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【小説】愛よりもアオし〜ミントと恋EP11〜

連作小説「ミントと恋」のEP11。EP1〜10はマガジン「ミントと恋」にまとめてあります。
最新EPを期間限定無料公開。次のEPが発表になったらそれまでのEPは有料になります。
【これまでのEP】
1.ミントと毒薬 2.天使のナリワイ 3.スキの幻想 4.すぐトナリの境界
5.温かなカジツ 6.たおやかな窓辺 7.それぞれのカタチ 8.浮遊する金魚タチ9.満月のウラガワ 10.グウゼンの出会う場所

帰郷

「テツくんが?」
「そう、帰って来てるんだってさ」
 ママから味噌汁を受け取った私は少しだけドキリとする。お隣さんだと言うのに幼なじみのテツくんとはもう何年も顔を合わせていない。高校を卒業して家を出たテツくんは就職しても帰ってこなかった。
「そういや、昨日だったかな玄関先で挨拶したな。珍しいなって声かけたんだ」
 パパも会ってたなんて!
「会社、やめたの?」
「うん、そうらしいわよ。帰省支援のあれ受けたんだって」
「ああ、市役所の」
 パパとママは勝手に話を進めて全然ついていけない。
「あれって何?」
「移住や帰省を目的とする市役所の求人だ。人口減少対策ってやつだな。いろんなとこで募集してる」
「きっとマチコさんが帰って来てほしいってテツくんに勧めたんじゃないかしら。会社も辞めてアパートも引き払うって」
「そう言えばマチコさん、最近布団干したり断捨離したり忙しいって言ってたもんね」
 マチコさん、とはテツくんの母親だ。
 結婚当初から隣同士だった私たちの母親は子供にはお互いのことを名前で呼ばせよう、と昔から私たちに言い聞かせて来た。だからテツくんも私のママのことを成美さん、と下の名前で呼ぶ。
 幼なじみのテツくんとは幼稚園から手を繋いで一緒に帰った仲だ。高校まで行き帰りが一緒になることも多かったのに、彼が家を出てからもう何年も会っていない。時々は帰省していたようだけれど、それも後から知るのがほとんどで、今ではお互い連絡先も分からない。
 そのテツくんが帰って来た。
 私は途端に緊張してくるけれど、それは遠くて幼い時に感じていた淡い気持ちとは少し違って、久しぶりに会う同窓生って感覚。相手よりも少しは大人っぽく、成長した自分を見せたいような負けん気みたいなもの。
「昔は真っ黒に日焼けして体も大きかったけど、ちょっと痩せたし色も白かったな」
 パパが勝手に今のテツくんの容姿についてベラベラと話してくるので、私はいやでも想像してしまう。水泳部でバカばっかり言って悪ガキって感じだったテツくんが今はどんな風になっているのか。
「一人暮らしで、不規則な生活だったんじゃないかしら。そりゃマチコさんも心配するわね」
 会いたい、のだろうか。自分は。よくわからない。けれど会ってしまうだろう。何せ私たちは家が隣同士なのだから。

そして再会

 そして程なく、私はテツくんと出会うことになる。
 会社帰り、駅に着いて改札を出たところで「ミク、久しぶり」と声をかけられたのだ。
 背後からの声に一瞬で記憶が蘇る。テツくんだ、間違いない。
「あ、久しぶり」
 振り返る時足が震えた。全ての音が一瞬、遠ざかってまた耳元に戻ってくる。テツくんはパパの言う通り、痩せて白くなっていた。
「今会社帰り?」
「うん」
 帰宅を急ぐ人に押されるように私たちの距離が近づく。
「スタバでも寄ってくか?」
 懐かしい記憶が喉元に蘇る。私はこっくり肯く。

