5-2.結婚までの道のり

 プロポーズは私の誕生日だった。藻岩山のロープウェイで展望台に行き、夜景を見ている時に、後ろから抱きしめられて、伝えてくれた。
「お誕生日おめでとう。これからもずっと一緒にいたいから、俺と結婚をしてください。きっと幸せにします」
「え?食前に!?」
 てっきり食事の後半か、食後にしてくれると思っていたので、驚いた。告白の時も食前だったので、そういう人なのだろう。涙ではなく、爆笑の中で、結ばれた。
 宝石のような街の輝きが一望できる素敵なレストランでフレンチを楽しんだ。デザートが来る前に、婚約指輪をくれた。
 海外のデザインのもので、以前から私が欲しがっていたものだった。英語が不得意なのに、一生懸命海外のお店とサイズや支払いについて、メールのやりとりをして購入してくれたものだ。もしかしたらお高いものを想像したかもしれないが、安物だ。でも、デザインがとても好きだったので、以前からずっとこれが欲しかった。
 私が結婚相手に求める条件は「殴らない人」「怒鳴らない人」「大卒」の三つだった。
 彼は事情があって高卒だったので、一つだけ当てはまらなかったが、高卒であることは交際が始まって、大大大好きになってから発覚したので、仕方がないと思った。
 ちなみに大卒を条件にしていた理由は、かねてより母に言われていたからだ。
「あんたが大卒なんだから、相手は大卒がいい。高卒でも性格のいい人はいるけど、男の人はプライドが高いから長く一緒にいる間に、コンプレックスが膨れ上がっていくことがある。うまくいかない原因になるから、同じくらいの学歴であることは大事だよ。結婚は、価値観の一致が大事なの」
 これは親の意見であり、私は断じて高卒の方を見下しているわけではない。
 長い付き合いの中で、関係が悪化する要因は、何も学歴に限ったことではない。むしろ、性格や価値観の不一致、長年の生活態度や、お互いへの接し方の方が、影響が大きいように思う。全く同じ大学を出たのに、毎日喧嘩三昧、DV三昧、虐待し放題の両親に「価値観」について語られても、聞く気にならなかった。
 そう考えると、「彼を人として尊敬できるかどうか」が判断材料としてふさわしいと思った。そして、尊敬できるところがいくつもある彼に夢中になった。仕事や趣味に関する知識も深いし、精神的に安定している。いつもニコニコしていて機嫌がよく、愚痴をこぼす姿も見られず、誰にでも優しくて、誰からも頼られる存在だ。私のような人間にはもったいないくらいだ。私はもちろん悩んだが、彼の判断に委ねることにした。
 彼が私を選び、私の境遇を受け入れてくれるのであれば、プロポーズをされる前に、私の心は決まっていた。

 それでも一応聞いてみる。不安からくる試し行動だ。
「心臓が悪いってどういうことなのか、入院生活で見たでしょう?手術で治ったのは頻拍症だけ。きっと起きられない日もあるだろうから、家事や行事で迷惑をかけないか不安です…」
「夫婦は支え合っていくものだから、君が苦しい時は俺が助けるし、俺がピンチの時は力になってほしい。物理的に支援できなくても、そばで君に応援してほしいんだ。家事も二人でやるものさ」
「私の家の話も散々したでしょ…」
「実家が嫌いなら尚更新しい家庭で幸せになろう。うちの親は明るくて温かいよ。うちの家族になったら、そっちに懐くといい。君の実家から攻撃されたら一緒に戦ったり、一緒に逃げたりしよう。今心配しなくても、問題が起きたらちゃんと俺が対処するから安心して」
 彼は、心に「余裕」のある大人だ。
「俺は君の事情には介入しない。君の抱える問題は全て君の物。でも、相談されれば何でも親身なって答えるし、行動にも出る。お金も出すし、どんなヤバい人との話し合いの席にも座るさ。君が打ち明けてくれるならね。だから安心して背中を任せてほしい。そして約束して。決して君一人で危険な道を行かないでくれ。俺は『自己犠牲』なんて自他ともに嫌いだし、君が一人で苦しむのなら、結婚する意味なんてない。そうでしょう?」
「……ありがとうございます」
 人の優しさに弱くて、少し泣いてしまった。
 ただ、私は酷い家に生まれたので、自分も結婚すれば母のように夫の奴隷になり、毎日夫に殴られるものと思っていたので「絶対に殴らない。一発でも手をあげたら即日離婚」という約束をした。また「子どもを持つ自信がない」ことも伝えた。
 うちの両親は、高卒でブルーカラーの彼にいい印象を持ってはいなかった。しかし、自分達の結婚の際、両方の親に反対されてつらい思いをしたので「子どもが結婚相手を連れてきた時は絶対に反対しない」と決めていたそうだ。
 結婚の挨拶に来た時も、父が無駄な雑談はせずに進行してくれて、すぐに済み、お茶を飲んだらすぐに帰った。彼の言う通り「案外うまくいった」のだ。
 私が相手の家に訪れた際は、祝福ムードで、お寿司を食べた。
 両家の顔合わせは、ホテルでお昼ご飯を食べながら済ませ、何もかも順調だったが、結婚式の直前に、夫の祖母が亡くなった。
 そのことで式が中止になってしまった。

 夫の親族にはしきたり等にうるさい「ちょっと変わった人」がいて、夫の両親の意見や、うちの意見を無視して「喪に服すので一年は式をあげない」と言った。すると、私の両親は「うちは親戚が前日に死んでも当日に死んでも子どもに式はやらせてやりたかった。入籍前に式をやらないなら、今回の結婚は認めない」と意見がぶつかった。恐らく「結婚式を挙げないと恥ずかしい」という世間体が気になったのだろう。
 更に父が「向こうの親族を招待せず、新婦主催の結婚式をやってやる」と言い出した。
 割愛するが、式がキャンセルされたことに関連して、我々は納得がいかないことがいっぱいあった。その全てが悲しかった。これから家族になる相手だけど、どうしても許せなかった。
 そこでわが家は初めて一致団結し、私の両親と弟、私の友達、夫の友達だけを呼んで、その他の親族は一切呼ばない小さな結婚式を挙げた。親戚などを呼ばないので無駄な経費がかからない分、いいホテルで、いいドレスを来て、写真を撮って、贅沢にやらせてもらうことができた。
 披露宴ではなく、新郎新婦と友達だけで、ホテルのディナーを楽しむ食事会を開催した。その費用も全部うちの両親が出してくれた。
 私の家族はディナーに加わらず、予めホテルに注文してあった豪華なお弁当を持って帰宅し、家で祝杯をあげたようだ。その方が気楽なのだろうが、なんとも素っ気ない親である。私は酒を呑んだ父がパーティーをぶち壊すと嫌だと心配していたので、むしろ賛成した。
 彼の両親には写真だけを送って、私達の結婚行事は幕を閉じた。
 夫も、夫の両親も「それでいい」と言ったのだ。しきたりにうるさい親戚がおかしい人なだけで、夫の両親は結婚を本当に祝福してくれた。
 実は式の前に、私の実家の周りにアパートを借りて、同棲をスタートさせていた。
 お互いに実家暮らしだったので、新生活の家具を買うために、うちの両親がポンとお金を出してくれた。結納をしない代わりに、支度金を出してくれたのである。自分たちで好きなものを買うようにと言われて、買い物にはついて来なかった。家の中では過干渉だが、一歩外に出ると超放任主義で、知らない人が一人でもいると顔を出さない人たちなのだ。
 結婚行事の間、父は一度もキレなかった。
 こうして、少々のもめ事を経て、私達の結婚生活が始まった。

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