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運転する

運転免許は、20歳の時にとった。
しばらくはペーパードライバーだった。

ある日、その頃付き合っていた彼に、
「運転した方がいい。君は運転するべきだ。」
と言われた。

運転するべきだ?

なぜ?

「運転すれば、わかるさ。運転すれば、変わるんだ。」
と彼は、そう言った。
理解できない人に説明を施す人ではなかった。

その時にはわからなかったことが、ある日、
「そういうこと?」
とわかることがある。

当時の私は、気持ちが揺らぎやすかったし、自らの判断が正しいのか?間違っているのか?常に迷いがあった。

運転するようになって、瞬時の判断の繰り返しに、
間違っているか?と問う暇がないことが、大発見であった。
私は、強くなった。
迷わず、自信を持ってアクセルやブレーキを踏まなければ命にかかわる。

そして、車の中というひとりの空間が、大事なものになった。
海岸に止めて、本を読んだり、瞑想をしたり・・・泣いたりすることもあった。

保育施設では、情緒不安定で集団に溶けこめない子のために、逃げ込むための段ボールのおうちを用意してあげるとよい、と聞いたことがある。

小さい、『守られた空間』が快適な時がある。


そのうちに、私は、絵画療法の繋がりで夢の分析を学ぶことになった。
車を運転する夢は、自分の人生を自分の力で動かしていく夢だと識った。
助手席に乗っていたら、人任せの人生ということになる。

自分で運転すること。

自分の人生の舵取り。
昨日の記事ではないが、図らずも人生の乗客であった私に、
自分で運転していくんだよ、と教えてもらったことを思い出した。

たまに殻に閉じこもるなら、好きな音楽が聴けて、温度が調節できて、好きな場所に移動できて、呼吸ができる場所を探せる車。

確かに、運転して私は変わった。

「運転すればわかるさ。運転すれば変わるんだ。」
という言葉の意味は、思ったよりずっと哲学的な意味をもっていた。







書くこと、描くことを続けていきたいと思います。