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イタリア人が教えてくれたこと


これは前回の関連記事となります。

〈イタリア人〉という単語から
「何か陽気な内容かな?」
と思ってこの記事を開いてしまった人、

おそらくあなたが期待なさっているような
明るく楽しいお話ではない と思います。
ごめんなさい。
それを先ず ご了承ください。

そしてたいへん恐縮なのですが
今回は かなり
(私が)機嫌の悪い(状態で書いた)文章となります💦

ですので けっこう
読む人を択ぶ内容になっておりまして…
理由わけは後述しますが。

けっこうキツめな文章だけど、
「これでもまだ 直接的に全部は書いていない」
と言ったら 信じてくださるでしょうか?
ってくらい〈攻めてる〉から、

みなさん 
気力、体調等に気をつけて
無理をせず

それでも読んでみようという方は
ついてこられる処まで 
チャレンジで ついて来てみてください。

(なんか最近、前口上多いな💧)


*****


イタリアに行って
イタリア人たちの中で生活すれば、
誰でもが
同じことを学ぶわけではないと思う。

現地で 
どんな人と出会うかにもよるし、

どんな出来事があり
それが結果的に その人にとって
どんな経験となったのか。

それに加え

もともとその人が持っていた
性格、考え方、感性…

そういった根底ベースにあるものの影響で
同じ体験から まったく別の 
結論や 学びを得ることも
あるのだと思う。

だから今回の話も 主に

私という一個人が 
イタリアでの生活を通じて
私の周りにいたイタリア人達から学んだこと、

彼らが
その言動、行動を通じて 
私に教えてくれたこと……

その『一端の』シェア という内容になります。


*****


イタリアの人たちを見ていて、
日本人との違いを感じたこと。

それは

イタリア人は 
自分の目で 人や 物事をよく観察していて、
しかも
あまり枝葉末節にはこだわらず
〈 本質 〉(だけ)をていて、

解釈にも 余計なものバイアスを加えず 
目にしているそのままの姿から
自然に導き出される判断をしている
ということ。

イタリアの人たちは
ひとの行動、言動から直接、
その人の本心を読み取っているように見えた。

そして ものすごく勘がいい。

直感的に ほぼ正確に 
状況判断が出来る人が多いように感じられた。

男性でも 女性でも、
大人たちはみんな。

観察し 
考察し 
実際的practicalに判断する

彼らはおそらく 
ガリレオの時代の もっと前から
ずっとそうしているのだろう。

ローマ帝国以前、
イタリア半島南部からシチリア島への 同緯度エリアが
Magna Greciaマーニャ グレチアの一部だった時代から、
(Magna:偉大なる Grecia:ギリシャ)

半島中部に 起源不詳の民族エトルリア人
文化圏があった時代から、

〈自国内〉で
『異民族と共存していた歴史を持つ国』
だからこそ

いま目の前にいる人間が 
信用に足る人物かどうかを
的確に判断する必要があったが為に、
磨かれてきた能力なのだろう。

そして

これこそが 私がイタリアの人たちを
愛する理由の一つなのだけど

長く外国人の支配を受け入れてきた歴史や
異民族たちと戦ってきた歴史が
あるにもかかわらず、

イタリアの人たちには 心の奥底に
揺るぎない
『人間に対する愛情』がある。

一見 矛盾しているように見えるかもしれないけど

彼らは基本的に 
他人への警戒はおこたらないし、
簡単に人を信用するわけじゃない。
同じイタリア人同士ですら。

けれど
他人を簡単には信用しなくても、
心性そのものは 
オープンマインドで 鷹揚おうようで 寛容かんよう

そういう態度で接しながら 
目ではしっかりと観察し、
〈その人の本質 (本性) 〉を見極めている。

ある種 平等というか、
だからこそ外国人に対しても 
殊更ことさらに意地悪な見方は あまりしない。

パンデミックのとき
イタリアは ヨーロッパでいちばん最初に、
いちばんひどい状況になって、
犠牲者も ほんとうに多く出た。

イタリア国内の どんな小さな町にまで
たくさん住み着いている中国人たちが
いち早くウイルスを持ち帰ってきたから。

イタリア人達は その事実を
認識している。

でもその後、イタリア国内で
中国人全体が襲われる事態になんか
ならなかった。

もしかしたら数例、
小さな事件はあったのかもしれないけど。
(それだってイタリア人によるものだったのかどうか)