「帰って来てるって昨日ママから聞いたとこだよ。もう完全にこっちになるの?」
 豆乳ラテを注文すると、テツくんは「甘ったるいのじゃないんだ」と驚いている。いつの話よ、と笑いながら月日の長さを思う。
「実は就職したとこ実際危なくてさー。人員整理の噂もあったし、いい機会だったよ」
 二人でスタバのカウンターに並んでいざ話し始めると、あの頃の気やすさはすぐに戻って来た。幼い頃からよく知っているテツくんが、何年かワープしてここにいる。空気だけはあの頃だけれど、隣同士の二人の姿は随分変わった。
「マチコさん喜んでるよね」
「まぁなー。一人暮らししてた時ろくに食べてなかったしな。実家帰って毎日腹一杯食ってるから、そろそろ出て来たよ」
 薄い腹をさするテツくんの掌は、記憶の中にあるように大きくてごつい形を残していた。
「みんなと、会ってる?」
「高校んときの?いや、最近は全然かな。仕事忙しくてこっち帰って来てないし」
 テツくんはアイスコーヒーのストローをくわえて、ゆっくりと吸い上げる。冷たい飲み物が好きなのは相変わらずだ。冬くらい温かいのにすれば?お腹痛くなるよ、あったかい部屋で冷たいの飲むのが俺なんだよほっとけ。そんなやりとりが懐かしい。
「同窓会も卒業してすぐやっただけで後は全然だしね」
 私たちは多分、肝心なことを話したいけれど避けている。けれどテツくんが言わないうちは口にしないでおこう。そう思っていた。
「またみんなで集まるか。声かけてさ」
 気のない様子でテツくんがそう言う。こんな風に思ってもいないことをさらっと言う人だったかな。私は「うん」と頷きながら気持ちがすっと引いた。
「あのさ」
 息をつくようにテツくんがストローを口に含む。私もつられてカップに口をつける。
「昔さ、俺、ミクとすげー毎日一緒にいたとき」
 ガラス越し、帰宅する人々が疲れた顔を隠そうともしないで私たちの前を過ぎていく。その中に紛れて、疲れなど知らない顔つきで学生たちの群れが笑顔で流れていった。私たちもあんなだったのかな、ぼんやり遠い自分を思い出そうとしたけれどうまくいかない。
「あの頃さ、楽しかったんだなぁって今になって思うよ」
 何言い出すのだろう。私は手元をたぐるようにテツくんの横顔を見た。
「あん時は礼儀知らずで憎まれ口ばっか叩いて、なんか幼稚だったよな、俺。でもそんな楽しいとか考える暇もないくらいすげー毎日忙しかった」
 そんなものかもしれないけれど、笑わない日がないくらい、あの頃は何もかもがおかしくて仕方なかった。授業後、太陽の下で水をかくテツくんのたくましい腕は今も鮮やかな記憶の中にある。それをじっと見つめていた自分の心も、そっと同じ場所にしまってある。
「まさか、いまさら好きだった、とか言わないでよ」
 私はようやくあの頃どんな風にテツくんと話していたか思い出した。先回りして自分を防御するようにポンポンと、何より先に口が動く。
「いや、愛とか恋とかじゃないんだけどさ」
「けど?」
「将来俺が結婚するとしたら、ミクみたいな子なんだろうなってあの頃そう思ってたって話」

2人の間に


「何それ」
 私は苦笑いをしようとするけど、うまく行かなかった。
「人を好きなるとか、愛とか、そんなん全然わからないし、今もよく知らないけど、あの頃ミクとはすごい近かったと思うよ。だから」
「それが何で結婚になるの」
 心臓が跳ね上がっている。一体何を言い出すのだろう。この前会社の先輩駒井さんと話した結婚や恋についての会話が頭の中に流れていく。
 駒井さんは恋や結婚が人生の全てではない、と言った。けれど私にはそれがある人生、ない人生が比べられない。
「愛とかよくわかんないけど、タイミングさえ合えば、一緒にいるのが自然っていう2人がくっつくのもアリなのかなって。特に俺みたいなのは結局そんな感じでまとまるのかなって、そう思ってた」
「その相手が私ってこと?」
 テツくんの言っていることは手が届きそうで手応えのない、雲のような話だ。
「恋愛とか必要ないだろ、俺たち」
「何言ってるの。結婚には必要でしょうよ、恋愛とかそういうの」
 絶対に叶わないと思っていた思いが、今更こんな風に返ってくるなんて、神様は随分イジワルだ。
「やっぱ要るのか、愛とか恋とか」
 全く変わらない。私よりも幼くて、何より女心がわからない、最悪の鈍感なやつ。ただ、私はテツくんに対して冷たくなりきれない。こんなふうに鈍感すぎるセリフも吐くのも、らしいと言えばそうだけど、彼にとって愛だの恋だのが永遠に封印されたのだとしたら、それには同情できるからだ。
「お墓には行ったの?」
 私はそっと、壊れそうな何かを置くように静かにテツくんの横顔に問うた。
 我慢していたのだけれど、ここでこんなことをいうのはフェアではないのかもしれないけれど、テツくんが先に仕掛けて来たとも言える。
「・・・いや」
 テツくんと仲の良かった佐竹くんが突然亡くなってから、5年になろうとしていた。
 地元企業に就職したのだけれど、出張が多く忙しくはしていたようだ。何が原因かははっきりは知らなくて、出張先のホテルで朝亡くなっていたのが発見されたという事実だけ伝え聞いた。
 確かに前日から体調が悪そうで、ホテルのサイドテーブルには強めの頭痛薬が置いてあったそうだ。翌日のチェックアウトにも姿を見せない佐竹くんの部屋に、上司とホテル担当者が入ったときにはすでに息がなかったそうだ。
 家族のショックも相当だったのだろう。知らせを聞いた時はもうすでに通夜も葬式も終わっていた。高校の同級生の中で連絡網が回り、当時のクラス委員が代表して花と線香を届けたと聞いた。おそらく水泳部でも何かしているはずだ。
「なんかいまだに信じられない」
 そう、私たちは佐竹くんの最後の顔を見ていない。葬式にも出ていない。だからまだ本当のこととは信じられない。
 彼を見た最後は、卒業後に一度だけ開かれた同窓会でだった。まだ日焼けした顔のまま現れて美味しそうにビールを飲み干していたその顔でしかない。スマホの写真を辿れば、その日のふざけた写真がたくさん出てくる。そこにいる佐竹くんが若くして亡くなったなんて冗談としか思えない。

