面前DVについて知ってください

両親の激しい喧嘩を見たことはありますか? 私は親に殴られた記憶は少ないのですが、 両…

面前DVについて知ってください

両親の激しい喧嘩を見たことはありますか? 私は親に殴られた記憶は少ないのですが、 両親の激しい喧嘩、父から母へのDVを二十年見て育ちました。 それは「面前DV」という虐待だったのです。 虐待の記録や、私の考え、現状の生活について書きます。 誰かの資料になれば、幸いです。

最近の記事

面前DVを解説した動画を公開しています

こんにちは。 エッセイの更新が終わった後も、フォローしてくださる方が増え続けて嬉しいです。来月くらいから時間が取れそうなので、また何か書きたいことを更新していこうと思います。 動画の再生数がもうすぐ1500再生になりそうです。ありがとうございます! 動画を見るのはめんどくさい、テキスト派の方(実は私もそうなんです)のために、画像を貼っておきますね。 ナレーションありの方がいい! 動画の方が楽、という方はこちらをどうぞ↓。https://www.youtube.com/wa

    • エッセイ完結のお知らせとお礼

      こんにちは。 ここまで私の面前DV体験と人生についての話を読んでくださってありがとうございます。33歳までの実録と、近況を書けたところで、ちょうど人生の話が全部終わったので、これで連載は終了とさせていただきます。 実は先日、テキスト作業をするために使っていた5年物のパソコンが壊れてしまいました。データはSDカードに入っていたので大丈夫だと思っていたのですが、不運にもそのSDカードが新しいPCで読めない状況となってしまいました。以前のPCが壊れた時に、ちょうどそのSDカードを

      • 5-11.虐待サバイバーの子育て

        ※今回、本来の完成原稿にはない書き下ろしです。 我が子がもうすぐ三歳になろうとしている。 育児をしながら家で働いている私の生活は、とにかく「今日もなんとか駆け抜けた」という印象で、毎日寝かしつけで一緒に布団に入ったところから記憶がない。 私は自分の子どもを虐待するのではないかとずっと心配していたが、正直な話、虐待をする暇がない。 二歳児の育児は本当に大変だった。 子どもが自我を持つまでは、こちらから一方的なコミュニケーションで良かったので楽だった。 こちらが近づいて、抱き

        • 5-10.産後は夫と険悪になる

           沢山の育児書を読んでいると、どの本にも「子育ては一人じゃ無理、夫の協力が必要」「夫にはなるべく家事を手伝ってもらうように」と書いてある。夫関連で私が特に気になったのは「子どもを産むと、子どもを守りたい母親の防衛本能で、どんなラブラブ夫婦も、夫と険悪になる時期がある」という説だ。  夫とは、お付き合いの期間も、結婚後も、妊娠期も、ラブラブだっだ。私は俗にいうバカップルみたいな感じは苦手だ。だからと言って、恥ずかしがって何も伝えない生活をすると、すれ違うだけだと思う。意識的に

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          5-9.子どもが出来て変わったこと

           区が開催している子育て講座に参加すると、同じエリアに住んでいる親子が沢山いた。  妊婦の時も母親講習を受けるために、同じ場所に通っていたが、気後れして誰とも話はできなかった。  なのに子どもと参加した途端、隣に座った人が「わー、可愛い赤ちゃんですね」と声をかけてきた。  交流で同じグループになった人たちもガンガン声をかけてきて、驚いた。 確かに、産後、家にいる間は夫くらいしか話し相手がいなかったので、できれば育児の話がしたいと思っていた。  そこで私も「もう人付き合いで悩む

          5-9.子どもが出来て変わったこと

          5-8.愛情のない子育て

           これだけ苦労して産んだのに、生まれてきた赤ちゃんを初めて見た時も、その後再会した時も特に何も感じなかった。今考えると産後うつだったのかもしれない。  自分の病室で赤ちゃんと会えた時は、ちょうど赤ちゃんのご飯の時間だった。初めて我が子を抱き、小さな哺乳瓶で砂糖水を飲ませた。  それから乳を揉み、乳首を咥えさせて、おっぱいを飲ませる練習をした。伝わってくる体温が熱いくらいだ。こんなに温かい存在とこれから暮らすんだなぁとは思ったが、特別な感情は沸かなかった。なんの興奮なのか分か

          5-8.愛情のない子育て

          5-7.メンタルどん底の妊婦生活

           妊婦生活はとにかく地獄だった。吐き悪阻と、食べ悪阻と、よだれ悪阻で、最初の三か月は死にそうだった。  カウンセリングに行っても悪阻で吐いてしまい、散々だった。しかし、この時期にカウンセリングを入れていたことは救いだった。本来の治療ではないが、妊婦生活の愚痴も聞いてもらえたし、心理士さんも子持ちだったので、出産や子育ての体験談を聞けたし、「絶対可愛い子が産まれてくるから頑張りましょうね」と励ましてくれた。  安定期に入って体調が落ち着くと、今度は心がぐらついた。いい親になろ

          5-7.メンタルどん底の妊婦生活

          5-6.カウンセリング

           それから他の精神科も行ったが、私が出会った精神科医たちは「お前こそ患者だろ」と思うような医師ばかりで、問診中にキレたり、「あなたにも問題があるから親が喧嘩するんでしょ」と笑ったり、前回診察時に一緒に決めた予約日に行ったら「また来たの?」と言われたり、相性が悪かった。  そこで、自力でカウンセラーを探して、PTSDの緩和を目指すことにした。  担当の心理士が苦手だと思うと、我慢せず違う人に代えてもらった。そうしないと心を開きたくなかったし、我慢すると更にストレスになると思った

