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「やれば変わる」に感化されると耐えられないこと

みなさんも、一度は、「俺でもできたんだから、あなたにもできるよ」とか、「私もあなたと同じ環境だったけどここまでこれたよ」とか、そういう物語に心を打たれたり、自分もやってやろう!変わろう!と意気込んだことがあるのではないでしょうか。


蔓延る“行動”という言葉

ビジネス書でも、自己啓発でも、はたまた芸能人のエッセイなんかにも、この言葉がよく出てくるかもしれません。

「行動で変わる」
「行動が大事」

みなさんは、こういう言葉をうざったいと思う人ですか?それとも、行動が大事だと、心の底から賛同していますか?

私は、何故かこういう言葉に対して、「それは違うだろ」と思ったことはありませんでした。大して行動なんてしていない学生の頃から、「まあ、そうだろうな」となんとなく頭の中で思っていました。(別に行動して実感してないくせに)

その後、人並みに自分の人生が変わりそうな言葉に惹きつけられてきたし、その衝動による小さな行動もしてきました。

でも、その衝動というのはつまり、根底には「こんなふうに、ガラリと見える世界を変えたい」という大きな変化に対する欲求があったのです。


“行動”が信念のボスがいたとして

例えば、何がなんでも、行動しろ、行動しなきゃ変わらないからというボスがいたとして、私は、毎日の中でとにかく行動していくとします。

きっと、いつの間にか心では、「行動さえしていればいい」と思うようになるのです。

もしくは、一ヶ月後、「行動で得られるものってこんなもんなんだ」と、思うようになっていくのです。

私たちはきっと、”行動”という言葉に感化される時、その先で得られる未来図で頭がいっぱいなのです。

“行動”で、変わらなければ意味がない、ときっと思っているのです。

期待をすることって悪いことなのでしょうか?
いいえ、その期待に耐えきれないことが本当の問題なのです。


変わりたい

変わりたいと思えば思うほど、変わりたいと思って行動すればするほど、自分の思い描く未来に辿り着くまでの時間が耐えきれなくなるのです。

私たちが、誰かの言葉によって、行動しようという意識を持つ時、それは実はとても脆い。

その変わりたいという欲求が自分の本音だとしても、その行動が本気だとしても、それは時に、時間という重さに耐えきれなくなる時があるのです。


では、私たちはこの連鎖をどのようにして断ち切って、どのようにして、堅実に、行動という道筋を辿り、変化という兆しを見過ごさずに努力ができるのでしょう。


無意識から意識の道中

少し、私の話を。

先日、友人と長電話をしました。
その友人とはもう五年以上の中で、何度も夜中に長電話を経験しています。その日は、2時過ぎに「話を聞いてくれてありがとう」と言って電話を切りました。

そして翌日、朝起きた瞬間から私の脳と体は、友人への感謝で溢れていました。

目が覚めた瞬間から、ぶわっと、昨日話を聞いてもらえて本当に良かった、こうやって時間を作ってもらえることが本当に有り難いという気持ちが沸き起こりました。

そして、朝すぐにもう一度友人へ、「昨日は本当にありがとう」とLINEを送ったのです。

その体験を後日改めて見つめ直した時、私は、数年前は、こんなふうに、当たり前のように関係性が続いている友人に対して、感謝をしたことがほとんど無かったことに気がつきました。

朝に改めて送るLINEなんて、本当になくて、むしろ、「今日も電話で聞いてほしいことあるー!」とか言っちゃう人間でした。

でも、少しずつ私の内面が変化し、有るものに目を向けた時から、毎日、それが当たり前ではないと認識したり、だからこそ有り難いと感じたり、そして自ら行動して愛を与えたいと思ったり。

そうやって自分の中で無かった、意識というものが芽生える、という経験をしてきました。

行動の手前の、無意識が意識に変わる道中。これを、一つずつ、自分の体で感じていくことで、自分の行動によって、自分が得たい変化を生み出していけるのです。


書くと認識できる

“意識を持つ”ということが、難しい。

私もそうでした。だって、今までずっと、人に感謝をするってどういうこと?っていうような人間でした。今でも、人間としては未熟ですが。

当たり前に有るものに感謝をするとか、感謝をすれば変わっていくとか、言われたことをやってみても、全てにおいて、実感できませんでした。

これは、私が、心の底から感謝が湧き上がってくるという実感を持てていないからなんですよね。

もっと言えば、感謝を持つ前に、自分は何に対して、どんなふうに思っているのかという認識がないから、そのあとの行動にも意味がなく、空っぽの状態だったということです。

ここに自ら向き合う上で、一番簡単で、尚且つ、ちゃんと実感できるのが、”書く”ということです。

先ほど、話したように、人間ってせっかちなんで、実感できるまでの時間が長いと耐えきれない上に、自分が何をしたかったのが忘れがちなんですよね。

だからこそ、書くのです。

自分が見ている景色、嫌いなあの人、好きだと感じる人、悩んでいること、スルスルとそれらが出てくると、ちゃんと自分の心を認識できます。

だから、どうなりたいのか、ということも。


自分の中から行動する意思を生み出す

人の言葉に感化されることが悪いわけではないし、なんなら私は、皆さんに向けて、行動のやり方をこうして少しシェアしているわけで。

でも、あくまでも、他人の言葉というのは時限爆弾なのです。

時限爆弾を手にしたから、早急に行動しなきゃ。
こうして、力付けられるだけでいいのです。

そのあとは、全部自分の中から出てきた言葉を軸にしていけば。

誰かが伝えたい行動という中身には、その人の人生の物語が詰まっていて、その人が見てきた景色が流れている。

けれどそれは、私たち、あなたたちがそれぞれに思い描く未来ではないのです。

誰かは、小さな落書きから始めて絵描きになったかもしれないけれど、
同じように絵描きになりたいあなたが最初にしなければいけない行動は、落書きではないのです。

あなたにとって、絵とはどんな存在でしたか。
あなたにとって、絵を描けない時間はどんな時間ですか。
あなたにとって、絵を描くということは、何と同じですか。

こうやって、自分の中に混在している、想いを洗いざらい書くことを通して出していくのです。

そうやって、認識していくこと。
そうやって、意識していくこと。
そこから、あなたがなりたいあなたへ向かう適切な行動が自分の中から、生まれていくのです。


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