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ゴシックの大聖堂とフェティッシュ

例えば私は、ゴシックの様式で造られた大聖堂にフェティッシュを感じます。
遠くから見た時に、まるで糸みたいに細く繊細で緻密に見えるデザインの格好良さというのはもちろんありますが、もっと精神的なこと、存在感のようなものに痺れてしまうのです。
それは、私のフェティッシュの基準で言うなら、

②人工的であること
よくできた細工物のような、繊細で細かく作り込まれたもの、硬質なもの。

③強固な世界観があること
「個」の輝きが強いもの。
それそのものの中で完結できる、独自の宇宙の法則を形成しているもの。
現実にあるよく知っているものとは全く別次元の法則によって成り立っているもの。

にあたるものが、ゴシックの大聖堂にはあるからだと思います。

まずは③の「強固な世界観があること」について。

私は、ゴシック大聖堂の魅力は、

・「神の国」という強固な世界観でまとめられた、一つの宇宙のように見えること

・「神の国」を表現するために、ひたすら天上を目指していること

だと感じています。

ゴシック大聖堂は外から見た時、次第に細くなっていく尖塔があります。
これを見ると、この建築物は重力を否定して軽々と、上へ上へと伸びようとしているように見えます。

バルセロナ大聖堂
ケルン大聖堂
パリ・ノートルダム大聖堂

さらに内部にも天上を意識させる工夫が施されています。
下から上へと伸びる筋(「リブ・ヴォールト」と言う。「肋骨」の意味)を見ることによって人々の視線は自然に下から上へと追うことになり、結果としてどうしても天上を意識せざるを得ません。
さらにはこの天井の高い空間に向かって聖歌隊の声が響き渡り、彼らの祈りの歌は自然と天上の神様のもとへと届けられる構造にもなっているのです。
この、「神」を表現するために、現実には私たちが決して無視することのできない「重力」というものを徹底的に否定する(排除する)ということは、まさに私たちの生きる現実とは違う、独自の宇宙の法則を形成していると言えると思うのです。

上に向かって伸びるいくつもの筋は、自然に人々の目を天に向けさせてしまう。

また、昼間でも薄暗いこの空間に日が差し込むと、天からのその光はステンドグラスを燃やすかのような鮮やかさで絵を浮き立たせ、光り輝きます。
ゴシック建築が建てられていた中世の時代には電気などありませんから、むしろ普段暗闇の方に慣れていた人々は、この明るさにとても驚いたのではないでしょうか。
そしてこの神々しさを前にしては、人々は神様の存在を感じざるを得なかったでしょう。

こういったように、建物の中のどのパーツを取ってみても結局は「神」を表現するために造られているということが、私には「強固な世界観」「それ単体で成り立っている一つの宇宙」のように思え、痺れてしまうのです。
そして神様を崇めるためにこのような物を創り出せるのは、「人間」に他なりません。
「信仰」とは、人間だからこそできることだと思うからです。
つまりこの建物は、ある意味究極の「人工物」と言って良いでしょう。
ということは、②人工的であることの条件も満たしているわけです。

「神」を表現するために造られたこうした数々の工夫を、技術的にどうやって実現したのかについてもまた興味深いところです。
それについてはまた別の機会にお話しできたらと思います。

転載禁止 ©2024年 Nanako Mashiro
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