先なのかはわからない。
それとも、どちらとも動いていて成り立つものなのかもしれない。


でも、こうやって私たちは突然、走り出したりする。

昨日の夜まで、いや、今日の朝まで、ベッドの上にいたとしても、
急に、あの霧の中を駆け抜けていく覚悟ができる。


夏に会いにいくように、自ら走っていく。
履き慣れた靴を脱ぎ捨て、さっき手にした靴に履き替える。

ぎゅっと靴底を踏み込むと、ほんの少し霧が溶けた気がした。


こんな霧も、こんな夏も、見覚えがある。
でも、どんなふうに走り抜けたのかは覚えていなくて、
だから今年は、今年の夏は、そうやって、意気込む時間が必要になる。


それでも、身体が覚えている。
どんよりしたグレーの霧が自分を包む感覚を、怯んだ瞬間に風が吹き背中を押される感覚を。

そういう、全てのことを身体が知っている。

だからね、私たち、進めるよ。
あの霧に向かって、
もっと向こうの夏に向かって、

いつかの自分と比べなくたって、今の自分で十分走り出すことができるんだ。

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