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子どもたちの無事を(ネウボラを見て)

役所に勤めていた時期がある。
私の専門とは違う場所で、とても学ばせていただいたことがある。

役所の母子保健係。
ネウボラ(フィンランド語で「アドバイスの場所」の意味。母親の妊娠期から子供の就学まで、担当保健師が子育てに関するあらゆる相談にワンストップで応じる仕組み。)の先駆的な取組みをしていた自治体で、保健師さんたちのアシスタントや事務をしていた。

この時のエピソードは多数あり、徐々に記事にできたらいいな、と考えている。

緊急事態宣言が解除され、長い自粛期間から解放された。
まだ、充分に自由を謳歌するするわけにはいかないけれど、これから出てくるであろう家族の問題について、思いを巡らせていた。

母子保健係では、マタニティブルーであったり、元々、何かの疾患があったり、
子供とうまく付き合えずに困っている方の相談を受け付けていた。
1時間も2時間も、保健師さんが根気強く相談に付き合い、心配であれば直ちに訪問もする。

元気なお子さんに体がついていけないママや、病気になった子の支援、養子縁組、あまりに若いママの支援、生まれたお子さんのハンデを受け入れられないママに寄り添う・・・、その他、様々な案件を、地区の担当保健師さんが親身になって対応していた。

係には歯科衛生士さんがいる。
虐待と虫歯の相関性について、私はこれまで知らずにいた。
放置されたままの子は、あまりにひどい虫歯によって見つけることもできるのだ。
「歯みがき教室」に招くことによって、子供と親の関係を見て、保健師さんとの連動を図る。


長い休み・・・と言っても、ゴールデンウィークや夏休みのような1週間程度の休みの前に、係の責任者が注意喚起する。
「あってはならない子供にたいする暴力、ネグレクト。起きる可能性がありそうなところには、電話や訪問を。」

急な教育機関の休みが長くなって、心配していた。
見えないところで起きる「何か」。

いい意味でも悪い意味でも、親から育てられた方法が、ママの育児の基本になる。
私も2人の子供の母親で、母が他界した後に手探りで子育てをした経験から、子育てはきれいごとばかりじゃないのが、よくわかる。

子供の頃、殴って育てられた親が、悪いと思わずにそうしていることもある。
ネグレクトのつもりはなくても、本当に食べ物がないこともある。

これは、コロナ禍の前から・・・。
外国からお嫁にきたママは、愛情が溢れる方だが、仕事がなくてミルクが買えないと電話してきた。
保健師さんは買ってあげることはできないので、生活保護を勧めたり、フードバンクの場所を教えたりしていた。

DVから逃げて住所を隠しているナーバスなママが、恐怖の気持ちを抑えられずに泣きながら、怒りながら電話してくることもある。
話すだけで落ち着いてきて、ことなきを得て、また電話してきて落ち着いて。

ママなら誰でも、相談していい場所。
もちろん、パパも、おばあちゃん、おじいちゃんも。
もし、手を挙げそうになる前に相談してくれていたらいいけれど。
毎日、泣いていたなら、相談していてくれていたらいいけれど・・・。
これから、色々なことが明るみになってくることを、恐れている。



引越しで役所を去らねばならなくなった時、
「保健師さん、歯科衛生士さんは、この街の母親と子供たちが頼れる、
命の最後の砦です。尊敬しています。」
そんな言葉が口から出た。
涙をこらえて聞いてくれたり、何人かは泣いてくださった。
それくらい、毎日、大変な仕事をされているのだ。
ありがとうございます。


相談できる場所は、あります。
そして、私は役所にはいないけれど、これから、お役に立てる仕事がしたいと思います。

書くこと、描くことを続けていきたいと思います。