イタリア人は 見かけほど直情的じゃない。
あの人たちは ものすごく理性的で 
そして 平和主義者。

現実的でもあり、
彼らは 簡単に騙されたり
誤魔化されたりするほど
愚かではないし お人好しでもない。

彼らは ちゃんと〈 賢い 〉。

けれど それゆえに
過剰な同情もしない。

ある人間 (民族/人種) の行動の中に 
卑しい動機や目的を看破かんぱしたら

きっちりとそう認識して、
そういう人間には 
その人間にふさわしい態度をとる。

〈誰に対しても同じ態度〉など、 
そもそも
誰もが同じ考えを持ち、
同じ行動をとるのでもない限り、
有りべくもない。

心が純粋で誠実な人間を相手にするのと、
性根が邪悪で不誠実な人間を相手にするのとでは、
扱い方が違って当たり前だからだ。

よしんば それを差別と呼ぶなら
そういう意味では
イタリアには 差別はある。
あって当然のようにある。

国籍や 人種ごとに。
民族ごとに。

彼らは (彼らにとっての) 外国人の
実際の行動の 積み上げられた実績を見て、

それぞれの人種や民族の
人間性や傾向を把握し、
認識して、
自分たちの信用をどこまで預けるかを測り、
個別に対応していた。

卑近ひきんな例でいえば、
たとえば

フィレンツェで部屋探しをしていたとき
「うちは日本人以外には部屋を貸さない」
と言う大家さんに よく出会った。

「日本人たちはBraviブラーヴィだ。
(Bravo/a は一人へ、Braviは複数人への賛辞)
日本人は皆 部屋をきれいに使ってくれる。
毎月きちんと家賃を払うし、
ちゃんと自分たちで掃除もして、
備え付けの家具や食器も 丁寧に扱う。
それがたとえ若者たちであってもだ。

Bravissimiブラヴィッシミ!(本当に素晴らしいよ)

フィレンツェには世界中から留学生が来るけど、
うちはもう 日本人にしか
部屋を貸さないことに決めているんだ」

そんなふうに話してくれるイタリア人や、
時には
空き部屋を持っている外国人の大家が
しょっちゅういた。

ねぇ これって〈差別〉ですよね?(笑)

イタリア人に 日本人だけ差別されてる。
明確に。

それまでにフィレンツェを訪れ
フィレンツェに滞在した、 
一人一人の日本人の 
真面目で 誠実な態度…

それらが イタリア人達の間で
〈実際の情報〉〈実際の記憶〉として積み重なり、
やがてそれは
『日本人たちが自ら築き上げた実績』となった。

日本人である私は
先達のみなさん達のおかげで 
フィレンツェでは 部屋探しに困らなかった。

相談すら受けたことがある。

「日本人に部屋を貸したいんだけど、
あなたの友達で、部屋を探している人はいない?」

もちろん私も
イタリアの人たちの信頼を裏切ったり、
私が〈日本人〉の評価を下げてしまわないように
正直さと誠実さをもって 行動していた。

良い実績が積み上げられていなければ
信用はされない。

悪い実績ばかりを提供している身でありながら
好意的な待遇を要求する 
厚顔無恥こうがんむちな図々しさなど、
日本人には 理解不能だ。

個人レベルではまだ 
どんな国から来た人であっても
信用を勝ち取れる人も もちろんいるけれど、

民族・人種単位では
日本人は、 
イタリアの人達に 全般的に
かなり信用されていると思う。

けれど こちら側の注意点としては

その鋭い観察眼と 洞察力をもって
日本人の弱点も 
イタリア人たちは把握しているから、

もし「こいつを使って一儲けしてやろう」
等と思われたら、
あっさりと〈使われる〉ことが多い。

日本人は大人しいし
どうせ言葉が出来ない、
文句も言わない、と思って
舐めてかかってくる相手もいるからね?

ちなみに
さっきの部屋の話でも

「日本人は、Vasca ヴァスカ(バスタブのこと)のある家が
いいんだろ?うちにはあるぞ」
とアピールされることがあって、
〈日本人は毎日お風呂に入りたがる〉という、
この、人種の特徴の一つである日本人の生態(💦)は、
知られてバレていた。

イタリアでは、建物や 地域によっては
ガスが使えず、
お湯は タンクの水を
時間をかけて 電力で温めて使う家もまだ多く、
それゆえ光熱費も わりと高くつく。

だからもしかしたら
貸し部屋の料金は、
他の人種の人たちに貸す時よりも上乗せされた
『日本人価格』を設定されていた可能性は、
あると思う。

はっきりとした〈あったという事実〉は、
私は確認していないけど。

でももし仮に 実際にあったとしても
今 これを読んでいるあなたが
どう感じるかはわからないけど

私は別に「ひどい!差別だ!」なんて
全く思わないし、
「光熱費が高くなるものね、そりゃ当然だわ」
としか感じない。
(もちろん許容範囲ってのはあるけどね)

