【ショートショート】 夏行きの定期券
私は、彼のことをほぼ何も知らない。
知っているのはその名前と、私と同じクラスでいつも騒がしい人たちの中にいるということと…あと、よく笑っているということくらいだ。
そもそも人生において接点のないタイプなのだ。私は日陰を好んで歩くタイプ、あの人は堂々と日向を歩くタイプだ。
まさに、私とは真逆のような人生を生きている。
私の中にある、山村くんの情報はそんな具合だった。
そんな人が、いま私の目の前にいる。悠々と、大きな植木鉢を持って歩いている…。
いつも通り、掃除をしてのんびり帰り支度をして、帰りまでに提出するように言われていたプリントを職員室に持っていった。下校時間が少しズレるだけで、通学路に制服を着ている人はまばらだ。見慣れた景色なのに、知らない世界に迷い込んだような感覚になる。私は、この感覚が結構好きだった。
そんな景色の中に、まさに知らない世界に迷い込んだような、山村くんがいた。
彼が持つ植木鉢は、小学生の頃に見たことがあるそれに似ていた。支えの棒に巻きつく蔓と、今にもほころびそうな蕾からみるに、朝顔の鉢のようだった。
見た目とあまりに縁遠い持ち物のおかげで、なかなか目立っていることもあり、思わずその姿を目で追ってしまう。
山村くんの一歩は、身長に比例するように大きい。大股で力強く、のしのしと歩いていく。植木鉢の朝顔が、そのリズムに合わせてゆらりゆらりと頷く。
あまりに非日常的な光景に、目が離せないまま、最寄りの駅まで図らずも後をつけるような形になってしまった。
悠々と歩く山村くんを見ていると、いつだか野良猫を追いかけながら帰った日のことが不意に脳裏を過ぎる。あのときのワクワクに似た気持ちを、自分の中に見る。
もうすぐ駅というところまできたとき、突然彼は歩みを止めて私の方を振り返った。
正確には、彼が振り返った先にたまたま私がいただけなのだけど…。
「なあごめん、リュックから定期取ってくんね?」
お前、同じクラスのやつだよな?と続ける。後ろにいたことが、ばれていたらしい。
「えっ…」
「これ地味に重くて、下に置くと持ち上げるの嫌になりそうなんだよ」
そう言いながら、両手に抱えた植木鉢をひょいと持ち上げて見せてくる。
そんなに重そうには見えていなかったのだけど、間近で見ると植木鉢にはなかなかたっぷりと土が入っていて、確かに持ち重りはしそうだった。
「ど、どこですか?」
「リュックのなあ。多分右の下らへん」
ん、と私の前にリュックの右側を持ってくる。失礼しますと何となく声をかけてリュックに手をかける。それを聞いていた山村くんは、クククッと肩を揺らして笑う。
「失礼、してして。悪いな、ちょっとリュックの中ごちゃごちゃかも」
クラスメイトという共通点だけで繋がっている私が、頼まれたとはいえほぼ初めて話す山村くんのリュックをゴソゴソと探る…。はたから見たら、なかなか不思議な光景だろうなと変な汗をかく。
「花岡さんは、いつもこれくらいに帰ってるの?」
「へ?」
急に名前を呼ばれて、間抜けな声が出た。私の名前を知っているとは思わなくて、思わず手を止めてしまう。
「え?もしかして定期ない?」俺、まさか教室に置いてきた?と山村くんは白目をむいて見せる。
くるくる変わる表情に、思わず笑ってしまう。そうそう、クラスでよく見る顔だ。この人はこういう人だ。
「いや…まだ見つからないだけで…」
「ノートの隙間とか、どっかに多分あるんだよお」
ふふっと笑いながら、待っててくださいねとリュックの中を探検し続ける。
「敬語やめなよ。クラスメイトなんだし」
「あ、はい、えっ、あ。…うん」
クククッとまた、山村くんは笑う。
「妹が育ててた朝顔、俺がボールぶち当てて折っちゃってさ」
聞かれたことに私が答える前に、聞かれていないことを話し始める。私の周りにはいないタイプの人だなあと、しみじみ思いながら、うんと相槌を打つ。
「そしたら、用務員さんが超でかい朝顔育ててるって知って。数日前に声かけて譲ってもらうことにしたんだよね。ほら、あの体育館横の花壇でさ。サッカーしてるときに見かけて声かけたら1株譲ってもらえることになってさあ…」
楽しそうに話し続けている山村くんに、指先に触れた定期入れのことを言い出せなくなる。…もう少し、話してみたいかもしれない。
「妹いたんだね」
「おう、小学1年」可愛いんだぞ、と付け足す。知らない一面を見た気がして、情報過多で脳みそから湯気が出そうだ。
「で、少し前にこの鉢に移してもらったやつを、今日持ち帰ることにしたってわけ」
そんで、定期あったあ?と肩越しに覗き込んでくる。降ってくる慣れない視線に耐えきれず、指先に触れた定期入れらしいものを引っ張り出す。
「これかな」
「おお、それそれ!サンキュー」
鉢を手のひらで抑えながら、器用に指で定期券を挟んで持つ。私は慌てて開いたままのリュックを閉める。ジジジッ…と音を立てて、硬めのジッパーが閉まっていく。
「ありがとな、まじ助かった!また明日な!」
そう言って、あっけらかんと去っていく山村くんの背中を見送るともなく見送る。
いいなあと、その背を見て思う。
彼は、日向を歩いているんじゃない。どこを歩いても、山村くんが歩くと日向になるのだなと、思った。
あっけに取られてしばらく立ち止まった後、てくてくと改札に向かって進むと、改札口で定期を上手くタッチできず慌てている姿があった。
私は、思わず急いでその背に歩み寄る。
「うわあ助かったー!」
屈託のない大きめの声に笑いながら、日向の歩き方を少し知れたような気がした。
(2291文字)
=自分用メモ=
どのクラスにも、きっと一人くらいいる。誰とでも仲良くなれる、明るい元気の塊のような人を書いてみたくなった。この先のことは何もわからないけれど、多分それぞれ「夏」に向かう電車に乗ったんじゃないかなあと想像しつつ。たまにこういう底抜けに明るい人を描くと元気がもらえることがわかった。新しい発見!
=追記=
山村くんサイドのお話しは、こちら。
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