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短編小説「最後のキス 一度だけでも」

独身女の会話から見る「最後のキス」のお話


「これ、友達の事なんだけど・・・」
視線を外しつつ「友達の事」話。定番の「自分の話」の出発点だ。
日本酒ロックで4杯目。酔いも回ってきて、心に留め置いたものを話したくなったらしい。
私に合わせたロックだが、大丈夫だろうか。まだ私に視線を戻さない同期の友人を見つつ、ポテトをつまむ。
また歴代のダメンズな彼氏sの話だろうか。
あ、ポテト美味しい。

「会社の人が辞めて地元に戻るから最後に一緒に飲みに行こうって誘われたんだって。そしたらずるずると11時くらいまで付き合わされて、
『最後にキスしてくれたら後悔せず地元に戻れるから』
って言われたんだって。」

最近、うちの会社でやめた人がいるって誰かが言っていた。そのやめた人である「総務の良い人」こと下山さんによく話しかけられていた眼の前の美女、間宮せりちゃん。下山さんはせりちゃんが好きだったのか。よくこんな競争率高いところに突っ込もうとするな…。

「なんかすごい必死の顔だったらしくて。いや必死に言われてもっていう感じだよねー」
「その友人ってさ、せりちゃんのことでしょ?」
「・・・」

やっぱりか。さすがモテる女はやっぱり違うわ。
柚子小町 ロックが一番 おいしいね
一句できてしまった。

それにしても、何故「最後にキスしてくれたら後悔しない」とか言うのだろう。必死の形相でキスせがむって、どれだけ飢えているんだ。恐ろしい。
好きな人とキスが出来て、「あわよくばワンチャン」とか思っているかもしれないけれど、相手は好きでもない人とキスをしなくてはいけないのだ。
それでは想われた人ばかりが損ではないか。自分の事のように怒りが湧いてきた。
あさりの酒蒸しの砂がじゃりっ奥歯の辺りで鳴った。嫌な気分も増長して顔をしかめた。


「最後にキスしてくれたら」と言えば、数年前に授かり婚で突然辞めていった先輩の高橋りこさんも、同じことを言っていた。

「渡辺さんがね、帰る前に「高橋さんとキス出来たら、諦められるから」って言って、全然帰してくれなかったんだよ」
社外便の荷物を運ぶ手伝いをする体で総務課に向かう途中、少し遠回りをしながら高橋さんが話し出した。
前日に高橋さんから突然誘われて、数回話したことがある企画管理の渡辺さんという男性の個人的な送別会に参加していたのだが、その後の展開を教えてくれた。
店の前で別れて高橋さんと渡辺さんは駅の方へ向かったはずだ。駅前でそのやり取りか。凄い。その攻防戦見たかった。いやいや悪趣味だ。

「それで、どうしたんですか?キスしたんですか?」
「うん、したよ、キス」
「したんですか!キス!」
「だってキスしないと帰しれなかったし」
「・・・加藤さんと付き合ってましたよね?」
「うん、つきあってる。内緒ね?」
「はい・・・」

知り合いのキスシーンは見たくないな…ってそれはともかく。
渡辺さんは、以前から高橋さんに告白をしていたという。
だけど高橋さんは同じ営業部の加藤さんと付き合っている。こちらは某有名大学院卒のエリートコースまっしぐらと噂の、結婚相手として超優良男性。入社後1ヶ月で高橋さんから告白したらしい。もちろん社内恋愛だから内緒だ。
かわいい弟系男子、やはりお姉様からの猛プッシュに弱かったか。それにしても1ヶ月で落とすとか、美女の速攻必殺凄すぎる。その手練手管の教科書が欲しい。

「渡辺さんに告白されたのって、加藤さんと付き合い始めた後だったんですか?」
「ううん、その前…っていってもそう変わらない時期だったかな」

なるほど、加藤さんにロックオンしていたからね、そうなるよね。

「そんなに前に振ったのに、まだキスしてとか言ってきたんですか…」
「ちょっと粘着質系だったみたいだね」

渡辺さんも、加藤さんに負けないくらいさわやかな院卒の人だった。顔も整っているし、モテ男系のはずだが...モテるからこそ振られたこと受け入れられなくて暴走したのか。

