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過去と出合う今

フィルム写真のデータ化を始めるまですっかり忘れてたんだけど、1997~1998年のニューヨーク滞在中、最初の頃は写真学校に通っていた。といっても、1回か2回だ。てっきりニューヨークには写真を撮りに行ったのだと思っていたけど、写真を学びに行く目的もあったようだ。

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今でこそ、独学なんてのは当たり前になったけど、当時はプロになるには写真の学校(大学や専門学校)を出て、スタジオのアシスタントをやり、そこで縁のできたプロカメラマンのアシスタントをやってから独立するというのが一般的だった。

そんな中、まったくの独学だった私は、誰からもきちんと学んでいないことにコンプレックスがあったのかもしれない。もしくは不安があったのか。今となってはその辺の心境は定かではない。

なのにだ、結局、1度か2度通っただけで、行かなくなってしまった。写真を見たら分かる。その時の写真がまったくないのが裏付けている。もったいない。どういう支払いシステムになっていたのだろう?一回幾ら。あるいは5回か10回で幾ら。または1ヶ月ないし3ヶ月単位で幾ら。まるで思い出せないが、日本の状況に例えるなら、写真の専門学校のようなところのワークショップを受けたみたいな感じだと思う。受けた内容も覚えていない。スタジオワークだったのか、はたまた暗室作業だったのか。とにかくなにも思い出せない。あと数日で50になる男の記憶なんてそんなものだ。

なぜ行かなくなったのか。お金が続かなかった?あるいは単純に面白くなかったのか...こっちのような気がする(笑)

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でも、ほんと写真てすごいな。こうして数10枚でもその時のことを撮っていた写真があったから思い出したわけで。この写真がなければ未来永劫、思い出すことはなかった。というか記憶から完全に抹消されていた。人間の記憶なんてのは本当にあてにならない。残しておきたい自分に都合の良い事柄や、相当強烈な体験を伴ったもの(嫌なことも含む)でないと覚えていない。多分に主観によるから公平性に欠ける。

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私のカメラに興味深々。基本カメラマンはカメラ好き、は世界共通。1990年代は高級コンパクトカメラがブームの頃で、私もコニカヘキサー、コンタックスG2、ライカminilux、リコーGR1などを所有していた。ニューヨークはこういったカメラで撮影している。

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コニカヘキサー35mmF2レンズ付き。良いカメラだった。

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使ってみたかったのか、なぜか私を撮っている。といってもデジタルじゃないからどう写ったかは、彼は確認できていない。

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改めて思う、記録としての写真。これは平気で時空を超えて、突然立ち現れ、ある種暴力的なまでに事実を見せる。すごい力だよ。時間を写し止められるなんて。それは100年経っても、200年経っても、残り続ける。名作でなかろうとも。

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