4-9.四度目の就職と心臓病

 その後入社した会社には、めちゃくちゃに怒鳴る上司がいた。
 しかし、このタイミングの父は静かにしていたし、もうそんなことで逃げては生きていけないと言い聞かせて、勤めていた。
 この上司は奈良の人だが、社員は全員北海道の人間なので、会話のノリが合わない。誰からも嫌がられていた。
 持ち前の「しっかりしている雰囲気」で、またも一発で就職を決めたのだが、初日からガンガンに関西弁で怒鳴られた。しかも、一度怒り始めると波が引かないDVタイプだ。胸ぐらを掴んだり、肩を揺さぶったり、二の腕を繰り返し殴ったり、足を繰り返し蹴ったり、首を絞めたりしながら、関西弁で捲し立てた。
「えー、コラ、ワレ!なめとったら地獄見るぞ、コラ!ホンマにこっちはキレとんねん!」
 こんな感じで、ずっと意味もなくコラコラ言う人だった。
 キレる関西人がいるせいで、新人が定着しない。あっという間にベテランになってしまった私は、新人たちを放っておくことができなかった。
 この会社は新人教育の制度がなかったので。電話も「とりあえず出ろ」と言われた。要件を聞いて保留にして、先輩に答えを聞く、という繰り返しだった。
 何度か保留を繰り返すと、もちろんお客様が「上司に代われ!」とキレるので、そのタイミングしか代わってもらない。電話対応の難しさは、この職場に新人が定着しない大きな理由の一つだった。
 そこで私は、自分の下に入った子には、電話の取次ぎだけをしてもらった。
「これから私がしゃべるところを聞いて、メモを取ってね」
 全ての電話を代わり、全ての電話の模範解答を聞いてもらった。面倒だが、だいたい答えは決まっている。理解が深まってきたら、次は答えられない時だけ代わる制にした。何度も繰り返すうちに、後輩たちが「代わってください」と言わずに、最後まで自分で答えられるように成長してくれた。
 他の仕事も放置するのではなく、全部親身になって教えた。私は絶対に怒鳴らなかった。他のチームには、新人に怒鳴る先輩もいた。殴る先輩もいた。その他は、大人しいけど冷たい先輩ばかりだった。同じことを二度聞くと怒られたので、皆必死にメモを見ながら泣いていた。
 私のチームは質問し放題で、私は絶対に「それ、前回も教えたよね」と言わないようにしていた。面倒だったが、注意するのも苦手だったので、親身になってあげる方が、心が楽だった。こうやって私のチームだけがメキメキ成長して、定着率と成績が格段に上がった。
 すると、コラコラ上司が私の部下を怒鳴りつけるのが気になるようになった。
「注意なら私が受けます」
 自分のチームの子が怒られているのを見つけると、後輩を下がらせて、私が叱責される道を選んだ。どうせコラコラと言っているだけで内容のない説教だったので、全く耳を傾けないことにした。適当に返事をして、頭の中で違うことを考えていた。
 そのうち、説教中は本当に耳が聞こえなくなってきて、相槌をうつタイミングがわからくなった。その対策として、常時首を縦に振って、聞いているふりをした。説教が終わると、上司は勝手に部屋を出て行くのでそれまでの我慢だ。
 いつも三十分から、二時間くらいそんな時間を過ごした。最長で五時間怒鳴られ続けたこともあった。
 すると、気が付かないうちにストレスが限界に達し、急に心臓が悲鳴を上げたのだ。

 病名は「発作性左心房頻拍症」。急に心臓の鼓動が早くなり、病院で点滴を打ってもらわないと収まらない病気になった。心臓の電気が走る回路に、勝手に新ルートが出来て、元のルートに戻れなくなってしまうらしい。原因は不明で、要するにストレスだった。
 でも、別に気にならなかった。いつも不幸だったので、一つめんどくさいことが増えたくらいで驚かなかった。それに、実は子どもの頃からずっと心臓が弱かった。面前DVに関係する心臓エピソードが特になかったので書かなかったが、少し走った翌日に心臓の疲労で起き上がれないこともあった。無知な子ども時代は沢山無茶なことをしてしまったので入院経験も豊富で、大人になるにつれて、この心臓との付き合い方を学んできた。

 後輩の代理で説教を受けている間、皆は自分の手を止めることなく、平和に仕事ができていた。大学時代から書類化が得意だったので、私は業務マニュアルや、教育マニュアルを作り、チームメイトたちがいつでも見られるところに置いていた。私の育てた優秀な子が、私と同じ方法で新人に仕事を教えてくれたので、私がいなくてもどんどん次が育った。
 他のチームは人手不足で相変わらず大変そうだったが、私のチームがうまくいけば、それでよかった。私がリーダーだから、自分のチーム内から怒られることはない。むしろ信頼してもらって、穏やかにやっていた。
 心臓を生贄にするくらい、何でもなかった。

 ところで、ちょうど心臓の病気が追加されたタイミングで、二年半振りに彼氏ができた。
 前の彼氏とは二十二~二十六歳という、女として一番いい時期に付き合っていた。結婚の約束までしていたのに、理由を告げられずに、急にフラれてしまった。今でも少し、恨んでいる。
 二十九歳という、一番結婚したい時期にできた彼氏は、趣味のイベントでずっと顔見知りだった人で、七つも年上だ。相手も私も拘束時間の長い職場だ。必死に残業をこなすと、ちょうどいい時間に会える人。週に一回くらい約束をして、食事に行くのが楽しみだった。
 いざ結婚を意識すると、親のことや、病気のこともあるので、私なんかと結婚するのは可哀そうだと考えるようになった。いつもデートから帰った夜は布団の中で「やっぱり別れようかな」と考えていた。
 何をしていてもネガティブである。

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