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踊り場

塩野七生さんがNHKに出ておられた。
コロナについてのインタビューだった。
知的で鋭い言葉と、佇まいが好きで、思わずテレビに近づいた。
『いまの世界は歴史の「踊り場」に立っている。』という。
人類は、こういう感染症を何度も乗り越えてきた。
階段でいえば、次の階に行くために息を整える踊り場にいると思えばいい。
という内容の話だった。

一日も早く、踊り場から次の階へ行けたらいい。

重篤になれば、亡くなる時にも近しい人にそばにいてもらうことができない
感染症というのは、残酷なものだと思い知ってから一年になる。
亡くなっていく本人にとってもだけれど、残された者にとっても、それは残酷だ。

家族の人工呼吸器を外すか、外さないか。
家族の立場で、人工呼吸器を外す決断をした経験のある私にとって、毎日のニュースで流れる「人工呼吸器」という単語は、するりと聞き流せるものではない。

事故で脳死になった父の人工呼吸器を外すか、外さないか。
この決断は、母と私でした。
身体は生きていても、目覚めることはないだろうという診断を下された後、どうするか?と医師に問われた。
外そうと決めて、その音が止まった時。
それは、自分が殺してしまった後であるかのような、静寂に感じられた。

「管に繋がれて生きるのは嫌だと、言っていたから・・・。これでいい。」

母は、そう言った。
そして、
「私も、管に繋がれたまま生きていくのは嫌なの。」
そう言ったけれど、その後、一年間は外に出ることもできなかった。

その母は、脳出血で倒れた時に私が手術を決断したことで、4年半の植物状態となってしまった。
毎日、そばで祈ったけれども、意識が戻ることはなかった。

父のことが先になかったら、私はどうしただろうか。
自分が人工呼吸器を外してくれ、と頼み、その音が消えた時のあの耳の痛みが、母にどうしても生きてほしいという執着を、より強くしたように思う。

ところが、ある人が私に言った。
母に対する思いは、私のエゴなのだ、と。
生きてほしいと願ったことも、植物状態にしてしまったことへの後悔も。
その人の職業が臨床心理士だったことが、私をより落胆させた。
カウンセリングとしてではなく、友人としての話であったからこそ、本当に「寄り添える人」であるかどうかの真偽を浮き彫りにしてしまったように感じた。

エゴであってもいい。
私にとっては。
そして、昔ならウェットになっていたようなことも、呆れに転換できるほど、日も経って、私も大人になっていた。

歳を重ねることの良さの一つは、自分と、取り巻く状況を、客観視できるようになることだ。
自分のテリトリーと、そうでないものを分けられる分別がつき、他人に巻き込まれたり、感情移入しすぎたり、揺れすぎておかしくなるようなことがなくて済む。

だから、憧れるのだろうか。
塩野七生さんのような成熟に。

誰もがいつか、この世から去るのだけれど、自分も周りも納得できるような最期は、もしかしたら稀なのかも知れないと考えることがある。
しかし、もし、気をつけることで防げるのならば、
みなさんがコロナについて敏感であってほしいと願う。

歴史の踊り場が、天国へ向かう踊り場になってしまわないように。



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