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【小説】温かなカジツ〜ミントと恋5〜

連作小説「ミントと恋」のEP5。EP1〜4はマガジン「ミントと恋」にまとめてあります。
最新EPを一週間の限定無料公開。一週間後に次のEPが発表になります。
【これまでのEP】
1.ミントと毒薬
2.天使のナリワイ
3.スキの幻想
4.すぐトナリの境界

カミングアウト

「瀬戸さんって、いつもお弁当箱洗ってますよね」
 声に振り向くと、先日中途採用で総務部に配属された鈴鹿さんが立っていた。この時間だったら、まだ誰もいないだろうと思っていたけれど、時々こういう新参者が現れたりするから油断ならない。
「どうせ家でも洗うんだけどさ、こうやって軽くゆすいでおくと楽だから」
「そうですね、私もそっち派です」
 見ると鈴鹿さんもお弁当箱を手に立っている。
「入社してからずっと、コンビニ寄ったり、近くに食べに行ったりしてたんですけど、やっぱりお弁当が一番かなって」
 給湯室の小さな洗い場を鈴鹿さんに譲って、ボクは布巾を手にとってカゴに伏せた弁当箱を軽く拭き始める。
「自分で作ったの?」
 ボクはいつものように、定番の話に流れを持っていこうとする。
「はい。と言っても実家から通ってるんで母親が作った晩ご飯の残りとか、冷凍食品とかそんなんですけど」
「ボクは、パートナーが作ってくれるんだ」
「へえ、いいですね」
「彼はフリーターで、イタリアン居酒屋でバイトしてるから料理は結構得意なんだよ」
 
 ボクは、「彼は」のところを少しだけゆっくり強調するように発音する。

 ボクの経験上、この先大抵気まずい空気が流れて、二度とその手の話は振られなくなる。
「へぇ、そうなんですね」
 お。
 意外だった。ボクがこれまで聞いたどの「へぇ、そうなんですね」よりも自然だった。取り繕うでもなく、焦ってでもなく、そうとしか言えなかったのではなく、普通に相槌を打っているように聞こえた。
「料理上手なパートナーさんなんですね。羨ましいです」
 彼女は泡だてたスポンジを弁当箱にキュッキュッと押しつけて、丁寧に洗う。
「ボクも料理するの好きなんだけどね。バイト先の居酒屋で知り合ったから、彼とは」
 もしかして聞こえなかったのか、ともう一度「彼」を強調してみた。
「じゃあ大学時代からのお付き合いなんですね。いいですね、学生の時の付き合いって社会人になると微妙じゃないです?」
 初めてだった、ここまで話が進んだ相手は。
「鈴鹿さんって、兄弟いる?」
「え・・・いえ、いません。一人っ子です」
 ボクは丁寧に泡を落としている鈴鹿さんという女性の横顔をまじまじと見る。女性と付き合った経験がないわけではない。ただ、こんなにもちゃんと顔を見たいと思った女性はここ数年いなかった。
「いきなりごめん。でも今、結構普通に受け入れたから、ボクのパートナーのこと。もしかしてそういう、兄弟がいる、とかそんなんかなと思ったんだよね」
「近所に仲良しの幼なじみならいます。最近はちょっと疎遠だけど」
「その子がもしかして」
「んー、はっきり聞いたわけじゃないんですけどね」
 鈴鹿さんは水を切った弁当箱を遠慮がちにカゴに伏せた。何となく流れで、布巾を手にしていたボクが彼女の弁当箱を手に取ろうとした。
「あ、すみません。そんな」
 慌ててもう一枚の布巾を手に取る彼女に「あ、そういうの嫌な人だった?ごめん」と手を引っ込める。
「別にそんな神経質ではないです」
 苦笑いしながら、また丁寧な手つきで弁当箱を撫でるように拭く。彼女の手つきの一つ一つがすごくしなやかで好感が持てた。
「その幼なじみ君のこと、一時期もしかして好きだったかもしれなくて、どうすれば彼が好きな子以上に自分のこと見てくれるのかなって、真剣に考えてた時期があって」
「その子とは?」
「彼は大学生になって家を出ちゃったから、今はあんまり会う機会がないんです。バイト忙しいとかであんまり帰ってこないみたいだし。前みたいには会えないから、私的にもこう、落ち着いたっていうか」
 あ、すみません。私ばっかりべらべらと。鈴鹿さんは頬をほんのり赤くして、弁当箱をバタバタとバッグに詰めて給湯室を出て行った。
 へぇ、鈴鹿さんか。
 ボクは会社の人には誰一人として興味が持てなかったけれど、彼女だけは少し違うみたいだ。

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