他の人とキスをしたという事実を彼氏の加藤さんに隠すことになるのだが、ここは高橋さんの腕次第だし、百戦錬磨と噂のこの人なら墓場まで持っていくだろう。
それにしても、付き合っている人がいるのに、他の人とキスができるとは・・・。
とりあえず、私には刺激が強いもっと大人の世界だ。


とにもかくにも、せがまれキスをした高橋さんと・・・

「で、キス、したの?下山さんと」
「しないよ、さすがに好きでもない人とは、ちょっとね…」
「そっか。しつこかったの?」
「ううん、2回くらい断ったら、笑って諦めてくれた」
「良かったよ、それくらいで終わって。」

なるほど。せがまれキスをしなかったと。
下山さん、どこをどう見ても「良い人」タイプの人だ。フレンドリーだし、困ったときにはすぐ助けてくれる、総務の「いい人」。そんな「いい人」さえも、好きな人の前では「あわよくばワンチャン」状態に成り下がるか。恐るべし、”恋は盲目”心理状態。

その後、”キスしていやだ”攻防の後もなかなか話が終わらず、結果電車を逃し、タクシー代3000円払う羽目になったらしい。不憫な。

このキスおねだりした二人の男性は、「懇願して好きな人とキスをした」「懇願したが断られた」という思い出を、今後どう処理するのだろう。
「懇願して」キスをしてもらっても、惨めに感じるだけではないか。
「懇願して」という前置きを消去して、「好きな人とキスをした」という事実だけを勲章にでもしようというのだろうか。誰に披露するんだその勲章。

そして高橋さんの結婚相手が自分の元同期だと知った時、渡辺さんはどう感じたのだろう。
勲章が烙印に変わってしまったのではないだろうか。その後の渡辺さんの精神状態が今更ながらに心配になってきた。まあ一生会わなければ、大丈夫か。

とりあえず、二人とも転職しておいて正解だったわけだ。
断られた方は勲章ももらえないわけだが、逆に心の傷は浅いだろう。良かったね、下山さん。

それにしても、自分が会社を退職するから思い出にキスしてくれとか、卑怯ではないか。せがまれる側は嫌な思い出しか残らない。
本気なら 死ぬ気でかかれ ホトトギス 
ロック5杯目。私も酔いが回ってきた。

「あー酔ってきた」

眼の前の美女も、ほんのり赤くトロンとしている。
目がキラキラしている。同性から見てもドキッとする視線。暗いところで斜め上から見たら可愛くて仕方がないかもしれない。だからといって同意のない不埒な真似は許されないが。
あらためて、好きでもない人にキスをねだられるとは・・・
不憫な美女たちだ。

その不憫な美女の一人を眺めつつ焼き鳥を頬張る。彼女には今のところ特定の相手はいない。なかなか良い人には巡り会えないらしい。美女は自分から行動しないと、ダメンズホイホイになってしまうのだろうか。だから高橋さんはロックオン速攻必殺技で加藤さんを落としたのだろうか。

「なんで渡辺さんやめちゃったのー?」
「渡辺さん?」
「数年前にうちの会社辞めた企画管理の渡辺さん」
「あーあの人…」
「あの人が辞める数日前に告白したんだけど、振られたんだよー」
「…へーそうだったんだー」
「最後にキスしてくれたのに、結局それっきりー」

ここにも「暴走するあわよくばワンチャン女」。
口滑らせないで良かった。
やっぱり恋は恐ろしい。

「あーどっかに良い人いないかなー
普通の人で、良いんだけどなー」
「フツウの人ねー」

デザートと熱いお茶を注文しておこう。苦い話の後には甘いものが欲しい。

「何も贅沢言ってないのになー」
「そうだねー」

独身女の語りはまだまだ終わらない。




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