恋、していた


「随分前に別れちゃったんだよね、あの自慢の彼女とは」
「あぁ、だな」
 強張った横顔が揺れたと思ったら、テツくんの目から涙がボロリと落ちる。
「そりゃあアイツ落ち込んでさ」
 震えた声が小さく響く。
「しばらく土日のたびにあいつ呼んで鍋とかたこ焼きとかやったんだよ」
 つられて私の視界も滲んでくる。こんな雑踏の中、涙を拭う私たちは別れ話の顔をしているだろうか。そんな親しみがあるとしたなら、それは隣同士の幼なじみである、というだけなのに。
「アイツ励まして、もうこれ以上どうすりゃいいんだって頃にさ、ようやく吹っ切れたみたいで、ありがと、本当にサンキューな、とか焼肉奢ってくれた。名勝苑だそ。めちゃ高くて二人で2万とかさ」
 名勝苑とは、ここらでは一番高級で高くて美味しくてそれはそれはとろけると評判の焼肉屋だ。記念日ぐらいでないとそうそういけない。
「でもさぁ、多分吹っ切ってなかったんじゃないかって、俺思うんだ。あいつあれから彼女とか恋人とか全然でさ。もしかして復縁とか元サヤとか期待してたんかもなぁ。俺なんかできたんじゃないのかな。彼女のとこ行って説得するとかさあ」
 そんなこと。
 テツくんがすることじゃない。そんな残酷なこと、しなくてもいい。私にはわかる、自分の気持ちなんて二の次で、何より佐竹くんの幸せを一番に願える、そういうやつなのだ。それ以上できることがあるだろうか。愛する人のために。
 私はいろいろ言いたいことがあったけれど、うまく言えそうになくて全て飲み込んだ。この苦しく胸にぎゅうぎゅうと押し込んでいく感じは、とても懐かしい青春の感触だ。
「やたら忙しい会社選んだのも、やけになってたんじゃないのか、もしかして彼女がいたらさ、もっと早くにそんな忙しい会社やめて、楽なとこにさ。楽でちゃんと稼げるとこに、さっさと転職してたのかもとか、考えちゃうよな」
 テツくんは苦しそうだけれど、次から次へと気持ちが溢れて仕方がない様子だった。きっと誰にも言えない気持ち、けど言いたかった気持ち、ぐっと抱え込んで苦しかったのだろう。
 私はテツくんの背中にそっと手を置く。これが慰めになると、私はよく知っている。
「わかってるんだよ、そんなこと考えたって仕方ないって。何もかも、もう遅いんだもんな」
 テツくんはボロボロと流れる涙をずっと手の甲で受けている。涙は皮膚を弾くのをとっくに諦めて、染み込んでいく分、余計悲しげに光る。私はハンカチを差し出したけれど、テツくんの涙は私の小さなそれではとても収まらないだろう。
「悪い、疲れてるとこ捕まえて、こんな泣き言聞かせて」
 テツくんはそれなりに気遣いを見せられるほどには大人になっていた。私はそれでも「いいよ別に」なんて物分かりのいいことは言えない。なぜってそれはテツくんだからだ。
「本当だよ。私の前だからって遠慮なく泣いたりして。人がジロジロ見てるよ。あのおじさん、いいとしして泣いてるよって」
「おじさんじゃねぇーし、オバさん」
「ふん、これじゃまるで私が別れ話切り出してるみたいじゃん。そんなに未練たらたらで泣いてたらモテないよ、おじさん」
「うるせぇ、そんな未練がましい男じゃねーし、オバサン」
「バーカ」
 テツくんは泣く相手を欲していた。だから帰ってきたなんて思わないけれど、一人暮らしの日々はじんわりと心を蝕んでいったのだろう。痩せて、日焼けを忘れた皮膚は長らく水を感じていないに違いない。あの頃の何もかもを、全て彼は奪われた。愛しい人とともに。
「ずーっと好きだったの?佐竹くんのこと。あれからずっと」
 時間が経過したから、あの頃とは違うから、私はさくっと最後にテツくんの気持ちに区切りをつけさせようと思う。
「好き、だったのかな。自覚するの避けてたんだよ、ずっと」
「知ってる」
「けどさ、一度だけそういうカップルっていうの?男同士で恋人って人と偶然絡むことがあってさ。そん時は結構ぶっちゃけちゃったな。不思議な人たちでさ。なんかこう、いろいろ素直に言えちゃうんだよ」
「へえ、ダブルデートとかしちゃったり?」
「バカ、デートじゃねぇし。でもまぁ4人で飲んだことはあったかな。イケメンのカップルでいい感じで」
 私は少しの間好きだった元同僚の瀬戸さんのことを思い出す。彼もまた男同士で同棲していることを公言していた人で、偶然噂の恋人といるところを見たりもした。お似合いの二人で、私の恋心もあっという間に終わりを告げたのだけれど。
 昔はテツくんと私には共通の思い出が多かった。むしろ別のエピソードを見つける方が難しかったくらいだ。でも今は、同じ場所にいても別々の時間がたくさんある。