          5-5.発達障害を調べる 後編

          (※前編からお読みください)  三日目は医師の診察だ。  結果は残酷なものだった。 「あなたの発達障害は非常に軽度です。ADHDの傾向も少し見られますが、投薬の必要性はありません。はっきり言って発達障害はないと思って大丈夫です。この程度の人間はどこにでもいるし、生活に困る程度ではありません。人と合わないと思うのは、IQが高いせいでしょう。これは同じくらいのIQの人と会話をすれば、驚くほど話が合いますよ。まだそういう人に出会えていないだけです。IQの高さ=学力の高さではない

          5-5.発達障害を調べる 後編

          5-5.発達障害を調べる 前編

           私が仲良くしてた「虐待・面前DV仲間」の中には、すごく変わった子が一人いた。  その子はいつも待ち合わせに遅れてくるし、遅刻連絡もしない。いつもぼーっとしていて、お店でメニューを決めるのも人一倍時間がかかるし、食べるのも遅い。人の話を聞いていない風で、とにかくマイペース。自分がしゃべりたい時はマシンガンのように早口でしゃべるのだが、話し上手ではないので、支離滅裂。  いつも「ケータイがない」「切符がない」「手帳がない」と騒いでいるが紛失しておらず、一時的にしまう場所が定ま

          5-5.発達障害を調べる 前編

          5-4. 面前DV被害者は沢山いる 後編

           ところが、面前DVの仲間と濃密になってから半年も立たないうちに、B子さんが亡くなった。  交流会でも自助グループでもなく、二人きりで食事の約束をしていた夜、彼女は待ち合わせ場所に現れなかった。心配して彼女の家に向かうと、パトカーがいた。  警察官の隣には、B子さんの恋人もいた。  B子さんは交通事故に遭ったらしい。警察が話を聞きたいと言ったので、まずB子さんの恋人から事故について教えてもらった。    B子さんは、いつも通っていた異業種交流会内で恋人を作り、最近プロポーズ

          5-4. 面前DV被害者は沢山いる 後編

          5-4. 面前DV被害者は沢山いる 前編

           夫は朝早くに家を出るのに、帰りが遅いことが多い人だ。  最初は夕食を一緒に食べるべく、どんなに遅くなっても待っていたが、それが結構つらかった。夫も、私が待っていると残業中に気になるから、気にせず食べてくれと言ってくれたので、夕食の時間は別にした。私は作った後にすぐ食べて、夫が帰ってきたら、残りを温め直して出すという生活に切り替えた。  夫は毎朝五時に起きて、六時半には家を出てしまうため、朝ご飯も前の晩に作って、自分で盛り付けて一人で食べてもらっていた。弁当も前日の夜に私が作

          5-4. 面前DV被害者は沢山いる 前編

          5-3.人生の仕事を決める

           実は在職中に、私は自分で絵を描いてポストカードなどを作り、素人が非営利で雑貨販売をしてよいイベントに参加していた。  創作活動をしている時間は無心になれて、嫌なことを忘れることができた。集中力がないので、短い時間で絵を描いて、飽きたら工作をして、また飽きたら絵を描いてと繰り返す。その過程や完成品を写真にして、SNSに載せたり、イベントで販売をしていた。  これが、母の兄の会社にいた間にみつけた「新しい趣味」だ。  利益はほとんどなく、むしろマイナス収支なので作るのが楽しいだ

          5-3.人生の仕事を決める

          5-2.結婚までの道のり

           プロポーズは私の誕生日だった。藻岩山のロープウェイで展望台に行き、夜景を見ている時に、後ろから抱きしめられて、伝えてくれた。 「お誕生日おめでとう。これからもずっと一緒にいたいから、俺と結婚をしてください。きっと幸せにします」 「え?食前に!?」  てっきり食事の後半か、食後にしてくれると思っていたので、驚いた。告白の時も食前だったので、そういう人なのだろう。涙ではなく、爆笑の中で、結ばれた。  宝石のような街の輝きが一望できる素敵なレストランでフレンチを楽しんだ。デザート

          5-2.結婚までの道のり

          5-1.最後の恋愛

          ※この記事はリクエストで急いで書いたので、誤字脱字等あったらすみません。いつもスキ、サポートありがとうございます。  彼と出会ったのは、社会人になってからだ。趣味のイベントでお世話になっている知人の後輩で、ずっと顔を知っていたが最初の二年くらいは挨拶のみで、話をしたこともなかった。  彼は私の三番目の彼氏なのだが、出会った頃の私は二番目と付き合っていた。私は、優等生で、優しそうで、真面目な「生徒会長」のような人が好みで、誠実さにしか惹かれない。実際に、二番目の彼氏は優しくて

          4-10.手術とそれから

           仕事中に発作が出ると、病院に点滴を打ちにいかないといけない、という生活をしていた。  電話中でも、会議中でも、説教中でも、関係なく、それは起こった。「期外収縮」という、急に心臓がボコボコと音を立てる不整脈の症状を合図に、発作が出てしまい、心拍数が二○○以上に跳ね上がる。  それでも、電話も会議も、説教も最後まできちんと終わるまでは対応していた。苦しさはあるが、息が切れるのを深呼吸で我慢すれば相手に気付かれにくい。自分で「苦しいです」と騒ぎ立てる気にはならなかった。  手が空