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【仕事・読書録】若手社員の離職率。定着率を上げた方がいいのか考。そして「道」を極めるという話

こんにちは。

私は現在産休中ですが、産休直前まで会社の業務改善コミッティーみたいなものに入っていました。何をするかというと、社内アンケートをもとに我が社の今後の課題だと思われる項目をピックアップして話し合い、人事と上層部にあげようというもの。


話し合いテーマの中で今期選ばれたものの一つが、若手社員の定着率を上げるためにはどうしたらいいのかというもの。弊社は新しめの外資系で、ほぼ100%が中途採用による入社です。英語が必須なのと、専門の内容的に転職しやすいということもあって最初の2〜3年で色々な経験を積んで、その経験をもとに更に年収のレンジが高い業界に行ってしまう人が結構多いというのが現状です。

この若手の定着率をあげるという課題について、残念ながら私は途中で産休入りしてコミッティーとしての結論を出せずじまいなんだけど、産休中の頭(思考回路)にだいぶ余裕のある今、色々と一人で考えています。

そんな中で今読んでいる本がこちら。



弊社の若手離職問題と、年収の話

コミッティー内での話し合いの中でも頻繁に出て来た言葉がそう、「モチベーション」というもの。

正直個人的には「全体的に年収を大幅アップすれば離職率自体は多分もっと減る」というのが1番簡単で確実な結論なんだけど、それ以外の部分で改善していきたいと議論を進めていくとするとモチベーションというものに行き着くようです。

実際、確かに入りたては年収は高くないものの毎年の昇給率は実は結構良くて、3年以上在籍していればトータルで見るとかなり年収は上がります。例えば5年のうちに転職を重ねて年収アップを実現した場合とずっと弊社に居続けた場合、下手したら実現できるトータルの昇給額はトントンか転職以上。

でもこれにも実はカラクリがあって…結局3年以上在籍してて今も続いてる人というのは、2〜3年内に昇格するような仕事の出来る人(というか、自分の適性と仕事がマッチしていて早々に昇格のための条件をクリア出来る人?)。年収が大幅アップするのって結局は昇格のタイミングなので、そして弊社の場合は年次で自動的に昇格するわけではないので、2〜3年頑張っても昇格しない人の年収額は大幅アップが望めないということになります。それだったら、会社として、業界として、元々の給与レンジが高いところに転職した方が本人的には都合がいいという結論になるのだと思います。もしくは、同じ役職で今までと同じことを続けていくよりかは新しい種類の仕事をやってみたいとか、同じくらいの給与でもよりワークライフバランスを取れる会社でのんびり働きたいとか。


そう考えてみると、果たして若手のモチベーションを上げることが離職率ダウンの解決になるのか?そもそも、若手層の回転率が高いことは改善すべきことなのか?と思い至る訳です。


仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか


「仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか」の本でも、「モチベーション」という言葉を持ち出して社員を教育しようとしたり鼓舞しようとしている時点で、根本的に問題となる部分に目を背けているだけで現状把握せずに社員自身のモチベーションのせいということに責任転嫁してるだけ…と、ある意味厳しい意見が述べられています。

そもそも、仕事が本当に出来る人というのはモチベーションというものをわざわざ持ち出していない、というのです。

結局、 モチベーションという言葉は、“思考停止のキーワード“ともいえる。便利な言葉なので、安易にその言葉に飛びつきがちなのだ。


この本を読んでいて、紹介されているいろんな事例を読んでいく中で「確かにそうだな…」と思い当たる事が私自身にも、周りを見ていても思ったりしました。

何というか、私の会社でも、仕事が良く出来て、かつ転職せずに残る人達って言うのは、やる気に満ち溢れたタイプって少なくて、割と淡々と仕事をこなすようなタイプが多い。良くも悪くも、第一印象は目立たないと言うか、おとなしいというか。実際に業務を振ってみて、そんなに出来るの!?とびっくりしたり、表立ってやる気モリモリ感が全くないのに結果色んな新しい業務を積極的に引き受けてくれて超スピードでスキルアップをしていく。

本人たちが高いモチベーションを持っているかどうかは外からはあまりよく見えないし、現状に満足しているのかただ転職が面倒なのか、何なのかは分からない。しかし結果として、やる気を見せてやりたい事を声高に主張するタイプの人たちは辞めていき、そうでない人たちがなんだかんだで残ってる。本書でも、似たような事が書かれてる。

