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共感覚

子供が赤ちゃんの頃から積み木のアルファベットをどんどん覚えて、そのうち絵の代わりに数字を並べて書き出した。
この数字の羅列には、どんな意味があるのか?
考えてもわからない。
子供は、ただニコニコしながら書き続けている。

「なんだか知らないけれど、楽しいみたい。でも、よくわからない。」

と妹に話してみた。

「この子、数字に色が見えるのかも知れない。私もそうだから。」

ええー!そんなこと、今まで一度も聞いていなかった!

どうやら、文字の周り、数字の周りに色が見えるのだと言う。
そして、最初の文字は赤であることがことが多いという。
1、あ、ア、A・・・。
もちろん個人差はあるようだけれど、色で覚えることができるので、8桁くらいまではパッ!と見ただけで記憶できるのだそうだ。
数字を使う仕事に就いている。

「共感覚っていうんだって。私は、みんな文字に色が見えるんだと思っていたのよ。20歳過ぎてから、そうではないと知った。そういうこと、ない?
音楽に色が見える人もいるのよ。それは?」

と聞かれて、私自身はそんなにはっきりしたものではないけれど、友達の曲に詞をつけるために聴かせてもらうと、何色のイメージだな、というのはおぼろげながらあった気がする。

共感覚には、「色字」と「色聴」があるらしい。
共感覚とは、「ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意に起こる」現象と定義されているようだ。
文字を見ると、そこにないはずの色が見えるのが「色字」。
音を聴くと色が見えるのが「色聴」。
人に色を感じたり、痛みを感じると色が見えたり、何かを味わうと手に形を感じる、という珍しいものもあるという。

昔は珍しいものとされていたが、今では、100人に1人の割合とも言われているようだ。もしかすると、23人に1人くらいかも知れないという説もあるようだ。
見えていても、小さい時からのことで気にしていないか、わざわざ話さない人もいるからだそうだ。
 

数字を指差して、文字を指差して、
「これは何色?」
と聞くと、子供はちゃんと「色」を答える。

自分の気持ちを言える年頃になると、
「わあ、綺麗!」
と言いながら、数字だけ書いて、
「ママにはわからないと思うけど。」
と笑うのだった。
お絵かきのようなものだったのだろう。

ある日、塾の先生が、
「僕は、今までに一度だけ、ものすごく美しい板書を見たことがあります。
数式の・・・。」
とおっしゃったらしく、その時「先生も見えているな!」と思ったらしい。
私は、板書・・・ましてや数式を美しいと思ったことはない。


共感覚とは、生後3ヶ月くらいまでは誰もが持っている感覚だが、大部分の人は脳の成長と共に各感覚野を繋ぐ経路が遮断されて、失う感覚のようだ。

字に見える場合と、
「ハ長調は白!」などと楽曲の調(キー)に色を感じる人もいるらしい。

リストは、『ここは紫に!』と音を「色」として指示し、団員たちを困惑させた
エピソードがあるそうだ。
他にも、レオナルド・ダビンチ、ボードレール、カンディンスキーなども共感覚であったと言われている。

子供が小学生の時、いつも難しい楽譜を大事に持っている転校生が来たそうだ。
恐る恐る、
「ねえ、もしかして、音符に色がついている?見える?」
と聞いたところ、
「ああ!見えるよ!」
と答えたようで、みんなには話さない秘密を共有したという。

みんなが同じ見え方、聴こえ方、感じ方をするわけではない。

思い出したのは、高校の同級生だった。

鉛筆で繊細に描く絵の上手な男の子で、でも、彼には色弱があった。
「俺も絵を描いていたかったんだ。だけど、色がよくわからないんだ。」

胸を突かれた。

私は、人が物事をどう捉えてえているか?見えているか?なんて、考えてみたこともなくて、ただ自分が見えるものが全てだと信じていた。
甘かった。

みんな、自分と同じ世界を見ていると思っていたから、そこに少なからず優劣があると感じて落ち込んだりもした。
ひどい思い込みだ。勘違いだ。
みんな違う人間なんだから、同じ感じ方であるわけがないと考える方が自然だ。

何かを補うために何かが開花する人もいる。

それぞれが自分基準の「普通」。

日本はまだ、社会の尺度の「普通ゾーン」に安定していないと生きにくいことがある。
普通より何か飛び抜けてしまっても、伸びがゆっくりでも、そこに対処できる余裕がないのが実情だ。
引きこもりになってしまう子の一部は、特殊なことに長けていて、それ故に学校で浮きこぼれてしまった子だという。
難しい質問を投げかけてくる生徒は蚊帳の外にされてしまう実情があるらしい。
「その質問は、今はいいから。」
確かに、先生には生徒一人ひとりに付き合う時間はない。


できることを伸ばすことを考えた方が、楽しく生きていけるんじゃないか。

というのが、私の子育てのスタンスなので、できないことは脇に置いておき、
じっくり子供を観察する。
よくよく子供と向き合って、特性を見極めて、いろいろな選択肢を一緒に考える。

出来ることを伸ばす。はみ出たものを生かす。


と思っていたところ、「感性工学」という分野を知った。

関西学院大学理工学部の長田典子教授は、ご自身も共感覚であり、人間の感性を科学的に研究し、プロダクトデザインやサービスに応用する「感性工学」を専門とされている、と読んだことがある。

面白い!と感じて子供に話すと、なんと「色」が薄れてきているという。
もったいないなあ・・・。私も、数字に「色」を見てみたい。


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