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私が死なないで生きてこれた理由
まずはじめに、今日は少し、生きるとか死ぬとかそういう強い想いに触れたり、過去を振り返るので、希死念慮が強い方やメンタルが不安定な方は、ご自身とご相談の上、見るか否かを決めてくださいね。
書いてきた数
結論から言うと、私が今死んでいないのは、生きているのは、”書いてきた”からです。文字を書く、言葉を書く、もちろん絵を描くことも。
これまでの人生の中で、書いている最中の三分の一もしくは半分くらいは泣いていたと思います。そんな私が書いてきた数。
これを書き始めた時、なんとなくnoteの中で投稿した記事の数を数えてみました。すると、まさかのちょうど100記事でした。
⤵️ moyami ✍️
4年以上前からずっと書き続けてきたnoteのアカウントです。この記事のアカウントとはまた別なので良かったら覗いてみてください。そして、今でもずっと書き続けています。誰の目も、意見も気にしない自分の感覚の吐き出し口として。今ここでこうして、誰かへ向けての言葉を書けるのは、紛れもなくこのアカウントで、生死を彷徨いながら”自分”を模索していた歴史があるからです。
「死にたい」は嘘だった
私は、色んなSNSを使って「死にたい」と呟いたことがあります。初めてその言葉をネットに書いた時のことは覚えていないですが、ネガティブなことを書くと、優しい言葉が返ってくるという快感は今でも覚えています。
私たちはどれだけ、「どうせ誰も私のことなんて気にしていない」と思いながら乱暴な言葉を書いたとしても、その裏では「優しい言葉をかけられたい」という欲求が存在しています。
つまり、どういうことかというと、いつからか、こういう言葉を言えば優しくされる、もしくはこういう不幸についての話だったらもっと優しくされるかも、というふうに学習したり、実践していくようになります。
でも人間は、与えられるだけでは、何かをずっと受け身で受け取り続けるだけでは、満たされない生き物なのです。
ですから、「死にたい」という言葉をSNSで呟く時、そこに返ってく言葉があればあるほど、自分の心は空っぽになっていきました。
⤵️私の希死念慮が一番強かった時期に書いたnote✍️
これを書いていた日は、コロナが始まって緊急事態宣言が出た頃でした。家族との関係も最悪だった頃、私は、茉亜弥は、何故生きているのだろうと思いながらベッドの中で書きました。
「死にたいとそれ以外の狭間で生きている」
このタイトルに、あの頃の私の気持ちが詰まっています。「死にたい」とSNSと呟く時の気持ちとは全くの別物、死にたいだけじゃなかった、気持ちが溢れ出したnoteです。
分かってもらえない尊さ
今まで、SNSで呟くとその先にいる人から返ってくる言葉を望んでいたのが、noteを書くようになってから、初めて誰かに見て欲しい、こう思って欲しい等の気持ちを持たずに自分が思っていることを書くことができました。
100記事以上にわたるnoteの中には、仕事の休憩中にこの世の矛盾と理不尽に苛立ちを覚えながら書いたものもあるし、忘れられない恋人を思い出しながら傷跡を舐めるように書いたものもあるし、度々私にとって深く傷付けられた要因である家族という概念について書いたものもあります。
私は人生の中で、”分かってもらえない”ことに憤りを感じることがとても多い人間でした。
思っていること一つとっても、価値観にしても、未来への願望にしても、家族にも友人にも、「分からない」と言われ続けてきました。
私は、いつからか、分からせることが目的になっていたし、”共感”が得られれば居場所が見つかるとか、何だかそういうふうに思っていたのだと思います。
しかし、今では書いてnoteを読みながらこう思います。
分かってもらえないことが多いなんて、そんな尊いことないね、と。
分かってるふりをされるより、分からないと言ってもらえるなんて、それで十分ではないか、と。
絶望を言葉にして出会ったもの
人目を気にせずに自分のありのままを書けるようになったのはいいものの、それらはネガティブや絶望、嫉妬、恨みで溢れていました。
これは、今ジャーナリングについての発信をしている中で一番多い質問/感想だと思うことですが、「自分の中から汚い感情が出てくることと向き合えない」「感情を言葉にするのが苦しい」「書いてもどうせネガティブなことしか出てこない」という類のコメントがとても多いです。
私自身も過去のnoteを見返した時に、黒歴史というか、なんか、痛々しい気持ちになることってあるんですね。こういう言葉よく書けたな、とかも思います。
けれど同時に、このネガティブや絶望を言葉にしてきたからこそ、今、自分がどういう価値観を持っているとか、人生観はどうとか、自分はどんなふうに生きていきたいとか、そういうことを言葉にできるのだと思っています。
絶望を絶望として、味わったからこそ、絶望として言葉にしたからこそ、じゃあ、私はどう生きたいの?という問いを自分自身に立てられたのです。
このジャーナリングする上でのネガティブ感情との向き合い方はまた別の機会にまとめたいと思いますが、ネガティブなことを書くことに躊躇している人がもしいたら、
ネガティブが心の中に少しでも在るのならば、それを無視してポジティブを語ることは、結局どこかで自分がその痛みに耐えきれなくなると思います、と伝えたいです。
書かなければ、ずっとネガティブではなかった、という自分にさえ出会えませんでしたが、今だからこそ、「私が絶望と思うのならば、そう書けば良い」と思うことができます。
最後に
こういうのって、なんかもっと、マインドが180度変わりましたとかそういう文言つきで語るものなのではないかと、書き終わってから思いました。
死なずに生きてこれた私ですが、こうして書いてみると、特段「生きたい」という言葉も出て来ませんでした。でも、これが私のリアルであり、そのままなんですよね。
これは別に、ネガティブな話ではなく、ニュートラルな状態であるということです。ただ別に、生きることにも死ぬことにも、快や不快や、特別な意味を見出していないのです。
ということで、私と、書いてきた歴史の一部を見て頂きありがとうございます。
皆さんにとっても、書くことが自分を救う一つの手段でありますように。
p.s ジャーナリングのやり方を0から100まで解説したnoteか、書くを発信していきたいと軸を決めたきっかけnoteか、どちらを先につくろうか悩み中。
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