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「夜明けのすべて」|映画と原作小説の比較から、小説を書くことについて考える②

先日の続きです。後半です。

▼前半はこちら。

*引き続き作品について触れますので、ご注意ください。(ちょっとだけ)

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3/12 Tue 〜3/15 Fri

原作小説を読む。

「1 藤沢視点→2 山添視点→・・」と、章ごとに視点が変わる。文字になることで、映画より登場人物の細かな心情を知ることができた。
瀬尾さんの描写力がとんでもない。

映画は刹那的な表情の変化や動きに強いが、小説は登場人物の考えることがよくわかる。
映画だけだったら、山添はちょっとASD傾向なんだなと思って終わるところだった。(もしかするとそこからのパニック、という設定もあるのかもしれないが、今回は置いておく。)これは演者がどうとかではなく、確かに小説に書かれた言動を映画に起こすならそうなってしまう。以前の様子の描写なしに障害傾向や受容度をはかることはできないし、なにより数秒で終わるカットの中に、山添の葛藤をすべて詰め込むことはできない。
この点が小説の強みなのだろう。機敏な動きができないことをデメリットと思っていたが、逆にそれが小説で物語るメリットになり得るのは新たな発見だった。

一方で、「どこまでを伝え、どこからを読者の想像力に委ねるのか」という前記事の問いは、なかなかまとまらない。色んな作品を読み、わたしも作品を書きながらもう少し考えたい。


一般に「映画→原作小説」は順序が逆だと思うが、案外悪くはなかった。
原作小説を先に読んでいると、どうしても映像化できていない部分が目についてしまうし、映画が先だと、原作小説を読むことで物語の理解が確実に深められる。
映画と原作小説は別作品、という方もいるので、制作側の作り方にも大きく左右されそうだが、今回のわたしに限れば、大変満足行く体験となった。


小説の内容に話を戻す。
栗田科学は原作では栗田金属だったのね、など、映画との違いを知る。原作からの変更点は意外と多い。結構ある。(ちなみに自死遺族のピアサークルはなかったし、社長と山添の元上司のつながりもなかった。)
映画の尺や、どのシーンを脚本家がピックアップするかによるのかもしれない。原作者は映画のオリジナルシーンをどう見るのだろうか、などと考えたりもした。

今回わたしが原作小説から読まなかった根本的な理由は、情報が「そして、バトンは渡された」からアップデートされていなかったからだ。
映画になる宣伝力は凄まじい。

宣伝力については、アマチュアの世界でもよく問題になる。作家を目指す層はこの悩みにぶつかっているひとが多い。
素敵な作品だとしても、宣伝力の有無で商業に繋がるかがわかれることもあるからだ。しかも純粋な作品のクオリティでなく、アカウント力まで重要になってくるからややこしい。

しかし以前なにかで読んだのだが、商業はお金稼ぎができないと思えば近寄ってこない。逆に、文章の腕がイマイチでも、芸能人やYouTuberのように本人自体に集客力があれば、それはそれでメリットなのだそう。原稿はひとりで書くわけではないし、なるほど、と思った。単純な執筆能力だけでは飯は食えない。

執筆能力も集客力もないなあ〜と、現状は情けなくぼやくしか能がないのだが、実際問題、このあとどうしていくのかが重要になる。できない、やれない、は誰でも言える。
なにも今からアイドルやモデルをやれと言われているわけでもない。中肉中背のアラサーのままやれるだけありがたいわけで……などとすぐ脱線するが、真剣に筆で食べていく生存戦略を練っていきたい。

ただ失言(?)も多い女、アカウントを育てると言ってもリスクもある。あけすけ、せきらら、おおっぴら……なんと言えばベストかわからないが、ひらがな表記で柔らかく誤魔化しておく。
でも人間味がない綺麗な文字列に、ひとが寄ってくるとはあまり思えないんだよね。(反省しない女)


地域の文学塾へ行ってみようか。
文学フリマに出店してみようか。
noteやBlueskyなどをもう少し活用してみようか。

もっと細かく言えば、検索で埋もれないようなペンネームにしたり、唯一性があるテーマでエッセイや小説を書いてみようか。

手段について考えると、中〜長編小説を使ってのアピールはなかなか読み手負担が大きそうだ。作家の世界観は伝えやすいが、お手軽さが不足する。
幸か不幸か、わたしはエッセイ、SS、短編小説の方が得意ではあるので、今後はその内容について吟味していきたい。
ただ単著出版を考えるなら中〜長編を書ける力は必須で、どの層にアピールするかによっても手段を変える必要がありそうだ。

そんなものをなにひとつ気にしなくて済むのが「新人賞を受賞しての作家デビュー」だが、これまたびっくりの難易度!
こればっかりは、「ちゃんと出す」ことから始めたい。(急に目標が低い)

実は3月末〆切の長編公募を見送った。同時期に引っ越しが決まったためだ。
「仕方ない理由ランキング」があったらまあまあ上位にありそうな理由だが、とは言え人生は仕方ないことばかりで溢れている。そうやって今後も、忙しいから仕方ないわ、で公募を見送っていくのかと思うとほんの少し自分にがっかりする。
もちろん家庭もあるし、子どもも小さいし、自分自身の体調がすぐれないときもある。がっつり仕事もしてるし。確かにできない理由は探さずとも並んでいる。けれども、そこを掻い潜って原稿を出さないことにはなにも始まらない。
始めたいなら、始めなければならない。


小説の内容に話を戻す、なんて言いながら、意気込みみたいな記事になってしまった。

内容に戻ると、プラネタリウムが映画オリジナル設定なのはちょっぴり残念だったが、原作小説は山添が自らパニック障害を克服しようと行動する過程がよかった。
気を取られることで、思わぬ力が呼び起こされることがある。案外「できた・できなかった」という結果より、「やってみた」経験の方が重要だったりする。
病気や障害を持つひとに行動を促すのはかなり難しい。しかしこの作品の山添のように、思わぬきっかけでことが進むことがある。作者の解像度の高さが見受けられる。

解像度ーーまさに執筆していく上で重要になってくるキーワードに思える。読者に、「ひとを殺したことがあるのか?」「この作者、絶対元◯◯だね」などと思わせたら作家の勝ちなのだろう。


最後に、これから映画を観に行くひとがいれば、映画パンフレットを買うことをおすすめしたい。

映画のラストを飾っている「夜についてのメモ」は、映画オリジナルなのだ。
わたしはなにも知らずに映画を観て、そのあと原作小説を読んで今に至るが、その名文は原作小説にはなく、どうやら映画パンフレットに載っているらしい。(2本も記事を書いておいて、まさかの名文が手元にないというオチ……!)

本作はどなたも楽しめる作品となっている。
忙しない日々にこそ、萌音ちゃんの「夜についてのメモ」の読み上げは効く。ぜひ劇場でご覧になってはいかがだろうか。

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①・②ともに、お付き合いありがとうございました🪿

【3/17追記】
映画パンフレットを無事購入!
「夜についてのメモ」はパンフレット後半に記載ありました。

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