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小説『スーツケースの半分は』〜何のために旅をするのか〜

海外旅行ができない。

そのことに、ストレスを募らせている人も多いのではないか。

こんな時こそ、本の世界で旅をしたい。
書店に平積みされた本の海の中に、きらりと光る鮮やかな青のスーツケースの挿絵を見つけて、引き寄せられるように手に取った。

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主人公は"幸せの青いスーツケース"。
その相棒と共に、各話異なる女性が各国を旅する物語。

憧れのニューヨーク、憩いの香港、虚しいアブダビ、恋するパリ、どこか懐かしいシュトゥットガルト。

旅には様々な目的がある。様々な形がある。
あっていい。
そんな当たり前のことに、改めて深く肯くことができた。

何のために旅をするのか。
「ひとりで行きたいところに行ける自分になりたかった」
「丁寧に、大事に扱われたかった」
「日本にいる時の自分を脱ぎ捨てたかった」
「その土地の笑顔に出会いたかった」
「恋した街に愛されたかった」
「取り残される孤独から解放されたかった」
「満たされているからこそ飛び出したかった」

その"目的"ははじめから決まっているわけではなくて、旅の途中にふと自分の中に浮かび上がってくる。

私は旅の楽しさを、フランス人から教えてもらった。
「日本人は何故あんなに忙しそうに旅行するのか分からない。有名な観光スポットを一瞬見て写真撮って終わりだなんてもったいない。フランス人はバカンスの時間をたっぷり取って、どこへも出かけず、暮らすようにのんびり過ごすのよ」

初めての場所は観光スポットにも行きたくなるし、「ここに行ったことがある」という充実感が欲しい気持ちも分かる。

ありがたいことに旅行好きの両親と出かけることが多かったが、私も幼い頃は、寂れたリゾートに来て嬉しそうにしている親の気持ちが理解できなかった。それよりおもちゃを買ってもらいに行きたかったし、プールや海に早く入りたかった。


けれども今は、"暮らすように旅をする"ことにより一層魅力を感じるようになった。

モットーは"郷に入っては郷に従え"。
現地に行ったら現地に即した服装をする。
観光客に人気のレストランよりも、地元の人に愛される地のものが食べられる店を探す。
高級ブランド街より地元のスーパーを覗きたい。
できる限り、その地の素の姿を見てみたい。

そして、どこへ行くか、よりも誰と行くか、の方が重要な場合もあると知った。
旅に関して同じ価値観を持つ人と一緒にいれば、何をしていても楽しい。部屋で飲みながら笑い転げているだけでも、充実したひとときになる。

とはいえ、私はかなり臆病な方なので、そんなかっこいいことを100%実現できるわけではない。
サバイバルできる度胸もないし、ましてやひとり旅すらしたことがない。そこには小さな憧れや不安や嫉妬や恥じらいが入り混じりながら隠れている。

私と同じような思いを抱えながらも、プライドを持って果敢に出かけていく女性たちの姿に勇気をもらう。

1人で計画するのだから、想定外のトラブルもある。

初めての色、音、味。
見慣れないものに囲まれて高揚感を覚え、自分が大きくなった気になることもある。
トラブルをなんとか乗り越えていくと、きっと何でもできる、どこへでも行けると錯覚する。
けれどもはっと現実に気づく。ひとりでは何もできないのだと。井の中の蛙だったのだと。
目をそらしていた自分の内側の甘えを突きつけられて愕然とする。
旅は見たくないものまで見せてくる。

文化も言語も異なる知らない土地に行くと、やっぱり自分がとてもちっぽけに思えて、不安でいっぱいになる。
戦えるのは丸裸にされた自分だけだ。
そんな時、今まで培ってきた力が無意識のうちに発揮される。手を差し伸べてくれる現地の人との温かな交流がある。
音楽も演劇も国境を超えて身を助けるのだと知れたのは海外に飛び出したからだ。
旅はほんの少しの自信を持たせてくれる。

ほんの何日か別の場所に自分を置いただけで偉そうな顔をして人生が変わったと言うなんてバカげている、という人もいるけれど、人生が変わる旅だってあると思う。

旅は、人生の中で常に隣にある。
子供の頃は親にただついて行った家族旅行、
成長するにつれ修学旅行や部活の合宿、大学の卒業旅行、社会人になってから休みを取ってまで行く旅行、出張。
自分と向き合うための一人旅。
さらにステージを経れば新婚旅行、自分の子供を連れての家族旅行も経験するのだろう。
80を超えた祖母も、軽々と地球の裏側まで足を運んでいる。

「子供が生まれたら思うように旅行ができなくて嫌じゃない?」と親に聞いてみたことがある。
「子供と一緒だからこそ楽しめる旅もある」と笑いながら返された。

思うように旅ができない今こそ。
旅を通して自分を見つめることの大切さ、
普段は通り過ぎる小さな煌めきに気づく大切さ、
その尊さを、忘れたくないと思った。

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