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【異端】「仏教とは?」を簡単に知りたい方へ。ブッダは「異性と目も合わせないニートになれ」と主張した:『講義ライブ だから仏教は面白い!』(魚川祐司)

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ゴータマ・ブッダは何を主張し、何故仏教はここまで受け継がれてきたのかが理解できる1冊

「宗教」全般に対して、私は正直あまり良い印象を持っていない。それは新興宗教に限らず、キリスト教やイスラム教などに対しても同様だ。何故印象が良くないかと言えば、「偉い人の教えを盲信する」というイメージを持ってしまうからである。「キリストが言ったこと」「コーランに書かれていること」などをある種”無批判”に受け入れ、それが絶対的な「正しさ」であると思い込む、というのが、私が「宗教」に対して抱いてしまう印象だ。

しかし本書を読んで、少なくとも「仏教」に対するイメージは大きく変わったと言っていい。

仏教にももちろん、その創始者であるゴータマ・ブッダの「教え」があるのだが、しかしそこに「盲信」は存在しない。上記の記事で詳しく触れたが、仏教に限らず東洋哲学は、いかに「悟る」かこそが何よりも重要であり、あらゆる教えが「悟る」ための手段に過ぎないのである。世の中の人々を「悟る」という状態へと押し上げるための手引書のようなものであり、聖書やコーランのような「ルールブック」的存在とは一線を画すと私は感じた。

「仏教」そのものは決して分かりやすいものではないが、本書の記述は非常に易しく、初心者でも分かった気にさせてくれる作品だ。臆せず手にとってみてほしい。

「仏教を理解する上での注意点」と「本書を読む上での注意点」

本書の冒頭に、こんなことが書かれている。

私が本講義で行っているのは、「理屈と筋道の話を聞いているだけでは駄目で、最終的には実践をしていただかないと、本当のところはわかりません」というところまでを、何とか理屈と筋道でお話しようとすることなんです。

「仏教」には「修行」が必要不可欠だ。「修行」をしない者に「仏教」を理解することはできない。そして、「『修行』をしない者に『仏教』を理解することはできない」ということを理解してもらうために本書が存在する、というのが著者のスタンスというわけだ。

同じようなことは、先述した『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』にも書かれていた。入門書を読むだけでは東洋哲学を理解できない理由についても触れたので、そちらも是非読んでほしい。

先述した通り、仏教においてはいかに「悟る」かが重要であり、すべての教えはその実現の手引書に過ぎない。そして、「悟る」ためには「修行」をしなければならないのだから、手引書だけ読んでいてもその本質は理解できない、ということになる。

だから、本書を読んでも「仏教」については分からない。ただし、「これ以上は『修行』をしなければ理解できない」というそのギリギリ手前ぐらいまでは連れて行ってくれる作品なので、それだけでも十分読む価値があると言えるだろう。

さてさらに本書ではもう1つ、こんな注意が促される。

そこで、本書では主に「ゴータマ・ブッダの仏教」の根源的な思想構造と、その実践(瞑想)との関連に焦点を絞ってお話をしています。

ざっくり言えば、「仏教には様々な種類があるが、本書では、創始者であるゴータマ・ブッダの主張に絞って話を進める」という意味だ。

仏教には大きく分けて「小乗仏教」と「大乗仏教」が存在する。ゴータマ・ブッダの主張は「小乗仏教」に集約されるのだが、我々が「仏教」と聞いて一般的にイメージするのは「大乗仏教」だ。つまり本書は、我々にとって馴染み深い「仏教」の話ではない、ということになる。この点は押さえておかなければならない。

本書には、このように書かれている。

そのような性質の著作ですから、本書は「これ一冊で仏教の全てがわかる」種類の入門書ではもちろんありません。右に述べたように、仏教に関しては様々な見方が存在しますから、本講義はあくまでもそのうちの一つを示したにすぎませんし、また基本的な知識であっても、本書の中ではふれることができなかったものも多くあります。
ただ、タイトルにある通り、本書を読むことで、「なるほど。たしかに仏教というのは、とにかく面白いものなんだな」ということを、読者の皆様に感じていただけるであろうことには、ひそかに自信をもっています。

あくまでも、本書をきっかけに「仏教」の世界に触れてほしい、という意味で執筆したというわけだ。

では、「小乗仏教」と「大乗仏教」はどのような関係にあるのだろうか? これについて著者は、著者自身のアイデアというわけではない「大乗経典同人誌論」を引用しながら説明している。もの凄くざっくり言えば、「小乗仏教」を元に作られた同人誌が「大乗仏教」というわけだ。

ゴータマ・ブッダの死後、彼の弟子たちが様々に、「ブッダ様はこんな風に言っていたけれど、自分としては仏教はこんな風であってほしい」と考えるようになっていく。それらは、ゴータマ・ブッダの思想である「小乗仏教」的な要素を含みつつも、弟子たちの希望も込められた別物(同人誌)だ。

そしてそれら同人誌の方が世間に広まっており、我々が知っている「仏教」のイメージは「大乗仏教」がベースになっている。しかしそれは、本来ゴータマ・ブッダが主張したこととは違う、というわけだ。

この2点を理解した上で、本書や以下の記事を読んでほしいと思う。

ゴータマ・ブッダの主張の本質は、「異性とは目も合わせないニートになれ!」である

著者は仏教について、

したがって、本来的には、ゴータマ・ブッダの仏教というのは、「社会の中で人間的に役に立つ」ための教えでは全くないわけです。

と断言している。まずこの点が私には非常に意外に感じられた。

最近では「マインドフルネス」と名前を変えて「瞑想」に注目が集まるなど、「仏教的なもの」は「穏やかさ」「価値がある」という受け取られ方をされるだろうと思う。お坊さんに対しても、実像はともかくとして、「良い人」「穏やかな人」というイメージを持っているはずだ。

もちろん、仏教の修行を経ることで「良い人」「穏やかな人」になれる可能性はあると思う。しかしここで大事なのは、ゴータマ・ブッダはそんなことを目的として仏教を創始したわけではない、ということだ。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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