むしろ
「払うから、毎日ちゃんとお湯使わせて欲しい」
と思う。

それというのも↓
(初めてホームステイした家で、
ある日いきなりお湯が出なくなり
パスタ鍋にお湯沸かしてバスルームに運び、
タオルを絞って身体拭くハメになった。
大家さんに「お湯が出ない」と報告したら
「光熱費が高くなるから、毎日お風呂使うのやめて」
と言われて、初めて、周りのイタリア人に聞いたりして
イタリアのお湯事情を知った。
大家さんがワザとお湯を止めたんだとわかって、それなら
最初から言ってくれればいいのに… と少し悲しくなった。
でもだからといって その大家さんを恨む気持ちなどには
ならなかったけど)

こういう 人種ごとの扱いの差異は
差別と呼びたい人にとっては差別なんだろうけど、

いちいち噛みついて文句を言うような 
過剰に神経質な物言いは、

現実を反映していない
みっともないものが多いと感じてる。

〈被害者〉の立ち位置を手に入れて
相手にどんな負担をかけようとも
己の我欲がよくを都合よく優先させたい という
卑劣で傲慢な意図を そこには感じるから。

事実を先ず認識してみたら?
個別対応 = 適切対応 
になってることの方が多くない? と思う。

それだって 見極めるべきことの一つに
他ならない。

相手の 
その行動の裏の〈動機〉〈意図〉を見切り、
見極めれば、
騒いで文句を言うべき案件なのか
そうじゃないのかの 判断がつくようになる。

自分がされた時だけじゃなくて
誰かが「自分は差別された!」と騒いでいる時でも。

もちろん
世界中どこにでも 
善人と悪人はいる。

そんな当たり前のことは 
当たり前のこととして
ちゃんと肝に銘じておくべき。

誰が善人で 誰がそうでないのか
自分の目で見極め 判断して 行動する。

何かが起きた時
自分で責任をとるのか 
相手に取らせるのかを決めるのも
あなた自身。

大人なら 甘ったれてないで
自分で努力して
〈 判断力 〉を磨くしかない。

仕方ないでしょ…
もう子供じゃないんだから。


翻って
日本国内にいる外国人たちに対して
私たち日本人はちゃんと 
それぞれの民族性や 
人種的傾向を見極めた上で、
気をつけるべきところは気をつけて
個別に対応してるだろうか?

毅然とした態度をとるべきところを
使い所を間違えている〈差別〉という言葉にひるんで
必要以上に 遠慮していないだろうか?


なにごとも
〈 本質 〉を見極めよ。


読解力のない人のために書いておくけど
私はなにも
決して誰も信じるな、なんて言っていない。
信じる前に
その人間の本性や 信頼に足る人物かどうかを
見極めるべきだ、という話をしている。

無条件で誰でも信用するのは 
〈正しく立派で素晴らしい人〉なんかじゃない。
そんなのは ただのお人好しの馬鹿。

日本人は
「(他人から) 良い人と思われたい」
という意識が強い人が多いよね、
「(たとえ他人にどう思われても)
真に明察な判断力を持って身を処したい」
という意識より。

少なくとも 
私が会ったイタリア人の多くは後者で、
私も後者の考えではあったけど
実践出来てはいなかった。(らしい)

呆れたように叱られたもの、
Troppoトロッポ buonaブォーナだな、おまえは!」って。
(troppo = too much    
buona = good, nice の女性形。男性形 buono。
要するに「お人好しすぎる」という意味)

「ちゃんと目を開けて生きてんのか?」
くらいの勢いでいらつかれ、つ 心配された。

私はまさか 
自分の態度は甘くて間違っている
なんて、思いもしていなくて

人生観が変わるレベルの 貴重な学びだったから、
いまここで みなさんにシェアしているんです。

いま 日本国内で日本人に迷惑をかけている
外国人たちの多くは

手前勝手に 傍若無人に振る舞いたいけど
その責任はとりたくないから、
日本人が声をあげようとするとすぐに
「多様性」だの 
「差別するな」だのと言うけれど

そう言う声の本質は 

わざとその言葉を使って、
詭弁きべん〉を使って、
負うべき責務から のがれようとしているだけ、
自分の無責任な
時に犯罪にも触れる態度を 追及されたくないだけだ。

