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慎吾ちゃん ブレイクダンス制作イヤー

40年前の1984年は、日本の若者文化に多大な影響を与えた慎吾ちゃんの制作活動が行われた記念すべき年です。   

前年出会い、習得したブレイクダンス。それを人々にどう魅せていくか。人々に「わっ」とインパクトを与え影響を及ぼすにはどうしたらいいのか。1984年は年明けと春先にコンサートツアーがあったので、慎吾ちゃんはそこでの反応を少しずつ確かめながら、観客の心を掴む真のステージングはどうあるべきかを模索していました。

そして出会ったのがハービー・ハンコックの『Rockit』

「生身のダンサーがまるで機械じかけのマネキンみたいに踊り続けるあのステージには、ボクちゃん心底ブッとんじまったぜ。そーさ、そーなんだっ。ステージってのァ、こうでなきゃ!」 風見慎吾 shueisha 1985

さっそく、夏の全国ツアーで一緒に踊ってくれる人を探しに新宿のディスコへ。旧知の劇男一世風靡のメンツでは対応不可能なくらい難度の高いダンスだから、新しい仲間が必要。自分の目で、自分の感性で、ステージを共にする若者を見つけ、選びました。

「最高の仲間を見つけたゾ! 只今ブレイクダンスに夢中です」 「踊っているときの顔見て、いちばん気持ちよさそうにしているヤツを選んだんだ。」 風見慎吾 magazine h, shueisha  1984, 1985

自分で見つけた最高の仲間たち magazine h 1984

ブレイクダンスツアー 1984 パンフレット 

夏のブレイクダンスツアーが終わり「業務」としては解散しても、その仲間たちと一緒にディスコで練習を続けていました

このころ新曲の発売計画が浮上。このとき大将に逆らってまでダンスの導入を主張。運命の『涙のtake a chance』。慎吾ちゃんはこの曲に、それまでの自分の人生で遭遇したあらゆる感動を詰め込みました。今まで生きてきた中で自分の心を捉えたもの、奮い立たせてくれたもの。それらを全部振りに反映させ、踊ることで体内から外へと放ったのです。

「『涙のテイク ア チャンス』にはガキのころからの思い出、いっぱい
つまってる」  風見慎吾  shueisha 1985

自分の人生、自分の物語。誰かから踊れと言われたわけでもない、自分を放ちたいから踊る。そんな自分の姿を見た誰かの魂を揺り起こしたい。誰かの新しい行動につなげたい風を吹かせ、波を起こしたい

湧きあがる 溢れ出る 迫りくる はしゃぎまわる 弾け飛ぶ!

magazine h  1985

「風見慎吾さんは自由なんですよ! 好きに踊って!」「何て自由なんだ! 僕はこんな人になりたい!!」
TAKAHIRO/上野隆博 シューイチ NTV 2022年5月15日

それが慎吾ちゃんのブレイクダンス。1984年、40年前の確かな青春。