仕事上、数多くのハイパフォーマーの方々にインタビューをさせていただくが、ハイパフォーマーはもちろんモチベーションが高めの人が多い。しかし、成果へ向けてガツガツとした人は意外と少ない。どういう人が多いかといえば、いわゆる“〝 飄々とした人”〟 だ。 モチベーションが低いわけではないが、肩の力が抜けている、ガツガツとしていない。やる気を前面に出していないので、一見やる気があるのかどうか、よく分からないことすらある。

モチベーションがあるかないかに関わらず、続ける人というのはいい意味で働く事自体に多くを期待しすぎずにそう言うものだと割り切って、続けていく事に舵を切っている、というだけのことかもしれない。


新しい労働観とは


本では、モチベーションに頼った仕事への労働倫理をもとに物事を考えたり行動したりするのではなく、仕事というものを茶道や武道のようなある意味での「道」のようなものと捉えて(理由や意義を問うことよりもまずは)淡々と型を覚え、職人的な誇りは持ちつつも多くは期待せずに日々鍛錬をつんでいくことを、これからの働き方として提案している。

 では、どのような労働観が候補となり得るのだろうか。労働の捉え方には大きく二つの方向性がある。所得を得るための手段、余暇を楽しむための収入を得るための手段と割り切る方向が一つだ。(中略)
 もう一つの方向は、生活の中心となるほど多くの時間を割いている以上、労働そのものに意味を求める方向である。「やりがい」や「自己実現」を求めていく方向だ。余暇との対立で労働を捉えるのではなく、むしろ余暇と同じような楽しさを労働にも求めていく方向である。現代社会は「自己実現」思想が覆っているといってもいい状態であり、この方向は不可避のようにも思える。労働を通して個人的欲求を満たしたいとする「自己実現の労働」の方向は現代社会において広範に現れており、知的労働の増加によってなお拡張の方向にある。
 (中略)「自己完成」については、自己に関することではあるが、物質的欲求や顕示欲を満たす類のものではなく、労働という行為を通して自らの成長を図り、社会へ還元していく方向である。この「自己完成」の観点は、長期間かけて成長していき、やがて一定の域に達するということで、武道や茶道などの「道」に通じるものがある。何かを極めたいという欲求は、誰しも根源的に持っているものだ。ただし、「自己完成」という言葉は、「自己実現」のイメージを想起させがちであり、ともすると結果に目を向けがちであるため、よりプロセスに意識を向け自己中心的イメージから離れるためにも、この観点は「〝 道〟 としての労働」と呼びたいと思う。そしてもう一つは「他者とのつながり」である。労働の持つ社会性を表わしており、この観点を「〝 つながり〟 としての労働」としたい。この二点を「勤勉倫理」に代わる、「新たな労働倫理」として提示したい。

ここで私自身の話をすると、ご多分に漏れず入って2〜3年あたりで転職しようか悩んだ時期がありました。もっと別の会社に転職したほうがワークライフバランスが取れるかもな?キャリアアップ出来るかもな?年収あがるかもな?と色々考えては、自分の方向性が見えずにモヤモヤしてた。

外資系専門のリクルーター達は、LinkedIn やメールを通じて次々と新しいcareer opportunitiesの紹介や転職の打診の連絡を送ってくる。いつもはスルーを決め込んでいるけれど、自分の中で迷いがあるときってそういう誘いにのってしまうというか。ついつい情報を追ってしまったりする。

結果私の場合は結婚や妊娠などのタイミングの問題で今の職場にとどまる結果になったんだけど、あの時転職が決まってたらどうなってたんだろうな?と思ったりはする。あの時転職しないという選択をして、1回目の育休を経て、今振り返ってみると留まって良かったなと思う部分はたくさんあるし、現状満足してる。でもそれはある程度の時間が経って、あとから振り返ることで始めて理解できたことでもある。そして、その理解自体、ある意味で生存者バイアス的な何かかもしれないし、本当のところはそれがベストだったのかは分からない。

でも結果としては続けるということを私は選んだし、それによっていい意味で多くを望まなくなったというか、楽しさややりがいに関わらず続ける事自体の大切さを学んだ気がする。違う言い方をすれば、腰を据えて頑張ろう、続けようと、自分の中で「決める」事が出来るようになった。


