花火
友人のLINEに
「花火を見終わると、心が洗われる気がするのと同時に刹那的になって涙が出る。」
と書いてあった。
その感覚が、わかる気がする。
打ち上げ花火は、何度見ても少し物悲しい余韻が残る。
パッとはなやいだ人生の一瞬を切り取ったように上がって消える様が、あっという間のことだからだろうか。
若い時期は振り返ってみると、その時期は短くて、あの時に輝いて見えたものが今はそうでなかったり、わけ知り顔になった自分が悲しい気がする。
取り戻せないから美しいのだけれど、その頂点にい続けることもまた苦しいから一瞬なのだ。
何かを削ぎ落としていくと、もしかしたら、あの時の輝きと似たものが自分の中に残っていたりしないだろうか、と思う。
それに、打ち上げなければ散りもしないことを、自分に言い聞かせる。
最近、何かがしたいと本気で打ち上げているだろうか。
本気で打ち上げていないものは、輝いて散りもしないことを、花火を見ながら思い出す。
私が一番覚えている花火は、八景島の花火だ。
その時のボーイフレンドと一緒に見た花火。
彼の口癖は、
「もし、それが起きたとしても命まで取られることはないだろ?」
というもので、心配性だった私の心がその言葉と笑顔でどんなに救われたかを、今になって思い出す。
繊細なのに、とても心が大きい人だった。
明るくて、いつも友人に囲まれている人だった。
彼のお母様が若くして亡くなられて、その時から彼の人生も変わって一緒にいられなくなったのだけど、今も思い出すことがある。
母親が病気であることを私には黙っていて、一人で抱えていたことを思う。
若さゆえに周りが見えなくて、私ばかりが悩みを聞いてもらっていたことを悔やむ時がある。
あの打ち上げ花火の下でも。
綺麗な花火がたくさん打ち上げられる中で、私は浴衣を着て来られなかったことしか考えていない子供だった。
しかし、顔をあげて笑って「わ〜!」と声を上げた一瞬一瞬は美しい思い出だ。
そして、思い出すと涙が出る時がある。
人生の中の一瞬の輝きのように見える花火だけれど、花火はあの世に一番近いところで花開いているんじゃないの。
泣いてもよかったんだよ、と。
パッと咲いて、夏の風物詩である花火であるが、飢餓や疫病、その他にも多数の死者が出るような時代が繰り返され、その死者たちの慰霊や悪疫退散のための水神祭で打ち上げ花火が上げられるようになった、と聞いたことがある。
人それぞれの花火。
人それぞれの思い出。
私の小さい悩みは今のところ、もし、それが起きたとしても命までとられることはない。
彼が教えてくれた言葉は、私の中で今でも生きている。
そして、転生を信じるなら、本当に命がなくなることはない。
いつか見た花火は、形としてではなく心の中に残り続ける。
だから、心が洗われるのと同時に刹那的になるのかも知れない。
大事なのは今、幸せを感じていられることだ。
幸せが続くように、ひとりひとりが出来ることをしていくことなんだろう。
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