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美しい言葉で暮らすということ

就職したての20代の初め、早く30歳になりたかった。
美しい言葉で話し、綺麗な表現の文章を書く大人になりたかった。

美大を出て就職したのは、ペンギンのガムで知られている菓子メーカーの宣伝部。
その中で、パッケージデザインの担当は3名の男性と入りたての私。その後に2名の男性後輩社員が加わったが、まだ、男女雇用機会均等法ができたばかりで、女性は、制作担当としては私と同じく美大卒の先輩がひとり、宣伝にいるだけだった。

大手広告代理店、大手印刷会社の方とブレストして商品を作り上げていく。
研究所から上がってきた商品サンプルから、ターゲット層やコンセプト、宣伝計画を立て、特徴を生かしたパッケージ案を上げていく。
出てきたダミーにディレクションを行い、生産工程に合わせ、納期に間に合うように包装資材の指定、印刷立会までこなしていく。

大学時代からデザイン事務所でアルバイトもしていたが、実際大きなお金が回る仕事をするということにストレスがかかっていた。
発言を求められても、あまりにも知識がない。
10歳も20歳も年上の方と、どのようにコミュニケーションをとっていいのかわからない。多分、コミュニケーション関係の本を一番読んだ時期だったと思う。

商談で言い負かされることも多々あった。
悪い意味ではなく、教える意味できついことも言ってくださる方々に囲まれて、幸せだったのだ。
素晴らしいことに、激昂したり汚い言葉を使う方は一人もいなかった。

本当に恵まれた社会人デビューだったのに、私はいつも焦りを感じていた。
上司はいつも私の失敗は自分の失敗として対処してくださる大きな方であったし、しょげている私を慰めてくれた先輩も、聞けば何でも親身に教えてくれた。

わからないことをわからないというのは恥ずかしいことではないのに、クライアントの私がわからないのが情けなかった。
どうしても納期に間に合わせるために、取引先の方に徹夜しろと言わんばかりのことも、お願いしなければならない。もちろん、私も夜中の立ち合いにも応じたけれど、そんな時の印刷物の色味の判断は自信がない。

電話対応一つとっても、若くて経験がないのを恥じて、低い声で対応した。
それくらい、大人で知識のある人に憧れた。

デザインのプレゼンは社長に直接するというのが慣例で、私ももれなく社長に説明する役をしたが、仕上げるために尽力してくださる方々の思いを背負っているというと大袈裟なようだが、私というより、みなさんの作品をなんとか通過させたいという思いで空回りもした。

会社代表は龍のような佇まいで、仙人の如く。
私は見抜かれているような雰囲気に圧倒され、
「丹田に力を」などと言い聞かせていた意識が、完全に頭に昇ってしまい、言葉が上ずった。
それでも余裕を持って聴いてくださったことだけは覚えている。
何をどう説明したのかは、全く覚えていない。

仕事を続けている女性の本を片っ端から読み、そのプロフィールにも興味を持った。
素敵だと思う方がいれば、「あの方なら、どう考えるかしら?どう表現するかしら?」と想像した。


何かを説明するときに、綺麗な言葉で表現できること・・・言葉は思いやりだ。
簡単で美しい言葉に変換できることは、気持ちの良い人間関係の礎に思える。
電話の対応、話しかけ方、ものを手渡す時のタイミングなどを大切にすると場が和むことがある。秘書検定に出るような内容ではできなくても、思いやりを持って接することで柔らかさが伝わることがある。

介護や子育てのために、一つの職場で仕事を続けられなかった世代の私だが、ひと段落して役所に勤めた際に、思い出したことがあった。
立場に関係なく、ものを聞くときには必ず傍に立ち、
「今、お時間よろしいでしょうか?」という。
書類を渡すときにも、歩いてきて傍から渡す。
どうしても急ぎの時だけ、「前から、すみません。」と断ってから目前に差し出す。

昔当たり前と思っていたけれど、蔑ろにされがちなことが生きていた。
気持ちがいいのだ。
言葉が乱れたところにいると苦しくなる。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
生活に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

これは、マザー・テレサの名言の中のひとつ。
思考が根っこ、運命が枝葉であるということを考えると、
美しい言葉の重要性が身にしみる。


書くこと、描くことを続けていきたいと思います。