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【感想】湯浅政明監督アニメ映画『犬王』は、実在した能楽師を”異形”として描くスペクタクル平家物語

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天才が結集した驚愕の「変な話」!観るつもりのなかった『犬王』に、頭をぶん殴られたような衝撃を受けた

映画『犬王』を元々観るつもりはなかった。湯浅政明監督作だとは知っていたし、映画『夜は短し歩けよ乙女』の人だとも知っていたから、公開を待ちわびていてもよかったはずだと思う。ただ、観る予定になかったのは、テーマが「平家物語」だったからだ。「平家物語かよ」と思っていた。劇場で予告映像を観ても、特別惹かれるポイントがない。鑑賞前に評価を調べる習慣がないので、この映画の評判が物凄く良いという情報も、私のところには届いていなかった。そんなわけで、「別に観なくていいか」とずっと思っていたのだ。

観ることに決めたのは、ホントにたまたまだった。「平日の夜、仕事終わりに1本観ようと思ってるのに、上映スケジュールがまったく合わない」と思っていた時に、映画館のサイトをうろうろしながら『犬王』を見つけたのだ。素晴らしいことに、仕事終わりで観るにはピッタリの開始時間だった。これだな。私は、特段期待もせずに、映画館へと向かった。

やっば。なにこれまじで。私はこんな傑作を見逃すところだったのか。危なかった。ってか天才やん、この映画。なんなんマジで。

ってなった。

家に帰って、『犬王』について調べてみて驚いた。原作が、あの古川日出男だったのだ。マジか。そりゃあ、古川日出男が描く物語なら、ぶっ飛んだ話になるよなぁ。しかも「犬王」って、実在した能楽師なのかよ。まあもちろん、この映画で描かれるような”異形”じゃないだろうけど、にしたって、実在の人物をベースにここまで面白い物語を作れるものなのか。さすが古川日出男。ってか、原作が古川日出男だって知ってたらもっと早く観てたよなぁ。

他にも、キャラクター原案は松本大洋、脚本は野木亜紀子、音楽は大友良英と、私でも知っている作品を手掛ける超一流のクリエイターが集結した、とんでもないモンスターアニメーションだったのだ。

マジで観てよかった。ホントに、ちょうど公開最終週に観たのだ。危ない危ない。こんなとんでもない傑作を、しかも、まさに映画館で観るしかないと感じさせる「音楽映画」を観ないまま死ぬところだった。

大げさではなく、ホントに私はそのぐらい衝撃を受けたし、感動させられてしまったのである。

「音楽映画」としての特徴と、ざっくりとした内容紹介

『犬王』はアニメ映画だが、その半分以上は「音楽映画」と言えるだろう。最近では、アーティストのライブが配信でも観られると思うが、まさに「映画館でアーティストのライブ配信を観ている」ような鑑賞体験だと言っていい。「犬王」の歌がメチャクチャ上手いのだが、本職の歌手が声優をやっているのだから当然である。バンド「女王蜂」のアヴちゃんというアーティストだそうだ。その人のことは知らなかったが、歌唱は圧巻だった。

古川日出男の原作は読んでいないので、あくまで想像にすぎないが、映画は「音楽」の部分をかなり広げたのではないかと思う。小説では音を伝えることは出来ないが、映画でならそれが出来るからだ。古川日出男のことだから、とんでもない設定と、長大な文章で、異次元の世界観を作り上げているはずだが、映画では、その原作の中から、「音楽パートとして増幅させられる箇所」を抽出して作品に仕立てているのではないかと私は思う。実際のところ、原作はどんな物語になっているのだろうか?

映画の物語は、「友魚(ともな)」という少年を起点にして始まる。彼の生家の生業は、壇ノ浦に眠る平家の沈没船から「お宝」をかすめ取る仕事だ。そんな彼らの元にある日、京の都から大金を携えた男たちがやってくる。なんでも、彼らが持参した地図が示す場所に「三種の神器」の1つが眠っているから探し出せ、というのだ。

当時の日本は、北朝と南朝の2つに朝廷が分裂していた。そして北朝は、その権威の象徴として、「三種の神器」を1つでもいいからどうしても手に入れたいと考えていたのだ。男たちと話をする友魚の父は、「長年ここにいるが、そんなものは見たこともねぇ」と断ろうとするのだが、家の外から友魚がこっそり送る指示に従い、男たちの依頼を引き受けることにした。

彼らはそれを見つける。探し当てたのは剣だった。父がその剣を鞘から抜くと、まさにその一閃によって父は命を落とし、友魚は失明してしまう。

盲(めしい)となった友魚は、父の仇を打つと決意して村を出た。その旅の道中、彼は「平家の物語を歌に乗せて語る者」に出くわす。琵琶法師である。友魚は、偶然出会った琵琶法師を「兄者」と呼んで慕い、共に旅をしながら琵琶の実力を磨くことにした。

長年の放浪の末、「兄者」にとって14年ぶりだという京の都へと辿り着く。そこで友魚は、琵琶法師の巧者集団の仲間入りを果たし、それを機に自らの名を「友一」と変えた。

一方、そんな京の都を、瓢箪のお面を被った、片腕が異様に長い男が疾走している。彼は一体何者なのか。

彼は、猿楽の伝統を受け継ぐ「比叡座」の生まれである。しかし、その恐ろしい”異形”ゆえ、「猿楽を継承する者」として扱われはしない。「比叡座」では、その”異形”以外の息子たちに猿楽を叩き込もうとする。しかし、父が望むようなレベルにはまったく到達しない。

琵琶法師・友一と謎の”異形”は、ある火事の夜、たまたま橋の上で遭遇を果たす。”異形”は時々お面を取り、その恐ろしい風貌で人々を恐れさせて面白がっているわけだが、目の見えない友一は、素顔を見せられたところで驚きもない。”異形”は琵琶の存在に気づく。「弾けるのか?」と問い、「当然だ」と答えた友一が琵琶をかき鳴らす。その音に乗せて、”異形”の即興の舞いも橋の上で展開される。

友一は”異形”に名を聞いた。「名前はない」と答えた”異形”は、しかしすぐに「もう決めてある」とも口にする。

そう、この”異形”こそ、後に京の都の人々を熱狂の渦に巻き込む「犬王」である。

とにかく「ライブ感」が最高な映画

映画『犬王』は、ストーリーももちろん興味深い。しかし、先程触れた通り、半分以上は「音楽映画」だと思っていいし、まさにライブ映像を観ているような感覚になれるのがとても良かった。といっても私は、音楽ライブにもフェスにもまったく縁のない人間で、「音楽を体感することでテンションが上がる」みたいなタイプではまったくない。しかしそれでも、この映画を観ながら、自分のテンションがズイズイっと上がっていくのが感じられた。

面白いのは、友一や犬王が生きていた時代には恐らく「オーバーテクノロジー」であるはずの「演出」が組み込まれていることだ。言葉で説明して伝わるか分からないが、例えばこんな感じ。大量の白布を貼り付けたようなスクリーンを垂直に立て、そこにクジラの影絵のようなものを映し出し、さらにロープで上から吊るされた犬王が、クジラの影絵と格闘するかの如くそのスクリーン上を縦横無尽に動き回る、みたいな。このように、かなり現代的な発想による演出が随所に取り入れられているのだ。

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