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【おすすめ】柚月裕子『慈雨』は、「守るべきもの」と「過去の過ち」の狭間の葛藤から「正義」を考える小説

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『殺人犯はそこにいる』の「アンサー小説」とも言うべき柚月裕子『慈雨』。警察小説だが、「後悔を抱く人間」に焦点が当たる作品だ

とても素晴らしい作品でした。本書は、「刑事を主人公にした、殺人事件を扱う小説」なのですが、そういうまとめ方をすると作品の良さのほとんどが失われてしまう気がします。決して、事件そのものやその解決に主眼が置かれているのではありません。この物語は、「真実を追う刑事」と「殺人事件の真相」が擦れ合うことで発する凄まじい摩擦に翻弄されそうになりながらも、刑事として、そして何よりも人として「真っ当」であろうとする姿を追う作品なのです。

本書は、その存在を知っている人には明らかだと言えるほど、現実に起こったある事件をベースにしています。「北関東連続幼女誘拐殺人事件」という、一般的には「存在しないもの」として扱われている殺人事件です。「『存在しないもの』として扱われている」とはどういうことでしょうか。それは、「告発があったにも拘わらず、警察が『連続殺人』であることを公式には認めていない」ということです。

事件を告発したのは、日本テレビに勤める記者・清水潔。彼が「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の存在に気づき、そのように命名し、事件について調べ、ある冤罪を晴らし、その後「真犯人」にたどり着くものの、それでも警察が一向に動かないという、その顛末を1冊にまとめたのが『殺人犯はそこにいる』です。ドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」(関西テレビ)の参考文献の1冊であり、それがきっかけで知ったという方も多いかもしれません。

『慈雨』は、まず間違いなく「北関東連続幼女誘拐殺人事件」をベースにしています。そして、やりきれない未消化の想いを存分に含んだ『殺人犯はそこにいる』が「問い」だとするなら、『慈雨』はその「答え」だと言っていいかもしれません。いや、より正確に言えば「答えであってほしい」という感じです。現実は残念ながら、『慈雨』のようには動いていません。

「北関東連続幼女誘拐殺人事件」がどのような事件なのかについては、『慈雨』と関係する部分にだけは触れておきましょう。「北関東連続幼女誘拐殺人事件」において警察はなんと、「警察の信用を守る」という大義を掲げた「自己保身」によって、信じがたい「現実歪曲」を行うのです。警察も司法も、「臭いものに蓋をする」と言わんばかりにこの事件を「無かったこと」にして、二度と触れたくないと思っているのでしょう。

そして『慈雨』は、「過去の過ちを認める覚悟を決めるまでの物語」なのです。16年前に終わったはずの事件が「パンドラの箱」として目の前に現れた時、それを開ける勇気を持つことができるか。読者もまた、そのように問いかけられる作品だと言っていいでしょう。

まずは内容紹介

3月に定年を迎えた元刑事・神場智則は、警備会社への再就職が1年先送りになったのを良い機会と捉え、退職したらチャレンジしたいと思っていた四国八十八ヶ所のお遍路に行こうと決めた。主な目的は、かつて自身が関わった事件の被害者への供養である。

目的が目的なこともあり、妻の香代子を連れて行くつもりはなかった。しかし彼女も同行を希望したため、止む無く受け入れることにする。これまでの刑事人生において、妻には散々迷惑を掛けた。妻が一緒に行きたいというなら、断ることはできない。

妻と共に霊場を巡る中で頭を過ぎる思考は、これまでの人生についてのものだ。片田舎の駐在所勤めに苦労したこと、刑事になってから出会った様々な人々のこと、娘の幸知のこと、彼女が元部下の緒方圭祐と付き合っている事実を未だに認めていないこと。そういう様々な事柄が頭を駆け回る。また、陽気な妻とは違って無口な神場にとっては、霊場巡りは久々に妻と話をする時間にもなっていた。

しかし、どれだけ霊場を巡ろうとも、どうしても心穏やかにはなれずにいる。むしろ、お遍路を続ければ続けるほど、神仏に救いを求める行為に対する違和感が募るばかりだった。

未だに悪夢を見るのだ。16年前のあの事件での、自分が犯してしまったかもしれない「過ち」を。刑事としての自身の存在を揺るがし続けたあの事件が、神場の心に今も巣食っている。

なにせ、現在進行形の話かもしれないのだ。

お遍路中も、緒方から度々連絡が来る。群馬県で事件が発生した。愛里菜ちゃんという小学1年生の女の子が、陵辱され遺体で発見されたのだ。その捜査の進捗状況を、緒方は神場に報告している。

まさか、16年前のあの事件と……。

過去の過ちと向き合うことは容易ではない

物語は、神場が抱く葛藤を軸に展開していきます。その葛藤は、16年前に起こったある殺人事件に関係するものです。神場は、「あの事件で取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないか」という想いを、未だに拭えずにいます。

神場の葛藤が短くまとまった文章を引用してみます。

いまここで、十六年前の事件と向き合わなければ、自分のこれから先はない。過ちを犯していたならば、罪を償わなければならない。そうしなければ、自分の人生そのものが偽りになってしまう。家族、財産、すべてを失ったとしても、それは過ちを犯した自分に科せられた罰だ。

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