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説明するということ - コラム(2) 説明できるための読解力

このシリーズを書き始めたきっかけをコラム(1)で書いた。さらにその背景には、読解力の足りなさとそのために起こる説明能力の不足への危惧もあることにふと気づいた。

書く力は、読む力から始まると考えている。まず、説明的に書かれた文章を正確に読む力が付く。それによって、その読んだ文章の形態(モデル)が内面化する。そのモデルに従って書けるようになることが、書く力の一面と言えそうだ。

読む力から書く力に繋げるときには、直接移行するのではなく、話す力が介在する。読んだ内容を咀嚼して取り込んだものを正確に話せるようになる必要がある。それができるようになると、今度は自分自身が独自に考えたことを同じようにして口頭で説明できるようになる。説明内容を口頭で伝える際に、論理的な説明の構造の一端を理解することになる。

口頭での説明をそのまま書き起こしても、まともな書き言葉の文章にはならない。書き起こしていく中で、文字での文章の流れや単語の配置について理解していくことになる。そして最終的に、文字だけの文章を操作して伝えられるようになる。

(このような話は、専門家による理論や研究が既にあるに違いない。)

そのため、世間で言う「コミュニケーション力」だけでは、説明的な文章を書く能力は身に付かないだろう。なぜなら、書かれた文章のモデルを得る機会が決定的に少ないからだ。

別件で調べていて見つけたニュース記事に、ちょうど関係するものがあった。

日本の15歳、デジタル読解力不足に3つの背景
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53115890Z01C19A2KNTP00/

少し長いが引用させてもらう。(太文字は引用者による。)

1つは「PISA型読解力」の弱さだ。現代はネット空間を信頼性に差がある大量の情報が行き交う。その中で生活を営んでいくのに必要な情報を探し出したり、情報の質を吟味して判断し、自分の考えを発信したりする力を指す。

しかし、今回の調査で日本は「情報を探し出す力」と「(情報を)評価し、熟考する力」を測る問題の成績が下がってしまった。

2つ目に考えられるのが、15年からパソコンを使った調査に移行したことの影響だ。同年の問題は紙のテストと同じだったが、18年調査ではパソコンの利用を前提に作り直され、全体の3分の2が新作だった。

画面を切り替えながら複数の資料を読ませる問題形式などに生徒が十分対応できなかった可能性がある。問題文の重要な箇所に下線を引く習慣がある生徒は多いが、パソコン上ではそれもできない。

3つ目は、従来課題になっている「自分の考えを根拠を示し、相手に伝わるように書く力」の不足だ。今回、読解力の問題の約3割が記述式だった。数学的応用力や科学的応用力と異なり、読解力分野では自分の考えを自由に書かせるタイプの問題が多い。

本当に残念なことに、公立の小中学校に限れば、おそらくこのようなことに対応できる授業はほとんどされていないと感じている。高校も似たような感覚がある。よほどのトップ校で生徒に余裕がある場合を除いて。

1つ目の原因に挙げられた「情報を探し出す力」と「(情報を)評価し、熟考する力」は、しっかりとした中身のある説明的な文章の読解を通じて育まれる。当然、そこには文章の構造についての知識が必要になる。そのためにも、適切な粒度で書かれた文章を読まなければならない。そういった文章を読むことにより、必要な情報を見つけ、他の文章と対応付けて検討を進められるようになる。

このような学習機会は、「調べ学習」で得られるはずだ。しかし、「情報を探し出す力」については、その実態が単にWeb検索で出て来たものを並べるだけの「パソコンを使ってみる」作業を学習するだけの機会になってしまっている。調べ学習の要諦となる学校図書館は、諸般の事情で十分に機能しているようには見えない。学校図書館が機能している地域や学校は幸せだと思う。

また、「評価し、熟考する力」についても、多くの教員は、「情報を見比べて吟味し、そこから新たな検討事項を見つけ出す力を育む教育」を実施するための教育を受けていないように見える。調べた結果だけでなく、理科などでの実験や観察によって得られた結果についても、理論などとの差異を考察することも十分に教えられているとは言えない。

理論(=教科書に書いてあること)と異なる結果を否定する場合があるとも聞いたことがある。理論から外れた結果が得られることは自然界では当然で、外れた理由を考えることが科学技術を発展させてきた面があることを知らないのかもしれない。

3つ目に挙げられた「自分の考えを根拠を示し、相手に伝わるように書く力」も1つ目のものと強い関係がある。この能力も説明的な文章に多く触れることによって育まれる。説明的な文章を読むことでその形態を暗黙的に理解し、自分自身でも書けるようになる。その際に、暗黙的に獲得させるだけでなく、論理の構造を明示的に理解させる必要がある。

さらに、情報を引用する方法や引用した結果を表す方法も知っておかなければならない。自分と他人の意見の区別、意見と事実の区別などを書き分けられる必要がある。

これらについても、残念ながら小中学校では正しく伝えられていないように見える。そもそも、論理的な説明の構造を教員が理解しているのか疑問が残る。そのため、当然の帰結として引用の方法についての形式的なことすら教わる機会がない。調べ学習の成果報告書において、引用文献欄があるだけでもマシという状況だ。

なお、2つ目の原因については、今回の話題とは少し異なるが触れておくと、挙げられていた原因は表層的に見えた。

文章を書く際には推敲が非常に重要だ。手書きで推敲するためには、原稿用紙の行間を使うなどの方法が旧来からあるとはいえ、修正を加えていくうちに見通しを悪くする。そのために、熟達者でなければ清書が必要になる。手書きでは、時間と手間の掛かる作業になってしまう。

ところが、PC上で行えばその手間は劇的に減る。したがって、じっくりと作文をさせたいのであれば、低学齢のうちにPCの操作、特に文章入力・操作の能力を育てておかなければならない。

しかし、現在の学校では、PC利用に制限がありすぎ、手書きで文章作成をさせることによって、推敲を繰り返す大切さを学ぶ機会はない。早急に実現してほしいところだが、今年に入って急展開を始めたGIGAスクール構想すら軟着地できるのか怪しいとすら感じる。

児童・生徒の人数分のPCとシステムを揃えても、教員に対する教育が追いつくのだろうか。ただでさえ、ICTリテラシーは、教員間での差が激しい。そしてICTリテラシーの高めの教員ですら、さほど高いとは言いがたい。

したがって、2つ目の原因「パソコンを使った調査に移行したことの影響」は、画面上で文字を読み慣れないとの点はその通りだが、その背景には、文章を推敲しない、推敲するにしてもPC上で行うことがないために自分の文章すらPC上で読まない、という教育実態の結果に見えた。

さらに言えば、文章を読みながら下線を引けないことがネックになるというのは珍説の類いに見える。下線を引かなければ読めず理解できないのだとしたら、それはそもそも読んだものを理解できているとは言いがたいからだ。少し考えれば分かることだが、図書館で借りた本には線が引けない(引いてはいけない)。そういった本は読めないと言いたいのだろうか。

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