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いとしのムリー(レトロゲーム談話)

オトナになり、知恵と技術と忍耐を手に入れた今なら「死にゲー」をクリア出来るのかな…。

またそんなしょうもない記事を書きたい衝動に駆られました(笑)
(衝動と云う割には書き上げるのに1週間かかってしまった)

死にゲーと言うのは名前の通り「よく死ぬゲーム」のコトを指します。

一見過激な言葉なので補足すると、ゲームで敵に当たってやられたり等して残機が減るコトを"死ぬ"と言います。

いつからなのか今でもなのかは不勉強ですみません。

今回はそのお話しです。
ただこのままその言葉を言い続けるのも不穏なので、類語としてある「無理ゲー」と敢えて言い換えます。

多少意味合いこそ変わりますがこっちの方が分かりやすいですね。
今ではゲームだけでなく実生活でもこの言葉が使われたりしてますけど、ファミコン、スーパーファミコン世代の僕らの時にもそんな言葉あったかのだろうか…。

僕が子どもの頃はゲームを「クリア目的」より「プレイ目的」や「コミュニケーション目的」に置いていた気がします。

だから入り口に入ってちょっと進んだくらいでもう、目的を達している。
決して安い金額じゃないのに、バブルってのはその辺なんか凄かったな。
それでいて割と安易に「借りパク」されてたり、今だったら激怒モノだ。

手に入れたからにはクリアをしたい気持ちは当然ある。ゲームの巧さがステータスでしたから。
上手くなくてもソフトの所有数だけで一目置かれるほど、少年期(1985年〜90年)の中心はファミコンでした。

誰よりも早く先のステージに行きたい。
そしてクリアして自慢したい。

多感な少年少女の…ちっぽけな野心ですよ。

それを無理ゲーは、ことごとく蹴散らします。
オトナが子どもに全力の往復ビンタ食らわせるくらい酷い。

だって…特にアクション系のほとんどが「無理ゲー」で、やられてばっかりなんだもん(笑)

幼き日、幾度となく幾つもの「無理ゲー」に挑戦し、大体敗れて来ました。

当時親に言われた言葉が今だと良く分かります。

「それって面白いの?」

ホントそうだわ(笑)
何度も同じ画面で、やられまくってるんだから。

オトナは「クリア目的」だと思いますしね。

今でもその音や、下手したらカセットの色だけで「やられまくった記憶が蘇る」トラウマになってるくらいです。

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いや〜〜〜(笑)

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見るだけで心が折れそうだ(そこまで)

このお話しに直撃している世代の皆さんには共感と共にお叱りも受けそうです(笑)

まるでコリをほぐす時の激痛のよう。

僕「イタタタタ! ちょっ! もうやめて!」

先生「コレほぐさない(ここ越えないと)と痛いのなくならないよ!(クリア出来ないよ)」

僕「もういい! もういいからもっと優しく!」

そうやって、クリアを断念したのでしょう。
(勝手な想像です)

無理ゲーは高難易度と定義されますが…。
ここが言葉の妙で、難しいではなく無理なんですね。

無理ゲーは「何度もやられ続けるコトで傾向や動作パターン、罠の位置等を探り、覚えてプレイをする」コトが求められます。
つまり忍耐力が必要になります。

そのループに耐えきれなくなって、無理となるのでしょうね。

この手のモノは操作キャラの特性が割と決まってます。移動やジャンプ、攻撃なら角度や強さと言ったクセがプレイヤーを苦しめる。
敵キャラもクセは元より配置や攻撃パターンが鬼のようです。

やられた直後言うのです。
「今、なににやられたの?」

1ドットの視認困難な敵の弾とか、
そんなん、見えねぇよ。

そして、分かったトコロで上手くいかず

「こんなの絶対ムリだ」と…(笑)

今で言う「難しい」もまた昔とは違ったように感じます。

難しいとは「簡単ではない」つまり理解や習得しにくい、複雑、厄介などです。
つまり不可能に近いが出来なくはないコトを言うと思います。

ファミコンに於いては「無理」です(笑)

そう言える理由はいくつかありそうなモノで、
難易度が設定出来ないものが多かったから。
途中でセーブ出来ないから。
ゲームオーバーになったら最初からやり直しだから。

これらがもしあれば幾分か無理の塩梅が変わって参りますが、無かった。

だから「一通り頑張りはするが無理なので諦める」と云う選択をしていたのだと思います。

ただひとつだけ、意地でクリアしたゲームがあります。
「ロックマン」の無印です。
無印はセーブが出来ませんのでかなり苦労しましたがノートにメモしたり情報交換しながら徐々に先へ進めるようになり、最後は友人の家で見守られ応援されながらクリアしました。

あの時の一体感と高揚感は今も忘れられない。

無理ゲーにはそう云う「悦び」が、より感じられる要素があると思います。

理不尽に挑み仲間と共に乗り越えるその様は、まるで漫画やアニメの主人公たちのようです。

最近はゲームらしいゲームをやってませんが、ここで色々な事を書いていく内に、またゲームしたいな…と思うようになりました。

幸いにも我が家には

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これらがあります(笑)

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なにからやろうかな。

最後に、

泣かした事もある 冷たくしても尚
よりそう気持ちがあればいいのさ
〜サザンオールスターズ、いとしのエリー〜

コドモの頃は寄り添ってなどくれてないように感じましたが、オトナになった今なら、
"いとしのムリー"の気持ちに気付けるかもしれません。





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