私は何者なのか
一度や二度は堕ちたことがあるだろう
生きる意味を探したり、理由を探したり
人生の迷路に彷徨ってしまったことがあるだろう。
当人は気づかない。それが誤った道であると教えてくれていることを。
抜け出したさなか、それが自分の選択だったこと、
そして自分が抜け出せなかったことに気づく。
しかし、後になったその瞬間、自分の成長に気づくだろう。
そしてその経験が自分にとって必要だったと気づく。
誰も悪くない、誰も傷つけなかったと、そう思えるだろう
赦し赦され、互いに尊重し合い人間関係を生きている。
その瞬間を知っていたらどうしただろうか、
先に知っていた方が良かっただろうか。
性善説、性悪説とあるように
どちらがともないと思う。
自分の生き方を決める それができるなら
望む人生を歩むことが出来るだろう。
ローマは一日にして成らず
ローマを目指すのであれば
途中何かがあっても
すべき選択がある
皆にはローマはあるか
もう一度言おう
皆にはローマたるものがあるだろうか?
そう、気づいただろう
その選択をしていたのは自分で
そしてまたその選択をしていたということを。
思い出すことの道のりを楽しんでいけ
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