私の母から学んだ「道」の話

ここで私の母の話をしたい。というのも、母は「道」の考え方を地でいくひとだから。

母はなんだかんだで私が子どもの頃から今に至るまで仕事を続けてきたし(パートわアルバイト含め)、習い事として「道」と名のつくものばかりを続けている。

彼女の中では仕事をするうえでの人生のテーマみたいなものがある。それは「人の生と死」なんだけど、それに従って今まで仕事を選んできていた。母が若くて我々子供達も小さかった頃は赤ちゃんに携わるような仕事。子供達が成長するにつれて柔軟な働き方をしなければならなくなってからは資格を取ってケアマネージャーになり、利用者さん達のサポートをしながら色んな利用者さんたちが歩んできた人生を振り返ったり、死に立ち会ったり。

実家の稼業によって外の仕事が続けられなくなった今は、たまにボランティアとして後見人の仕事をしたりしてる。

会えば愚痴はたくさんでてくるし、毎度毎度順風満帆なわけでは決して無いようです。別に金銭的にそこまで困ってるわけでもないのだから嫌なら辞めたらいいのにと言ったこともあるけれど、そうすると母は「仕事は『道』のようなものだから、嫌だから辞めるとかそういうものでもない」と言っていました。

そういう価値観だったからこそ、嫌なことや大変なことはたくさんありつつも自分の中で経験を咀嚼し、何かしらの学びとして後から理解しようとしていた。

これは仕事に限ったことではなく、習い事に関しても同じで。習い事なんだから好きじゃないことはやらなければいいのに、と私なんかは思うわけだけど、彼女からしてみたらそれは好き嫌いに関わらず自分の鍛錬のために続けていることらしい。

そういう母を見てたからこそ、(それまでは好きとかモチベーションとかで根無し草のようにフラフラしてた自分だけれど)、ある一定のタイミングで「よし、続けることを目標にしよう。道を極めよう」と地に足つけて生きていく決断ができた気がします。


話は戻って、若手の離職率問題

会社における若手社員の離職率問題に話を戻すと、大切なのは仕事へのモチベーションを上げることではなく、本人達が「よし、ここに腰を据えてしばらく続けるぞ」と決める事なのではないかと思います。

で、いろんなタイプの後輩たちを見ていて、必ずしも弊社に居続けることが本人にとってのベストソリューションではないな、という人たちが一定数いるなという感覚もある。

それは、本人たちがもっとあれしたいこれしたい、会社にはこうしてほしい…という思いをそのまま受け入れた感覚ではなくて、本人のもう少し本質的な性質や長期スパンでみた時の今後の方向性を考えた時に、「多分ここではないんだろうなぁ」と感じるというか。

ちょうど入って2〜3年目くらいのタイミングが、方向転換するには一番良いんだろうなというのも分かる。じっさいそこを乗りこえて残った人は、ずっと居続けることが多いことからもそう感じる。

それならもとからそういう素質的な部分を見定めて、会社に合う人、長期的に働く人を採ればいい…というのが理想としては良いのかもしれない。でも、彼らが最初に入社してくる段階では本人たちもその方向性が分かってないくらいだし、一回二回の面接の時間でそこまで本質的な部分までみぬくのってかなり難しい。

出来る限りは努力するけれども、というところ。


だから、私自身の個人的な結論としては、
・面接時点でなるべく素質的な部分までみて続けそうな人を選ぶ努力を(こちら側が)する
・若手を育成していく段階で長期的に見たその人の人生の方向性を探って、それに合わせて今のかいしゃで続けていく決断を出来るよう促す
・今居る場所が本人にとってベストで無いようならチームや部署の変更を打診したり、場合によっては(本人の希望を聞いた上で)転職をするために現職で出来ることをサポートする
のが良いのではないかと思ってる。

文章にするとどうにも抽象的で、なかなか難しそうではあるんだけれど。

私自身は教育学や教師経験のベースがあるし、人をみて育てていくという部分については割と自然と出来てしまうタイプなのだけど、同じことを会社の同役職の人やそれ以上の人たちが出来るのかと言うと全くそんなことはないとも思う。

だから、会社全体としてどうやって指導者側の質を担保していくのかという部分については、依然課題として残るんだろうなとは思います。

まぁ、私は育休中だし経営者サイドにはいないので、どこまで考えても、今はまだ机上の空論にしかならないですが。

復帰した時に個人レベルで自分に落とし込んでいくことと、コミッティ―などを通じて提案を続けていくことが、私に出来ることなのかなと今のところは思います。


おわり。

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