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家族の形

こんにちは。
家族の形が変わり、普通が無くなっている感覚のある昨今。
同じテレビをみて寛ぐ事が当たり前じゃなくなってますよね。

我が家の休日もリビングでタブレットを開いて好きなアニメを見る娘。
ソファーに寝そべり録画番組をテレビで見る主人。
パソコンを開いて、文章を書く私。(本を読む私も多い)

同じ部屋で重なる音声。小2の娘は自分の世界に入れるようでお構いなし!
めっちゃ勝手な家族に頭に来るけど、私も人に合わせるのは好きじゃないタイプ。(特に自分の自由時間は自分のしたい事をしたい)

本当はこれが最高な時間!なのに、、、こんなにも同じものを一緒にみない家族で大丈夫なのだろうか?とモヤモヤする。

昔の家族

こうゆう時、過去を思い出すことがある。

家族で同じテレビを付けて見る時間。

あの必要ない時間(みんなで同じテレビを見る時間って今の我が家では重要な時間になっていません。)にも、ちゃんといい面もあったんだなって最近振り返る事が多くあります。
ふっと過去の家族感じる時、同じ部屋で(何が面白いんだ?と思いながら付き合って見てたテレビ番組=昔から家族と趣味が同じじゃなかった私。)見てた情景が思い出される。

いいでも悪いでもないあの家族の空気感。

興味ない中から少しの光を見つけて、自分の興味に繋げる時間ってすごく心を豊かにしてくれた時間だったなと思う。

これは、自分の興味だけを追求していたら得られなかったんだろうな。

「必要ない!」の一言では片づけられないなぁーと最近やたらと思い出します。


興味のないところから興味を見出す作業

興味ないTVをみんなで見る行為って、
つまり・・・・・・

「自分の興味ない事から自分の興味に変えていくクリエイティブな作業」だったんだろうなって。
少なくとも私は、そんな風に子供時代を過ごしてた。

自分は興味ない!自分は好きじゃない!って自分を熟知した大人(様々な経験を経て得られるもの)なら言ってもいいけど。。。

未熟な人間の私(子供たちも)は何に興味がなくて、何が嫌いかなんて到底わかるわけないんだと思うんです。

嫌いな中にも楽しみが混ざってて。興味ないとおもっていたことの中にもきっと様々な学びがある。

つまらない世の中から楽しみを見出す

これって本当に大切な行為だと思っています。

人生ってつまらない事に溢れてるじゃん?

好きな仕事をしよう!好きな事めいいっぱいして楽しくすごそう!人生を楽しむ!って素敵なワードの数々。

私もこうゆう類の事を求めてきたし、今もこんな人生にする事を目的として生きています。
ふっと気付いたら楽しい事だけを受け取ろうとしてる自分に気付いたんです。

でも、楽しい○○の中には「つまらないこと」「やりたくない事」「興味ない事」も含まれています。それを受け取りたくない!やめよう!ってあっちへフラフラこっちへフラフラ。

つまらない事をやってくれる人が居るなら、任せるとか、助けてもらうって大切だけど。

最終的に自分では避けて通れない時ってありますよね。

その時は「その中から楽しみを見出す」なのかなって。

それはその人の学び、知らない自分を知るきっかけになり、、、、自分の厚みになるんだと思いながら、自分の楽しみに形をかえてはめ込むといいと思います。

自分の楽しみに形を変えるって簡単な事じゃないのかも。だから私は自分を沢山知って分析してます。

今の家族の形もまた完璧

話は戻って、今の我が家の家族の姿は理想的でもあります。
みんながみんな好きな事が違って当たり前。
どう過ごすかは自分で決める。

それって本当に良い!

でもそこに私が培ってきた「興味ないところから自分流に変換する力」を混ぜ込みたいなって。最近そんな風に感じるのです。

だから自分にも家族にも「人の興味にたまに乗ってみる」事を課題にしたいなって。
その中で知らない自分に気付く事があるんだよって伝えていきたいなって思っています。社会、学校のありがたみもしみじみ感じるのでした。人間やっぱり沢山の人から学んで生きているんだなって。

読んできただき、ありがとうございます。

何か感じた事、気付きがあればぜひいいね♡コメントいただけると嬉しいです。


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