自分の人生=自分の責任

私って、ブログを書き始めると、1つの話なのに毎回長い。前置きも長いし、説明や感情表現に繋がる言葉は、いつも多くしてしまう。我ながら、最近のちょっとした悩みの種だ。ブログを更新する度に同じことを思っていた。だけど、『それが私なんだ』と思っていたし、ブログなんてものは、『私が私の意思でやりたくて始めた』こと。それに対して誰から何を言われる事もなし。だから、そんな調子で私のブログの長文傾向は、更新の都度、エスカレートしているのだと実感している。また、長文のブログに慣れてしまうと、今度は、仕事やプライベート含め、『日常会話を簡潔にすることが苦手なこと』を痛感する。結論、何が言いたいのか、聞きたいのか。『コミュニケーションで大切であろうことが、実際には分かりにくい自分』について、自責の念が生まれた。そう考えるようになったのは、最近の投稿にもある通り『日常会話で【自分の明確な意思】に責任を持ちたい』と強く思うようになったからである。

これまでの私は、日常会話の中で『自分が思ってないことは言わない』とか『嘘はつかない』とか、以前ブログにも書いた『相手の気分を害すタイミングや内容は控える』とかを、なんとなく意識的に気をつけていたと思う。でも実際のところは、『私が勝手に思うこと』に過ぎないと思った。言い換えれば、『思ってないことは言いたくない』とか『嘘はつきたくない』とか『相手の気分を害すタイミングや内容は控えたい』っていう【自分の意思】ってこと。しかしこれらは、【自分の意思】ではあるものの、【自己責任】の認識は確実に低い。その理由は、自分の発言に対して【全て抽象的な意識】だと思うから。【自分の発言の内容に直結した責任を持てる人間】ってのが、今の私の理想。そして、『そんな感覚の持ち主だ』と、私が思う周りの人達は、基本的に話が簡潔だ。要点が、具体的な的を得ている。『自分がこれだけ伝えれば相手に伝わるだろう』みたいな『意思疎通の第1段階』に繋がるイメージ。そこにはもちろん、【本人が責任を持てる】だけの『具体的な情報や内容を抜粋して提示してる』気がする。そんな印象な人達に、まずは『第1段階でも近づきたい』私の気持ちなのだ。

コミュニケーションって、結局のところは、【自分が伝えたいことを、『明確に』相手に伝えてなんぼ】だと思う。それが、互いの意思疎通だと思うし、信頼関係にも直結するはず。極論、『自分が伝えたいことを相手に伝える』ってだけで【自己責任】って発生すると個人的には思う。だって、『どれだけ相手に伝わったのか』を【確認する必要がある】と考えるから。それが、【伝える側の責任】な感じがする。そして、『自分の発言内容を相手に確認する』訳なので、【自分の発言こそ、完結で明確】にして、『お互いに分かり易い方がいいな』ってなった。
そんな風に自分なりの思考に辿り着いた私だけど、実際のところは程遠い。これまでの私の傾向からすると、【自己主張】に近いし『明確に相手に伝える』っていう【自己責任】も低い。日常会話とブログ発信では、そもそもの目的が異なるため、比較の対象にするのもなんか違う気がする。だけど、【自分が伝えたいことがあって、それを受け取る相手がいること】には変わりはない。最近のブログの投稿内容は、『自分の発言に責任を持っていない』ってことが起因していることが多かった。逆を言うと、『自分で責任を持てる発言をしていない』ってこと。そんなことを日々痛感して、早く自分で改善したい思いが強くなっている。

ただ現実は、気づいたからと言って簡単に改善出来ることでもなかった。しかし、なんとなくだけど、『今みたいな発言が【無責任】とか【曖昧】な内容だったかもしれない!』と少しずつ自覚するようになった。自覚が芽生えてくると、今度は、『これまでの自分を反省する気持ち』とか『周りの人達に【無責任】とか【曖昧】な印象を、きっと自分が与えてきたんだ』と振り返る。当時の私は、決して『悪気は無かった』し『無意識だった』けど、なんとなく【不信感】を『与える印象だな』って自分で納得する。本来の『自分の核心的な要素が薄い』ので、【私という1人の人間】に対しての『信憑性も欠ける』気がする。というか、【自分がそんな自分を生きてきた結果】だって話。
なんてことを気づき始めている自分を、今後は【私という1人の人間】として『責任感がある』とか『自他共に明確な人』とかの自分を目指したい。いつか、『明確に簡潔な話が出来る』ようになり、『相手にとっても伝わり易い表現が出来る』ようになりたい。

同時に、【相手の発言に対しても、早く明確な要点を掴める自分】になりたい。私が目指したいと思う人達に対して、今の私は、相手の話を『正確に読み取る』とか『明確に理解すること』とかが難しい。理解出来る時もあるけど、大概は、『少し外れた反応をする』とか『簡潔が故の言葉足らず』みたいなことを『なんとなく探ってみる』とかが多い。たぶん、『要点を掴めてない』ので、『聞いていた話と少しでも違う!』っなると、途端に『自己判断』と出来なくなるのだ。また、『要点を掴めていない』ってことは、自分自身が『理解もしていない』し『具体的な解決に繋げる手段にも辿り着けない』訳だ。
私も、【もういい大人】で、いつまでも子供な訳じゃない。『ちょっとは【自分の思考や行動に責任】を持ってみてもいいじゃない?』って話。【自己責任】や【自己判断】で前進したり、解決したり。『【自分の人生】なんだから【自分の責任】で歩いて生きなさいよ』ってこと。なんでもかんでも他人の話を聞いては真に受けたり、予期せぬ出来事に対して毎回躓いていたり。そこから『自分の力で立ち上がることも出来ない』んじゃ、いつまで経っても【自分の人生に責任持てる生き方】なんて出来ないじゃん?って考えるようになったのだ。
【自分の人生】=【自分の責任】って考えたら、『ちょっとやそっとで他人に甘えていては、どうしようもない』って気持ちが湧いた。【自分の人生】の中で遭遇することは、大概は【自分の責任】で進むしかないじゃない?って話。【自分の人生】なのに『他人が責任を取る』なんて、なんか変な話よね。逆も然りで、『他人の人生なのに自分が責任取るなんて話』も同様に、『何かおかしい』気がする。
冒頭の話からすると、かなり話を大きくしてしまった訳だけど、元を辿れば、日常生活の中での【自分の発言・行動・思考】の話。毎日の小さな話だけど、【自分の意思】【自分の判断】【自分の責任】【自分の価値観】みたいな、結果【自分の人生】に直結する大事な話。私自身、まだまだ苦手だし難しいことも多々ある現在。でも、「苦手だし難しいから!」と言って、私の人生が終わる訳じゃない。むしろ、28歳と10ヶ月の私は、「まだまだこれから、色んな責任と向き合って生きていくんだ!」って思う。未来の私は、それらの責任も含めて【自分の人生】ってことで、【自分で納得】して生きていける人間で在りたい。


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