5-11.虐待サバイバーの子育て

※今回、本来の完成原稿にはない書き下ろしです。

我が子がもうすぐ三歳になろうとしている。
育児をしながら家で働いている私の生活は、とにかく「今日もなんとか駆け抜けた」という印象で、毎日寝かしつけで一緒に布団に入ったところから記憶がない。
私は自分の子どもを虐待するのではないかとずっと心配していたが、正直な話、虐待をする暇がない。

二歳児の育児は本当に大変だった。
子どもが自我を持つまでは、こちらから一方的なコミュニケーションで良かったので楽だった。
こちらが近づいて、抱き上げて、話しかけたり、食べさせたりすればよかったのだが、自我を持つと当然そうはいかない。
娘が今、何をしたいのか、何を訴えているのか、汲み取る作業は時間と体力を要した。拙い言葉は可愛いし、最初は分かりやすく、語彙が増えるごとにコミュニケーションが楽しくなってきたが、最近は語彙の爆発と、「しゃべりたい!」という気持ちの暴走が目立ち、今が一番何を言っているのか分からない。
突飛な行動が増えていくので、いちいち肝が冷えるし、沢山走るし、力も強くなってきたので危ないものを取り上げるのも大変だし、急に飛びついてきたり、心臓の弱い私には負担が大きい。

それでも、決して怒鳴らず、手を上げず、彼女の気持ちに寄り添って、なんとか歩めてきたように思う。

辛抱強く彼女の言葉に耳を傾け、なんて言っているのか当てていき、答えにたどり着くと嬉しそうな顔が見られる。
スキンシップが大好きな甘えん坊なので、とにかく私に一日中ひっついている。
本が好きで、お料理ごっこが好きで、写真を撮られることが好きで、明るくて、毎日楽しそうだ。
私みたいな陰湿なタイプじゃない方向に育っていて、とても良い。
それに、他の子に比べると、大人しくて育てやすい。
聞き分けも(他の子に比べると)良いし、人のおもちゃを奪うよりも、最初に選んだ目の前の遊びに没頭しがちで、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えて、ちょっと怖いくらいいい子だ。
私は自分に自信がないので、こうもいい感じだと、逆に不安だ。
私の母は過干渉だったので、私も彼女に同じことをして、積極性の成長を阻害しているのではないか…と思うこともある。

そんな私達には、一つ大きな問題がある。
それは、「私はスキンシップが嫌いだ」ということだ。

実は夫と付き合っている時から、その事実に私は気が付いていた。
自分から夫に触れたり、抱きついたりすることはできるが、相手から触られることには強い抵抗がある。
私がキッチンに立っている時、夫は「今夜のおかずは何かなー」なんて言いながら、後ろからハグしてくることがあるのだが、もう全身がゾワゾワしてしまって、いつもそっと逃げている。
肩に手も、腰に手も、頭なでなでも、非常に嫌だ。とても愛してるのに、嫌だ。
手をつないで歩くのは私が握り返すのでOKなのだが、一方的に手を引かれるのは嫌だ。

それをカウンセラーさんに相談すると「触覚過敏があるか、幼少期に親のスキンシップが少なかったからだと思うけど、あなたの場合は、両方っぽいね」と言われた。
確かに、私の親は私を抱きしめたり、撫でたりしてくれなかった。
数は少ないが、殴られたこともあるので、親に触られるなんて、怖いことだった。
その気持ちが、身体への反応につながってしまっているらしい。

また、昔から服やタオルケットなど肌に触るものの好き嫌いが激しかった。
身体が濡れるのも不快だし、手が汚れることが嫌で、全身非常にくすぐったがりだ。
重症ではないが、触覚過敏もありそうだ。

だから、娘が私の頬を撫でたり、足にしがみついたり、背中に抱き着いてくるのが苦痛でたまらない。
もちろん我慢して「私から触っている」と思えるように、すかさず抱きしめたりしているが、いつも不意打ちでゾワゾワが襲うので、一日中苦痛との闘いで疲れる。
私達はなるべく向かい合ったり、L字に座って、食事をしたり、お絵描きをしたりして、接触を減らしているのだが、触れ合いを持たずに、少し離れて眺める我が子は、本当に可愛い。
私が抱きしめている時も、ぬくもりが気持ちいい。
なのに、娘から不意に触られることは気持ち悪くてたまらない。生理的なもの、という感じだ。

その事実は、誰かに「親としての資格がない」と言われているかのようで非常につらい。
しかも、同じような経験を持つ人はネット上にはいるようだが、近くにはいないので、尚更自分の異常さが目立つ。

また、子どもが大きくなるにつれ「そういえば、自分がこのくらいの時、こんな嫌なことがあったなぁ」と、思い出すようになってきた。今は幼稚園の入園準備に忙しいが、幼稚園のことを考えていると、決まって幼稚園時代の嫌な記憶がフラッシュバッグしてしまう。そんなこと、もうとっくに忘れていたのに、だ。

これもカウンセリングで話すと「虐待を受けている人は普段は記憶が封印されているけど、何かのきっかけで思い出してしまうことがある。その鍵が、あなたにとっては育児なのかも」と言われた。
だから、これからの人生は、娘が小学校に入ると、面前DVの記憶が噴出して、中学校になるとストレスが限界だった日々を思い出し、高校生は寂しさを爆発させ、大学では自殺について考える生活を思い出す。そうやって苦しむことが確定しているようだ。
これが虐待の「後遺症」だろう。
でも、それを受け入れて生きるしかないのだ。

ただ、私はその度にあの時の自分に「よく耐えたね」と声をかけてあげたいと思うし、その瞬間の娘の姿を目に焼き付けて、上書き保存していくような人生を目指したい。
娘が自分の世界を切り開き、楽しい方へ向かっていけるようにすることが目標なので、過去の闇に飲み込まれている場合ではない。幸せで忙しいくらいの生活にしたい。
彼女が幼稚園で沢山楽しんで、毎日話を聞かせてくれる生活がくるのが、とても楽しみだ。

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