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誰にでも優しい人は信用すんなよ

去年の丁度今頃だった。
僕は仕事で大きなミスをして、もうどこの部署の誰かも分からないような会社の人にまで状況説明をしたり、謝罪に回ったりしていた。
名前も顔も知らない会社の上の人に電話で叱責され、謝罪している時は頭を空っぽした。
毎日毎日謝罪していると、申し訳なさも次第に薄れていき、誰に謝っているのかも分からない状況に面白くなってくることさえあった。
そんな風に、初めのうちは「どえらいことになった」と頭を抱えていたのだが、時間が経つにつれて事が大きすぎて人ごとのように思えてきて、落ち込んだ気持ちも薄れていった。
ただ、社内では犯罪者を見るような目で見られ、上の人達から疎ましく思われているのを強く肌で感じて居心地は悪かった。
普段は優しく接してくれる人達も明らかに自分を避けていて、陳腐な表現だが〈透明人間〉になったような気がした。
問題が起きてから2週間が経過し、僕の預かり知らぬところで問題が収束し始めた。
その頃、僕は本社に提出するための顛末書を書いては再提出を命じられる毎日だった。
「何時何分に発生したのかも詳細に書け」
「反省が伝わるように書け」
「二度としないという強い思いが伝わらない」
「顛末書を書いている時間も給料が発生していることを忘れるな」
顛末書の下書きをメールで送る度に、顔も知らない人から「差し戻し」という件名のメールが短い文章とともに届いた。
そして、そんなラリーを数日続けたところでようやく、「受け取りました」と返信があった。
そのメールを受け取った時は22時を過ぎており、広いオフィスには僕と上司の2人だけが残っていた。
「顛末書、やっと受け取ってもらえました」
問題の事後処理に追われる上司に報告をすると、「やっとか…」とこちらを見ずに答えた。
「色々とご迷惑をおかけしてすみませんでした」
上司に対しては本当に申し訳なく思っていたので、改めて心からの謝罪をした。
問題が起こったことを報告した際、上司は特に追及せずに、「それは、やばいな」とだけ言ってそれ以上のことは何も言わなかった。
その反応が、むしろ怖かった。
僕が真剣な顔で謝罪をすると、体を僕の方に向けた。
「もうええって。ほな、ある程度片付いたことやし飲みにいくぞ」
上司は笑顔でそう言った。

いつもの立ち飲み屋に入り、荷物を下ろすやいなやビールとハイボールが出てきた。
入社してから何度も通っているこの店では、つきだしより先に僕にビール、上司にハイボールが出てくるようになっていた。
僕と上司は「乾杯」の代わりに「うっす」と言ってグラスをコツンと鳴らして一口目を飲んだ。
「お前、どえらいことやらかしたなぁ。前代未聞やで」
上司はネクタイを緩めた。
「ほんますいませんでした。ほんまに」
「やからもうええって」
上司僕の背中を軽く平手打ちした。
「ちょっと俺の給料が減って、俺の評価が下がって、俺が色んな人に謝りにいかなあかんだけや」
上司は二口目のハイボールを飲んだ。
「ほんっまにすいません…」
「嘘やって。いや、嘘ではないけどな。まあとにかく、気にせんでええよ。いや、やっぱりちょっとは気にしろよ」
「はい」
僕がそう答えた後、右ポケットが振動した気がして社用ケータイを取り出したが着信は無かった。
その頃、各所からの電話が鳴り止まず、なんでもない時にでも右ポケットに入れた社用ケータイが振動している気がしてしまう病にかかっていた。
「お前、会社でめっちゃ厄介者扱いされてんで」
「知ってますよ。Aさんでさえ挨拶も返して貰えんようなりました」
「問題児やもんなぁ」
上司は笑いながらそう言って、話を続けた。
「まぁ、優しい人は信用すんなってことや。誰にでも優しい人って、一番信用ならんからな。勉強なったやろ」
「まぁ、そうっすね。全員敵に見えますわ」
「結局、ええ人って言うのは、自分にとってええ人かどうかでええねん。俺はええ人ではないけどお前にとってはええ人やろ?」
「自分で言うすね。でも、ほんまにそうです。他の人は、ほとんど嫌いになりましたね」
事実、その頃は本当に人が嫌いになった。自分が原因ではあるが、ストレスで肌が荒れて、飯があまり食べられなくなっていた。
「俺も若い頃は結構やらかしたけどさ、そういう時は全部人のせいやと思うようにしてたわ」
「この件は完全に僕のせいですけどね」
「それでも、自分以外のなんかのせいにすんねん。自分は悪くないって思い込むことが大事やねん。そう思えたら、もうなんも怖ないから」
「そんな考え方、僕出来ませんわ」
話をしている間、テーブルの上の上司のスマートフォンは奥さんからの着信でずっと振動していた。
「てか、ずっと電話なってますよ」
「気のせいや」
「僕のは気のせいですけど、ほんまにずっと鳴ってます」
僕がそういうと、上司は僕の頭を強めに叩いて、「気のせいや」ともう一度言った。
奥さんからの着信があってから、上司の酒を飲むスピードが上がった。
ジョッキに残ったハイボールが3分の1になったところで、注文する前に新しいハイボールが運ばれてくる。
ある程度酒が回ってきたところで、僕は聞きたかったことを聞いてみた。
「なんで怒らないんすか?ブチギレられてもおかしくないと思うんですけど」
僕がそう尋ねると、上司は僕の方を見ずに答えた。
「だって、どうせ色んな人から怒られるやろ。何回も怒られることってほんまに意味ないからな。俺はお前のこと気に入ってるから、少なくともお前にとってはええ人であろうと思ってんねん。ほんで、俺くらいはお前の味方でいたろうと思って」
それを聞いて、泣きそうになってしまった僕は必死に涙を堪えた。
そして、それを誤魔化すようにネクタイを緩めながら言った。
「わざと、泣かそうと思って言ってるでしょ」
「バレた?ドラマで熱い上司が言いそうな台詞やろ」
「クサイっすよ」
僕がツッコミを入れると、「舐めた口聞くなよ」と笑いながら軽くゲンコツをされて、2人で笑った。
テーブルの上の上司のケータイは、まだ振動を続けていた。















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