だまされるな。

その問題の本質だけを見ていれば
誤魔化されることはない。

そこがブレなければ、
詭弁を使ってくる人間が誰か、
その人間の本性はどんなものかも
見えてくる。

ご立派な肩書きを誇示していたり
日本人のフリをしていたり
弱者を救う善意の人を装ったりして
多くの人を騙そうとしているけれど

その実
その行動や言動の目的、動機は
自分の利益、欲求を満たすこと。

自分の懐に カネと権益を集めて
この国で 好き勝手がしたいだけだ。

反吐ヘドが出る……


これは “リトマス試験紙” の文章。

もし今、これまでの内容にすでに
〈嫌悪感〉を感じた人は、
真剣に 危機感を持った方がいい。

ビクついてるでしょ?
なにこの人、頭がおかしい、
こいつ危険思想の持ち主だ、
こんなやつの書く文章を読むのは危ない、
自分は良識のある人間だから
こんなこと書くやつに賛成なんかしないぞ って。

ごめんね、
解っていてワザとあなたの認識を揺さぶってるの。

不快な思いをさせてしまって申し訳ないけど
何度でも言うけど 
もうそんな悠長に構えていられる段階じゃないのよ。

急がないと手遅れになる。
だからキツめな言葉も使う。

ついて来れるなら、ついて来てみて。
だめなら離脱すればいい。無理することない。
あなたには向いていない ってことだから。

だって けっきょくは

人は 信じたいものを信じて、
そうしたいと思うことをして、
自分の心が幸せを感じる状態で 生きる方がいい。

『賢い生き方』とか言うけど、
「誰にとって?」が一番大事だと思うし。

こういう注意喚起をすることで
〈助かって欲しい人〉が多くても、
全員はきっと 無理でしょうしね。

それにいずれ トリアージで 
切り捨てられる人も出て来る。
でもそれも、仕方のないこと。

だから 自分で選べばいい。
耳を傾けるか、
話を信じて 自分でも調べるか、
そうして自分の認識や対処法を変えるか、
あるいは
いずれも全く しないかを。

でも

少なくとも一度は、
その 嫌悪感という反応の源泉になっている考えは
どこから来ているものなのか、考えてみて。
それは本当に
あなた自身の思考を通って出て来た結論?

おそらく 多くの現代日本人の場合、
その反応は
あなたが『羊』である証明に他ならない。

あなたは
主にマスコミが
無責任に 意図的に作り上げた
耳障りの良い〈立派で素晴らしい「常識」〉に、
自分の判断力を
完全に同調させられていたりしない?

〈差別〉?
その単語には 昔の、
主に外国で 肌の色でそれが行われていた時代と
同じ意味しかない と思い込んでいませんか。

2024年に生きる私たちの頭の中から
そんな前時代的な意識は とっくに無くなってる。
それどころか
日本人の頭の中には 最初から存在してなんかいない。
(べつに全員とは言いませんが)

そんなことは、当たり前なんだよ。

人種、民族、
あるいは信仰している宗教での、
その人たちの
行動や考え方の特徴や 傾向は
認識しておくことを前提として

今現在 差別とは
民族的なそれではなく、
〈 倫理観での人種 〉の差異で分けて

必要に応じて むしろ〈やるべきもの〉
そうしなければ 社会の安定につながらないもの
に変化していることに、
知能がきちんと働いている人なら 
とっくに気が付いている。

自分の頭で考えず、
誰かの意見をそのまま
自分の考えにしてしまっている人には、
気づけない。
その言葉の「表面上の意味」「昔のままの解釈」
に囚われて、
まだそこから動けないでいる。

日本のマスコミの多くは 
事実の報道を行うのではなく
「愚かな民衆を正しい方向に導く」目的で
アジテーションを行う集団になっていて、

〈世界のジャーナリストの意識調査の記事〉

全ての差別は悪いこと というフレーズは今や
その国に巣食う外国人らが
自分達が 勝手気ままに
〈その国の文化を壊す免罪符〉に使うために
声高こわだかに 呪詛じゅそのように 繰り返しているだけ。

自分達のことしか考えていないくせに
成りすましているだけの
清廉潔白な善人の仮面を 決して脱がずに。

いいかげんに自力で気づこう。
おかしいな と思ったら
自分の頭で考えて
自分の手で調べよう。

いま生きている時代の認識も、
自分の頭の中も、
2024年仕様にアップデートしてくれ。

自分の価値観の構築を、他人の手にゆだねるな。
頼むから。


そして
ここ数週間の私の不機嫌の理由…

知っている人が
多いのか少ないのかわからないし、
どうせ
まともな報道など されていないのだろうけど

外国のゲーム会社が 
日本の歴史を勝手に改竄したゲームを作り、
しかもその内容を「史実だ」と明言して
売り出そうとしている という情報が
耳に入ってきた。

『アサクリ』と略されるゲームらしい。

織田信長が 珍しがって手元に置いていた、
元は イエズス会宣教師達が日本に連れて来た
おそらくアフリカ・モザンビーク出身の黒人、
弥助やすけ〉にまつわる 歴史改竄問題。

