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【抵抗】西加奈子のおすすめ小説『円卓』。「当たり前」と折り合いをつけられない生きづらさに超共感

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「常識」「当たり前」に躓き、立ち止まり、苛立ちを露わにする少女の純粋な”怒り”にワクワクする

なかなか衝撃的でした。「世間とのズレ」みたいなものをずっと感じてきた私には、実に爽快な気分になれる作品です。主人公の「こっこ」が、とにかく「社会の当たり前」にいちいち突っかかっていきます。その姿は滑稽ではあるのですが、しかし、ある意味では「私たちがいかに何も考えていないか」を指摘する鋭さも持っているわけです。

物語性と呼べるものはこの作品にはほとんどありませんが、しかしそれでも、圧倒的な魅力で一気に読ませてしまう作品だと思います。

まずは内容紹介

主人公は渦原琴子。こっこと呼ばれている小学3年生。

彼女は、「孤独」を何よりも愛している。小学3年生にして恐ろしく達観しているのだ。孤独に浸り、一人涙したいと本気で思っている。しかし、彼女の生活環境がそれを許さない。

三つ子の姉と両親、祖父母と暮らす大家族だからだ。みんなで食事が出来るようにと、居間には中華料理屋からもらってきたでっかい円卓がある。邪魔でしょうがない。

こっこは、「人と違うこと」にも憧れる。だから、「ものもらい」のせいで「眼帯」をして学校にやってきた香田めぐみに憧れてしまう。ベトナム人の両親が「なんみん」で、名前がなんと3つに分かれているグウェン・ヴァン・ゴック(通称グックん)にも憧れる。吃音が激しくて吃った声でしか喋れない幼なじみのぽっさんに憧れ、クラス会の途中に「不整脈」で倒れた朴さんにも憧れてしまうのである。

そして、「人と違うこと」に憧れる気持ちは、「平凡な姉たち」に対する怒りとしても発露する。美人で三つ子なら、どれだけ「人と違う」人生を歩めることか。しかし彼女たちには、そんな発想が浮かばないようだ。いかにも平凡でイライラする。

両親も祖母もまったく面白くない。家族のほとんどがこっこの琴線に触れないのだ。唯一、祖父の石太だけは評価してやってもいいと思っている。まだ話せる相手だ。

こっこの日常は、なかなかに忙しい。興味関心の赴くままにあれこれ首を突っ込んでいく。こっこの唐突な行動は、周囲を怯えさせてしまうことも多い。しかし、彼女はそんなこと気にしない。凡人にどう思われたって平気だ。

こっこは今日も、日常を爆進する。

こっこの「世界との折り合いのつけられなさ」への共感

内容をちょっと知っただけでも、いかにこっこがぶっ飛んだ存在かが理解できるでしょう。とにかく彼女は、「自分が何に惹かれるのか」を明確に意識しているし、どうにかして「惹かれるもの」と関わろうと日々奮闘しています。私は、そんなこっこのスタンスがとても羨ましく感じられます。

本書は、こっこの主観で物語が展開していくのですが、客観的にこっこを捉えた場合、恐らく「世界と折り合いをつけられない子」という見え方になるでしょう。社会の中で生きていく上で、みんながなんとなく守っているルールや、気をつけている行いは、たとえ小学生だとしてもある程度身につくものだと思います。しかしこっこは、とにかくそんな風には考えません。「自分のテンションが上がるか否か」ですべての物事を判断しており、それ以外のどんな規範も基本的には無視して生きているのです。

そんなこっこが羨ましく感じられます。

まず素晴らしいのはやはり、小学3年生にして、「自分が何に惹かれるのか」を明確に理解しているという点です。私は子どもの頃、「周りとどうも合わない」という感覚は持っていましたが、「自分がどう振る舞えば、あるいは、どういう世界に行けば穏やかでいられるのか」は正直よく分かっていませんでした。しかしこっこは、「孤独」や「人と違うこと」を強烈に愛し、さらにそれをハッキリ自覚しているのです。この点がまず、何よりも素晴らしいと感じました。

さらにこっこは、「惹かれること」と関わるためなら躊躇しません。彼女の「世界への対峙の仕方」や「有り余るパワー」は見ていて爽快で、素敵だと感じました。こっこはとにかく、周囲の人間を巻き込んだり、状況を混乱させたり、関わる人を不思議がらせたりします。そして、相手の反応などお構いなしに、自分の欲求だけに忠実に前進していくのです。

とにかく、こっこのその「生きるスタンス」にメチャクチャ惹かれました。

「なんとなく」が通用しないこっこの見事なスタンス

本書で一番好きなのは、「イマジン」に関するくだりです。まさにこっこの本領発揮という感じでしょうか。幼なじみのぽっさんと祖父の石太の3人の会話によって、こっこに対しては「なんとなく」が一切通用しないのだとシンプルに明確になるシーンです。

この3人が話している内容を具体的に紹介することは難しいのでここでは触れません。とにかく「イマジン」についての話です。さて、その話の流れでこっこは、「『こっこには理解不能な理由』によって、自身の行動が制約されてしまう」という状況に陥ります。ぽっさんと石太がこっこを説得しようとするのですが、こっこは自分の内側から湧き上がってくる「そんなのおかしい」という感覚に従って抵抗を続けます。

呼んでどう感じるか分かりませんが、私はこっこ寄りの人間なので、こっこの主張に賛同してしまいます。というか、こっこの視点に立てば、間違いなくこっこが正しいと言っていいでしょう。こっこは、「自分の主張は間違っているかもしれない」という躊躇など一切見せずに、彼女のこれまでの言動と一貫した主張を繰り出します。彼女の主張をどう受け止めるかは様々な意見があるでしょうが、一理あると感じる人もきっといるでしょう。

そんなこっこの反論に、普段であれば彼女を諭す役割であるぽっさんも言葉を詰まらせてしまうのです。

常識的な判断をすれば、ぽっさんや石太の主張の方が真っ当ということになるでしょう。だから、こっこが猛反発したこのような制約を課すことは、社会では普通問題にはなりません。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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