巡礼はキリスト教徒でないといけないの?day18カルザジージャ デ ラ クエッサ~サアグン(+22Km/405Km)/総務課長も歩いてスペインを横断しよう
1年前の今日は修道院に泊まりました。キリスト様の像の下で下世話なYOUTUBEなど見る気も起きず、おとなしく過ごしました。
こんにちわ、相馬といいます。
昨年(2022年)、スペインの巡礼の道を1ヶ月ほど歩きました。
さして長い距離を歩いたわけでもないのにけっこう疲れたこの日。2軒ほどのアルベルゲ(巡礼者用宿)は満員で、修道院系のアルベルゲに泊まることとなりました。チェックインの際にワークショップ、ミサ、食事という3つのメニューを提示され、どれも「出たければ出てください」というオファー。
修道院系のアルベルゲではそういった宗教的なイベントがあり、それはマストであったり、ここのように「出たければ」であったりということは聞いていて、泊めていただくからには「出させていただくのがいいのだろう」と思いながら、結果、疲れのあまり寝てしまいパス。その時間にうつらうつらとしながら「すみません。出られません。」と思った記憶があります。
その前に町でビールやワインを飲んでいたのでその時点で「巡礼者失格」といわれてもしょうがないのですが(さらに、読まれてる方はご存知の通り、どこでも飲んでますし)、では巡礼者がキリスト教徒としての作法を守る必要があるかといえば、そうでもないといいなぁと思っています。(それを独りよがりな考えという方もいらっしゃると思います。なお、教会などでは帽子を取り、一礼をするといった最低限なことはしています。)
ゴールした後のことを先にお話しすると、私はこの道を歩いたからと言ってキリスト教徒になろうとは思いませんでしたが、自分にたくさんのもの(精神的なことも含め)をもたらしてくれた巡礼。そのきっかけとしての「キリスト教」にはとても感謝しましたし、それは1年たった今でも変わりません。
それをもってキリスト様が、ヤコブ様が、私のこの巡礼を許してくれたらいいのですが。
(なお、キリスト教徒ではなくても巡礼に来て良いことは公式に歌われており、よってキリスト教徒でなくても巡礼証明書はもらえます。)
2022年9月5日のメモ
昨日、絶好調過ぎて調子にのって長距離を歩いてしまった結果、足の裏が痛かったり、久々に筋肉痛になったり。
1週間前に置いてかれたトレランのオネーさんたち発見。追い付いた。
何件か宿が一杯で、泊まれたのはガチな修道院系。いくつかのキリスト教的アクティビティを勧められるも、寝てしまって結果、全部パス。
部屋が高潔すぎて下世話なYouTubeとか見る気分になれない。
ちょいちょい食べてた豚肉の焼いたやつ(トレスノス)は、アンダカシー(沖縄の豚の油身を揚げたお菓子)でもある。
久々に自炊。ハンバーグをわさび醤油で。
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