詳細は各自で調べて欲しい。
元凶はすでに判明している。
Thomas Lockleyトーマス ロックリー という名のイギリス人。

そして 一連の騒動であぶり出された
もう一人の胡散臭いイギリス人、
David Atkinsonデーヴィッド アトキンソン

↑この人、以前私が記事に書いた 例の
京都八坂神社の失礼なイギリス人ガイドのことも
擁護してた。

擁護自体は個人の自由なんだけど、
問題は

こんな人間が
京都国際観光大使はじめ、
日本国内で ある程度重要な、
しかも日本文化に関する仕事で食べているらしい
という事実…
しかも政権側にも人脈持ってる。

一体どういう奴なんだこいつ…
勘違いして増長してるたぐいなのか、
最初から意図的に動いている奴なのか…
名前からユダヤ系っぽくは感じるけど。


日本に住んでいるのはなにも、
親日家だけじゃない。

どんな目的でそこにいて、
どんな行動をしているのか。

これも
しっかりと見極めた上で
外国人たちと付き合っていったり、
身分や権利を
付与すべきだということを、
今回改めて
再認識した次第です。


なんなの最近、イギリスは。

そう思わされた原因は他にもいくつかあるけど
わざわざ全部ここには書かないし、
そのすべてが
“イギリス人イギリス人”の仕業では
ないのかもしれないけど

不愉快過ぎて 思わず
直接には関係ないのに、
工藤俊作くどうしゅんさく艦長の選択は間違っていたのでは
なんて感じたよ。
そうは思いたくないけど…

(これも「工藤艦長 イギリス」等で検索してみて
各自でお調べください。
日本の武士道精神のエピソードです)


この国には ただでさえ迷惑外人が多くて
ウンザリしてるんだから、

馬鹿じゃないなら
きちんと 
お世話になっている国、国民、文化への
敬意と尊重を身につけろ💢

そして何より、
虚偽の作り話で日本下げして
自分の貧しい承認欲求やふところうるおそうと考える
卑しい根性を叩き直せ💢

文句を言うのは自由だけど、
世界に向けて いいかげんなデマで
Discount Japan活動するのは
見過ごせない。

いちばん呆れたのは、
『弥助がきっかけで
戦国大名の間で 黒人奴隷を持つことが流行り
強く要求されるようになったので、
宣教師西洋人達は仕方なく 
黒人奴隷貿易を始めるようになった』
って話を〈史実として〉広めようとしてたらしいこと。
(まだ諦めてないかも)

慰安婦や南京虐殺と同じように
事実とは違う話を〈作って〉、
そっちを史実として定着させようとしてる。

ふざけるな💢


という事で


この暑いなか
不愉快な内容ですみません💧
私だってこんなコトばっかり書きたくないです、
正直言って。

書きたいことはもっといろいろ、
他にも たくさんあるもの。

それに日本社会って
一般的でない、人と違った意見を言うと 
無視or攻撃されて、
かばってくれる人もいない風潮だし

ここnoteの運営も、
いまイチ信用に足るように感じられないし…
(出会うnoterさん達は良い方々が多いけど)

「イヤほんとに書く? ほんとにコレ発表する?
面倒くさいことになるかもよ?」
をまた、ぐだぐだ悩んで、
悩みまくって、

「どういう切り口で話せばわかってもらえる?」
とかも、
うううううう…… と
暑くて働かない頭でぐるぐる考えて、

でももう この国の状態、
放置できる時期は過ぎてて、
誰かが言い出さないと
認識のシフトが行われないままで
もっと危険になる事態は見えているので、

私特有の
〈もはや使命感(←勝手な)〉で書いて
このように 発表する運びとなりました。

疲労困憊はぁ~疲れた

きっと 読まれたあなたもお疲れですね😅
相変わらずの長文で、
しかも中々にキツイ内容に付き合わせてしまって
ホントにごめんなさい。

このあと何か気晴らしして、
精神バランス調整してくださいね!
🍦←お詫びのアイス


ここまでついて来てくれた方、
最後まで読んでくださって、
どうもありがとうございました💕

みんなで見極めと見切りの能力を上げて、
行動する時はちゃんと行動して、

私たちの 静かで穏やかで平和な生活環境を
国ごと守っていきましょう🇯🇵


おしまい♡




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書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