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TOKYO世界のことと、今の感情を出せない現代について

今日は、オートチューンの話を。(なんで)
音楽やらなんやらの話をしながら、書くことについても少し。


TOKYO世界という方をラップスタアで拝見してから、密かに応援している。

世論というのは、どこからどこまで指すのかはわからないけれど、肌感として、彼の音楽を「オートチューンかけすぎ」と言っている人が多いように感じる。

まあ、絶対オートチューンについて書いている人いるだろうなっていうバイアスと共に見に行く私の捉え方ももちろんあるのだけれど。

そんな私はどう思っているかというと。

「わかってないなあ、オートチューンが音楽の幅を広げて概念を超えていくんすよ〜」と、酒を飲みながら、嘲笑していたりする。

あ、彼のYouTube置いておきます。(布教)


で、話を戻して、彼を初めて見た、ラップスタアという番組に出ていた時の話を。

その時に、実家でインタビューを受けてる映像だったり、TOKYO世界が自分の生い立ちを語るシーンがあります。

彼は自分のことを「人よりもトロい」と表現していました。

人と違うこと、他のみんなは簡単そうに何でも飛び越えていく姿を眺めること、やっと何かを始めてみたときに、一番最初に自分を産んだ人間に否定されること。

あー、痛いよね、って気持ちで彼の音楽を見て聴く事も多々ありました。

お前のせいで自己嫌悪やいじめ何もできなくて、俺はまじ死にてぇ

「親になる君へ」 / TOKYO世界

TikTokでよく、ラップスタアの切り抜きが流れてくるのですが、ついコメント欄を隅々まで見てしまいます。(良くない癖)

HIPHOPを語ってる人がいたり、それこそオートチューン毛嫌いしている人もいたり、色々といるのですが、

こういうバックボーンとかネガティブ感情をぶつけてるうちはな〜みたいなものを見た時に、ふと思ったことがあります。

「あー今って、必死になることがダサくて、何となくやってみたらできた、最初から天才やったみたいな人に憧れたり、求める風潮があるよなあ」と。

ネット用語を例に説明すると、

憧れちゃった系:ネットでバズっている人や有名の人に憧れてそういうのやってみたかったんだねという意味。

逆張り:これも最近ですよね〜耳にするようになってきたの。何かに対しての主張で、大衆と違っていたら、「逆張り?」「逆張りの自分かっこいいと思ってそう」みたいに、“敢えて“違う角度から主張していてると思われているという意味。

痛い:これは昔でも言ってたけど、今でもみんながこの”痛い”ってことに敏感なんですよね。もっと言えば、共感性羞恥とか。この顔でこれをやってる、その技術でそれを披露する、そのレベルで英語で動画を出す、とか言い出したらキリがないですが、他人が自分だったら勇気がなくてできないということを都合よく、相手を責め立てる言葉に変換したものがこれです。

まあ、こんな感じでネットで評価されるから、不完全である部分の表現とか、頑張っている過程の露出とか、感情的になってる自分とかは見せないっていう風潮があるんですよね現代って。


で、ここに対して私は常にこう思っています。
「そういう自分が痛む時期に、ちゃんと痛いって言うことでしか生まれないものってあるんだよ」って。


「どうせ、今だけ」

これも、まあ、よく聞く言葉ですよね〜
何に対しても言えることだけど、彼の音楽に対してだと仮定すると、人気が今だけ、と主張する人もいるだろうし、こういう感情も今だけのもので後から恥ずかしくなるよ、とか言う人もいるんですよね。(てか実際にそんなコメントも見た)


でもさ、当たり前なんすよ、そんなこと。

だって、今生きて、今表現してんだもん。

現代では、感情を外に出して生きてる方が、異質で目立つなんて、ほんとどうしたもんだろう、と思う今日この頃。


書くことについて、ちょろっと触れておくと、
黒歴史って言われるようなこととか、私も山ほど書いてきました。

ポエマーとか言って笑われてきたし、自分でも昔のノート見返してキモって冷めた目でみて、速攻ゴミ袋に入れたこともあります。

だけどね、大事なのは、未来にどう思うかとか、過去を振り返った時にどうだったかじゃなくて、いまこの瞬間自分が救われるなら、書けばいいし、叫べばいいの。

言葉になってなくても。

創作だって、流行りとか、ダサいとか、誰かがすでにやってるからとか、そういうこと関係なく、自分の感情の捌け口として利用してもいいし、全く別の世界で生きているかのように、創り出したっていいんだよ。


私が昔から好きなアーティスト、清水翔太もそういえばオートチューンかけすぎとか言われてる時期もありました。(アルバムによって)

でも私は、オートチューンによって広がっていく世界が大好きだったし、歌詞とかメロディーとかリズムとか、音楽の中にあるそういうものたちと融合して、音楽という枠組みそのものを超えていくようにも感じていました。

人の好みによる、と言われればそれまでですけどね。
オートチューン愛と、最近見つけたラップスタアの話でした。

HIPHOPとは、みたいな哲学に見せかけた批評は人生で一度もしたくないと思っているけれど、常にこうやって新しい音楽や人に出会うアンテナを機能させていたいし、その都度語っていきたいと思っていたり、します。


p.s 他にも推し的なアーティストはいるのですが、その話はまた今度

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