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5.私の憧れの人物。「ミスターゼロ」何度でも前に進む男。荻野忠寛。

突然ですが、あなたは子供の頃などに、憧れた人物はいましたか?

人物と書くと何だか重苦しいですが、「あの人みたいになりたいなぁ」とか、「あの姿がカッコいいなぁ」みたいな感情は身近にあったのではないでしょうか。

私にもそんな憧れの存在がいました。

元千葉ロッテマリーンズの荻野忠寛選手です。

荻野選手は1982年生まれ、東京都は町田区出身の元プロ野球選手で、背番号は0。

そんな荻野選手は身長174cmから身体をダイナミックに使った投球フォームをみせ、その時代を彩った並いる強打者たちを打ち取る大活躍を魅せました。

どんな時も0点に抑えてベンチへ帰ってくるその姿は、当時の背番号である0番とかけて、「ミスターゼロ」の異名を取りました。

2007年から2009年にかけては3年連続で50試合以上に登板し、1年目には20ホールド、2年目には30セーブをあげるなど、素晴らしい成績を残されました。

しかし、荻野選手はプロ野球選手として現役を過ごした8シーズンのうち、シーズンを通して活躍したのは、このたった3シーズンだけなのです。

では、残りの5シーズンはどうしたのかといいますと、荻野選手は度重なる怪我に悩まされていました。

そんな荻野選手に何故、憧れを抱いたのかといいますと、子供ながらに、マウンド上で戦い続ける姿がとてもカッコよく映り、全身全霊で立ち向かっていく姿は、まるで綺麗な花火を見ているかのようでした。

私は当時、そんな荻野選手に憧れ野球を始めました。

しかし、荻野選手は本当に花火の如く、ある日突然、怪我の影響で、表舞台からパッと姿を消したのです。

私もその頃、中学生になっていました。

私は、当時、学校の野球部に所属していましたが、顧問の先生から、授業中に突然、罵られたり、グラウンドに来ただけで家に帰されたり、練習に参加しても見せしめのようにバットで体を殴られたりしました。

その指導はもはや愛のあるものではなく、理不尽で感情のままに与える体罰そのものでした。

私の心と身体はボロボロになっていました。

いつしか学校に行くこともなくなり、家に引きこもるような生活を送るようになりました。

朝、準備をする為に起きるのですが、不安に襲われ、震えと吐き気や異常な発汗に襲われ、家から外に出られないのです。

夜も眠れず、気がつくと窓から朝日がさし、夜が明けていることも何度もありました。

私はパニック障害を発病したのです。

そんな苦しい生活が半年ほど続いたある日、たまたま見ていたテレビ中継にて、ある光景を目にしました。

そこには、怪我でしばらく表舞台を離れていた荻野選手が、復帰をして、2年8ヶ月ぶりに一軍のマウンドに上がり、投球練習をしている姿が映っていました。

私は気がつくと、何か使命感に追われたように、テレビに食いついていました。

すると、荻野選手は怪我から復帰した、その試合で無失点に抑えて見事に復活を遂げたのです。

大きくふりかぶって再び打者相手に立ち向う背番号0番の姿をみて、私は何だか背後から何か強いものに打たれたような感覚になり、このままでは終わらせたくないと思うようになりました。

その次の日から私は、少しずつ家の外へ出てみることに挑戦しました。

しかし、すぐには、うまくはいきませんでした。

それでも、外に出られない時は、荻野選手がルーキーであった頃の登場曲、Good CharlotteのThe Riverを聴いて気持ちを奮い立たせ、それでも家から出られない日には、部屋にあったギターを持ってきて、練習をして、ギターを覚えたり、遅れていた勉強をしたり、何もしないという日が次第に少なくなりました。

私は確かに少しずつ前に進み始めました。

前述のとおり、荻野選手はその後も度重なる怪我に悩まされ続け、ついには球団から戦力外通告を受けてしまいますが、その直後、荻野選手の進路を追う番組にて、葛藤の中でも進み続け、新たな道へと挑戦する姿に幾度と勇気づけられました。

そして、私も次第に回復をし、その頃には、私に体罰を与えていた顧問の先生は、他の生徒から事実がバレて学校側から処分となり、私も晴れてグラウンドにも帰ってくることができました。

その後、荻野選手はアマチュア時代の古巣である、日立製作所野球部にて現役生活を終えました。

荻野選手は、それからも学生野球資格の回復をしたり、YouTubeなどのメディアにて、現状の報告や元気な姿を見るたびに、今でも勇気づけられます。

こうして、私も今は世界へ1人で旅に出られるようになったり、文章を発信する勇気が持てたり、かつてライブ活動を始めるきっかけになったり、何より今でも野球が好きでいられるのは間違いなく、荻野選手が背中を見せてくれたおかげであると思っています。

今となってはファンレターなどを送ることは難しいでしょうが、何かの縁で届いたらいいなと思います。

私にとって憧れの人物、それは何度、壁にぶつかっても前に進み続け、今もなお、輝き続ける「ミスターゼロ」が教えてくれたその背中でした。

ではでは。

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