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【教育】映画化に『3月のライオン』のモデルと話題の村山聖。その師匠である森信雄が語る「育て方」論:『一門 “冴えん師匠”がなぜ強い棋士を育てられたのか?』(神田憲行)

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村山聖の師匠であり、12人ものプロ棋士を育てた”冴えん師匠・森信雄”が「育て方」を語る

森信雄とは何者なのか?

「森信雄」と聞いて、誰なのかパッと頭に浮かぶという人はそう多くはないと思う。少なくとも、藤井聡太や羽生善治ほどの知名度はないし、本人が「冴えない」と言っているように、森信雄自身は決して「強い棋士」ではなかったからだ。私も、「存在を知ってはいたが名前をちゃんと覚えていたわけではない」ぐらいの認識であり、名前を聞いただけでパッと思い出せる自信はない。

私が森信雄の存在を知っていたのは、「村山聖の師匠」としてである。『聖の青春』(大崎善生/講談社)の主人公であり、映画では村山聖を松山ケンイチが、森信雄をリリー・フランキーが演じていた。村山聖は『3月のライオン』に出てくる二海堂晴信のモデルではないかとも言われている。

村山聖は、あの羽生善治のライバルと言われるほどの強さを誇りつつ、ネフローゼ症候群という重い病気を抱えながらの棋士人生であり、29歳の若さでこの世を去った。『聖の青春』では、「病気と闘いながら棋士として奮闘する彼のパンツを師匠が洗っていた」というエピソードも出てくる。

そのパンツを洗った師匠こそが森信雄なのだ。

その森信雄は、村山聖を含めて12人ものプロ棋士を育ててきた。これは、師弟関係が正確に記録されるようになった戦後において最も多い数字だという。女流棋士も含めれば計15人を育てたことになり、そもそも弟子を1人も取らない棋士も多い中にあって圧倒的な数を誇っている。しかも凄いのは数だけではない。弟子の中には、山崎隆之・糸谷哲郎・千田翔太など、将棋にまったく詳しくない私でも名前を聞いたことがあるような実力を持つ棋士がいるのである。

ただ、そんな森信雄自身は決して将棋が強いタイプではなかった。生涯成績は403勝590敗。これがどのくらいのレベルなのか私には判断しがたいが、少なくとも「負け越している」のは確かであり、本人の「冴えん」という評価は謙遜というわけでもないのだろうと思う。

また、勝負の世界で生きる者とは思えない発言もしている。彼は、「勝負の世界から解放されて嬉しい」というような発言を、引退の直前にしているのだ。

連盟の職員さんやったかな、(※引退を)宣言したら定年が5年延びますよって言われて、「やったー」という感じで選びましたね。これでもう順位戦で胃が痛くなるようなことはないし、5年間お金もらえるし。エエことずくめやのに、なんでみんな(宣言を)せえへんのが不思議やわ。

少し説明が必要だろう。そもそも棋士に「定年」はない。正確に言えば、「順位戦に在籍し続けられる限り『定年』はない」が正しい。その順位戦にはランクがあり、一番下が「C級2組」と呼ばれている。この「C級2組」での成績が振るわずに降級点を取ってしまうと、順位戦ではない「フリークラス」に降格してしまう。そしてこの「フリークラス」には60歳という定年が存在するというわけだ。

しかし、将棋界にはこんな独特なルールがある。「C級2組」で降級点を取って「フリークラス」入りするのではなく、自ら「フリークラス」入りを宣言することができ、その場合は定年が65歳まで延長されるのだ。「引退を宣言したら定年が5年延びる」というのは、「フリークラス入りしたら自動的に65歳で引退になる」という意味なのである。

「5年間お金もらえるし」というのは、当時存在していた「棋士への基本給」のことを指しているのだろう。かつては、対局したかどうかや戦績などに関係なく、「プロ棋士である」という点に対して基本給が出ていたのだ。現在ではこの仕組みはなく、「対局料」という形に変わっているので、当時と今では状況が違うのだが、確かに「フリークラス」入りしても基本給が出るなら、定年が伸びることを喜ぶ気持ちも分かる。森信雄はそのような仕組みを知らなかったそうで、だから「やったー」と感じているというわけだ。

「なんでみんなせえへんのか」については、やはり「順位戦に出られない」という点が大きい。順位戦を勝ち抜かなければ、タイトル戦の中でも伝統・格ともにトップクラスの「名人戦」への出場権を得られないのだ。「フリークラス」入りすることは「名人戦」への挑戦権を放棄することを意味するわけで、多くの棋士がそのことに抵抗を感じるのである。

しかし森信雄はそんなこと気にしない。

そこが棋士としてのプライドの違いなんでしょうな。僕はあまりそんなんあらへんから。

恐らくこの言葉の点には、森信雄が棋士になった背景も関係しているだろう。もちろん、将棋が好きで強かったことが大前提の話ではあるのだが、その上で彼は、絶望的に仕事ができなかったそうなのだ。

僕は世の中で自分がやれることは相当少ないと感じていました。働いても他人に迷惑掛けてばかりですよ。だから自分の力を発揮するんじゃなくて、人に迷惑掛けない仕事をしたかった。

本書には、彼が働いていた頃の様々なダメエピソードも紹介されている。奨励会に入る前に働いていたゴム製品工場ではしょっちゅう機械を止めてしまった。また、奨励会に入った後で働かせてもらった洋品店を数ヶ月で逃げ出してもいる。洋品店を逃げ出したのは、仕事が辛かったからではなく、将棋で勝てなかった苦しさからだったそうだ。とはいえ、夜逃げ同然でいなくなったそうなので、やはり一般的な社会で生きていくのは難しいのだろうと感じさせるエピソードだと思う。

彼にとって「将棋」は、ある意味で「生計を立てる手段」であり、そういうスタンスだったからこそ、多くの弟子を育てられたという背景もあるのだろうと感じた。

「奨励会」の難しさと、森信雄の元に集まる子たちの特徴

「フリークラス」入りしてまでプロ棋士であり続けようとした理由は、お金だけではなく、弟子を育て続けるためだっただろうとも思う。

プロ棋士になろうと思ったらまず、「奨励会」に入会しなければならない。ここで、プロ棋士を目指す者たちと闘いを繰り広げ、勝ち抜くことができればプロ棋士になれるのだ。そんな奨励会には入会試験がある。そして、その受験資格として、「プロ棋士の誰かに『師匠』になってもらう」という条件があるのだ。師弟関係の実態は問われず形だけのもので構わないのだが、とにかく、「この子の師匠は誰である」ということが明確になっていなければ、奨励会の入会試験は受けられない。

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