告白


「あの人たちと一緒にいた時ぐらいだな、俺が正直に佐竹とのこと認めてたの」
「本人には?」
「言えるわけないだろ。ミクにだって言わなかっただろ、俺」
「そうだね、なんで?」
 今日くらいは、理由を聞いてもいいと思う。ずっと聞けなかったこと、聞かなかったこと。
「怖かったんだよな。それ認めちゃったら友達じゃいられないって思ってさ。結局好きだって思えたのあいつだけで、俺が今後好きになる人がいたとしてもそれが男か女かもわかんねーし、認めたらありきたりな気持ちで終わりそうでそれもシャクだったっていうか」
 テツくんの口調が思い出のものになりつつある。涙をこぼしてようやくスッキリしたのだろうか。
「一生に一度の恋、ってやつだったのかもね」
 この前会社の先輩駒井さんとも恋や結婚について話をした。私にはまだ本当の恋はやってきてないのかもしれないな、とそのときぼんやり思ったのだ。
「今後誰も好きにならないとか、すごい寂しいけど、冗談じゃなくありえるかもな」
 テツくんは苦しげにそう息を吐くと、最後のアイスコーヒーを飲み干す。
「そんなに一途だったなんて知らなかったなー。あんなに一緒にいたのにね」
 だから知る必要などないと思っていた。知らないことなどないと思い込んで、実はちゃんと見ようとしていなかったのかもしれない。
「あー、今になって泣くなんて。自分でも意外だよ」
「ちゃんと認めないからダメだったんだよ。今はすっかり、生っちろくて弱い少年テツくんに戻ってるよ。せっかく水泳部でたくましく化けたっていうのに」
 ふと目を丸くしてテツくんがこっちを見る。
「お前、久しぶりにテツくんって言うな。びっくりしてちょっとスンってなったよ、今」
「何そのスン、て」 
「スンは・・・スンだ」
「何それ」
 テツくんはカップの蓋をパカっと開けて、中の氷をガリガリと噛む。
「もう、帰るよ!」
 私は立ち上がってカップをゴミ箱に捨てる。いつの間にさらに人が増えて空席を探す人の視線があちこちに点在していた。
 私たちは多分、入ってきたときには別の空気をまとってここにいるはずだ。
 久しぶりで気恥ずかしさと時間が作った距離のあった私たちは、もうあの頃に戻っている。
 時間をギュッと押しつぶしたみたいに、時間に関係なくすぐに戻れる関係はいくつも持てるものではない。人は時間の中にではなく、距離感と言うふわふわした中にずっと漂って生きていくのだ。それしか現在(いま)を知る方法はない。
「四十になってもお互いいい相手いなかったら、結婚しようぜ。ミク」
 スタバの自動ドアを潜り抜ける時、不意に背後からテツくんがそう言ってくる。
「何それ、プロポーズ?」
「の、ようなもの?」
「バーカ。テツくんなんかに予約されてたまるか。私はまだまだ青春真っ最中なんだからね!」
「お前、青春って何歳までか知ってんのか?」
「年齢じゃないよ。青春は気持ちの問題!」
 私たちは同じ方向に足を進める。
 そう、私たちはこれからもずっと、お隣さんなのだ。
「俺だって、まだこれからなんだからな。お前に負けねーから!」
「言ってなよ、バーカ!」
 幸せになろうよ、お隣のテツくん。

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