5-7.メンタルどん底の妊婦生活

 妊婦生活はとにかく地獄だった。吐き悪阻と、食べ悪阻と、よだれ悪阻で、最初の三か月は死にそうだった。

 カウンセリングに行っても悪阻で吐いてしまい、散々だった。しかし、この時期にカウンセリングを入れていたことは救いだった。本来の治療ではないが、妊婦生活の愚痴も聞いてもらえたし、心理士さんも子持ちだったので、出産や子育ての体験談を聞けたし、「絶対可愛い子が産まれてくるから頑張りましょうね」と励ましてくれた。
 安定期に入って体調が落ち着くと、今度は心がぐらついた。いい親になろうと本を読めば読むほど不安になったし、何故かフラッシュバックが頻発して、子どもの頃のことを一から全部思い出した。
 実は私は子どもの頃の記憶は全て消えたと言っても過言ではないほど思い出せない状態だった。それを精神科医に言うと「過去のことを思い出すとつらいから、自己防衛で、嫌な記憶と一緒にいい思い出も消えたんだろうね」と言われた。
 それなのに、一気に今までのことが走馬灯のように襲い掛かってきて、「こんなお前が親になれるの?お前も子どもの前で怒鳴るんじゃないの?お前は弱いから、子ども本人にも手をあげてしまうかもしれないね」と誰かが囁いているような気がした。このエッセイが書けたのは、フラッシュバック地獄のおかげである。本当に本当に、気が狂いそうだった。
 とりあえず、食べ悪阻で吐きたくなかったので、泣きながら食べまくっていた。
 しかも、妊娠中に何度か実家に行った時に、父に怒鳴られてしまって、心がぐちゃぐちゃだった。父は確かに、家で暴力をふるったり、物を壊したりはしない生活をしていたが、時々気に入らない時に怒鳴ることがあった。それは父の中で「キレる」カウントではないようだ。
 わが家のDVは本当の意味では終わっていない。
 何故、自分の娘の妊娠中にそんなことができるのだろう。どこまでも自分の都合しか考えない親だ。早く死んでほしいと思ったし、一か月近く、その時の怒鳴り声が耳から離れなかった。

 子どもが生まれて来るときに、私の苦しみを感じて生まれてくると嫌だと思って、無痛分娩を選択した。穏やかな気持ちで産んで、飛び切りの笑顔で迎えてあげようと思ったからだ。でも、計画分娩はうまくいかず、四日間も分娩台でのたうち回ったあと、帝王切開になってしまった。
「赤ちゃんが出てきてくれないので、帝王切開にしましょう」
「でも、もう降りてきてるんですよね?もう少し頑張りたいです」
すると産科の主治医は、帝王切開の同意書を投げつけた。
「四の五の言わずにサインしろ!あんたも赤ちゃんも、後悔する結果になりたくないだろう!」
 産科の主治医は顔を真っ赤にしていた。
 するともう四日間も苦しんで疲弊し、ぐちゃぐちゃの精神にとどめが刺さって、夫がサインしてくれている間に、大号泣をした。PTSDの治療中だから、絶対怒鳴らないでほしいと伝えてあったのに、一番大事な時に怒鳴るなんて。
 もう完全に発狂してしまい、叫び上げながら泣いている状態のまま、助産師さんに下の毛を剃られた。着替えて、手術室に行き、泣きじゃくりながら意識がある状態で手術が始まった。
 さっき怒鳴った医師がメスを入れると、何をされているのか見えないようになっている壁を飛び越えて、血が吹き上がるのが見え、手術スタッフが全員焦りだし、私も更にパニックになった。
 後に、ちょうど静脈留があったので多めに出血してしまったと聞いた。赤ちゃんが下りて来なかったのは、身体にへその尾が絡んでいたらしい。全て初めての経験で、怒鳴られたショックとパニックの中、無事に出てきた赤ちゃんと対面した。
 赤ちゃんは血だらけで、何か私が失敗をしてしまったのかと思ったが、とにかくパニック状態だった。
「早く私を殺して!もう死にたい!」
 私の脳内は恐怖でいっぱいだった。
 その後は薬で眠らさせた。
 術後は、目が覚めた瞬間に重度の貧血で、鮮魚がまな板で跳ねているような全身の震えと、吐き気が襲った。予後も最悪だったが、赤ちゃんは健康そのもので本当に良かった。夫も赤ちゃんと対面し、感動のあまり泣いていたらしい。
 ネットで出産関係の掲示板を読んでいた時に「産前産後にされたことは一生忘れない」と書いている人がいた。
 妊娠中に父に怒鳴られたことも、母に弱音を吐いた時「そんなこと言ったってあんたがつくったんでしょ」と言われたことも、産科医に怒鳴られたことも、自分が恐ろしい程醜態を晒して産んだことも、忘れられない。
 安定に入っても関係なく、産む直前まで吐いていたし、よだれ悪阻があった。
 でも、嫌なことだけではない。夫が終始優しくしてくれて、私の面倒を見てくれた。赤ちゃんと対面した時に親戚中の皆が頬を緩ませて喜んでいたことも、絶対忘れないと思う。

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