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ピアニストの絵

フジ子・ヘミングさんの描く絵は、とても魅力的である。
綺麗なピンクが使われていたり、猫、花・・・特別な雰囲気のある世界だ。

私はピアノを弾きながら、頭の中で絵を描いている。
やっぱり音色というのは、色っていうくらいだもの。

あのピアノ演奏と共に、頭の中に絵があるのだと、この本で知った。
あのピアノの演奏を聴いたら、納得できる。

才能があり、将来を期待されながら、耳が聴こえなくなったという過去。
ピアニストには致命的な出来事を乗り越えている。

ピアニストは綺麗な手をしている人が多い。
手をとても大事にしているから。
私の手はちっとも綺麗じゃないけれど、表情に満ちている。
生きるための労働をしてきた手だから。

貧しくて、極寒の冬に暖房のない部屋で暮らしながら、心まで貧困になってしまってはお終いだと、自分に言い聞かせる。
人を羨ましがってもはじまらない。
自分には自分に合った生き方がある、と。

もう、私の出番があるのは天国でだろう、と長いこと思っていた。

それでも、清らかな心で望みを捨てなかったことが読み取れる。
短いセンテンスで、センチメンタルな文ではないのに、涙が出てしまう。

役割を持って生まれ、芸術家になった人だと思った。
不遇だった前半生。
特にあの『鐘』を聴く時、人生の深淵に触れたその生き様が重なっているように思える。

この本には、病院の掃除をして働き、役所に電話をして「お金をください」と言えずに切ったことも書かれている。
人生の苦楽を味わい、音として表現すること・・・それができることを、神様は知っておられたのかも知れない。
職業に貴賎なしの意味を、生きていくために労働することの尊さを知っている演奏家である。
それは、ある階級の人達にだけ理解される高尚な音楽ではなく、厳しさや苦しみ、悲しみの中にいる人々に、心から寄り添える音楽を奏でるための修行であったのではないか。

「さあ、人々のために弾いてみなさい!」

そう神様にお許しを得られたときには、以前にも増して素晴らしい演奏家になっていたのだろう。

「情感」という言葉がある。
物事に接したときに心にわき起こる感情。また、人の心に訴えるような、しみじみとした感じ。
聴衆が演奏家に求めるもの。

「人生に無駄なことなんか、ひとつもない。」
それは、曲を体現するためにも無駄なことなどひとつもない、という演奏家の言葉なのだろう。

負けそうになりながらも自分を信じて生きて、突然、幸運が舞い降りるかのように表舞台に立つ後半生。
犬や猫と暮らし、自分より貧しい人には何かしてあげたいと願う心。
人生で得てきた全てが、聴く人の心に寄り添うのだろう。

人生に無駄なことなんか、ひとつもない。
生きるってことは、いろいろ経験すること。
その時は、自分とはまったく関係ないことのようでも、
その経験が大切に思える時がきっとくる。

それは、そうなんだろうな・・・、と今の年齢になるとわかる。
全ては必然で、偶然なんかないのだとすれば、この経験は何に役立てるためにあるのだろう?と考えて生きていた時期があった。
いや、今もそうか。

私のピアノの響きを聴いて涙を流してくれる人がいる。
心のきれいな人は、みんな感激してくれるの。
私のピアノを聴いて自殺を思いとどまったとか、心の病から救われたとか、
いろんな手紙がくるけれど、そういう人はみんな心のきれいな人よ。
そういう人たちに、私のピアノを聴いてもらえればそれでいいの。

一流になろうとか、テクニック優先で間違えないようになどという、思惑のない演奏に思える。

表現は、滲み出てくるものだと書いてある。
あの綺麗な絵の数々も、そうなのだろう。
ピアノを演奏しながら、頭の中で描く絵。
色彩豊かで、エキゾチックな魅力的な絵。

好きなピアニストの演奏を聴くのは楽しいけれど、自分の演奏を聞き直すのは嫌い。苦しい思い出がよみがえるから。

苦しみながらも、諦めずに前を向いて生きてきた芸術家の『魂のことば』。

そして、「運命の女神はいつやってくるのかわからない」と書いてあるのがいい。




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第2回THE NEW COOL NOTER賞に応募させていただきたく、加筆しました。


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