マガジン

  • 各駅停車

    小さい頃、祖父がたくさん教えてくれた電車や駅。私にとってその多くが記憶のとまる場所であった。来た一本からあちこちにのびて行く線路の数々をここからもゆっくりと各駅停車で向かうのだろう。

  • 大学note

    大学生活の記録

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仙台駅の待合室

 仙台駅の西口から改札を通ると、すぐ左手に待合室がある。  入ると、すぐ左のカウンターには既に人がびっしりと腰かけている。中央に並ぶ病院にあるような椅子もいっぱいだった。二十三時半をまわった頃、ほとんどがスーツ姿であった。  二席ほど空いていた窓ガラス沿いの椅子に腰かけた。  ふとあるものが目につく。右斜め先、入り口との対面に位置したところにテレビが一つ拵えてある。堅苦しさの中に陽気を感じた。  バイトで通っていた居酒屋があった。その店はパンデミックの煽りでつぶれた。以

    • 新宿駅の地図

       2019年10月、私は初めて一人新宿駅に降り立った。  バスタ新宿で降車し、いつものポケモンの札が付いたキャリーケースの取手を握る。すると間もなく、金属を加工している最中のようなにおいがする。   東京だ、そう体が実感した。   降車後はすぐ近くのエスカレーターに乗り一階の改札前まで下るのだが、初めてで当然右も左もわからない。まずは地図を探した。  田舎者特有の「田舎者だと思われたくない」精神、当然私にも備わっていたのだが、なぜか地図を見るという行為は、その発動条件

      • 新庄駅とゆめ

         奥羽本線の扉が開いた。まだ夢の中にいるようだった。  小さな吹雪が車内に迷い込んできて微笑みながらあちこちに散っている。目を覚ました僕は入れ替わるように降車した。  新幹線の終点とはいえ、この駅に自動改札はない。学ランの右ポケットに入れてある学生手帳、その裏に定期券が挟んである。それを駅員に見せることでパスできる。「こういうものです」といった感じでまさに刑事のように見せる。(どういう顔をして見せればよかったのか今でもわからない。)駅員も定期券を見ることには大層慣れている

        • のろい

           小さい頃よく「のろい」と言われていた。  行動が遅いという意味だ。ショッピングモールで車から降りるのがいちばん遅かった。部活動でどれだけ早く着替え、準備を終えたつもりでも、グラウンドに着くのは後ろから数えたほうが早かった。そしてそれを「できないヤツ」とはっきり分類し、矯正しようとされていたことを覚えている。  「のろい」という言葉が僕にとっては本当に「呪い」のように思え、早くしろと言われるほど余計に身体が重くなった。  僕が時間という呪いから免れる場所があった。  それが

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          居間

           冬の静まった居間はいつもあたたかい。それは時間が経てば熱気に変わるので、一時的に戸を開けてはみたものの、一瞬で居間の熱気を凍り付かせてしまうので、その不器用さにはつくづく呆気にとられる。故に私はそのまま炬燵から身を出すことはできないのだ。下半身を殻に閉じ込め、歳末のテレヴィに目を遣ると再放送の番組が番組表を埋め尽くしている。  居間は八畳ほどの広さではあるが、中央には畳一枚ほどの大きな炬燵が置いてあり、壁にかかった二十枚の写真や、そこらに雑多にまとめてある新聞や電子機器、

          さいごの通信

           あの出来事を知って衝撃を受けたのは無論、私も同じでした。最初に聞いたのは父からの連絡でした。  とりわけ私の家族とも顔見知っていた間柄だったので、殊に出来事が身近に感じられました。なんだかその光景がありありと思い浮かんでくるような気がして、身の毛がよだつほど震撼したのを覚えています。しかしながらその時私は、震撼と同時に奥底では至って冷静で、その冷静さが妙に奇怪で、何よりも不謹慎なのではないだろうかと思うほどでした。  高校時代に遡るのですが、人となりを思い出すと、ことに

          さいごの通信

          老人と烏

           弘前公園の追手門通りはひっそりと静まり返っていた。九月の下旬、夕方のことであった。  濠の並木はまだ紅葉を迎えるにはまだ早く、そのほとんどが緑で身を覆っている。無数に伸びている枝は取ってつけたように脆く見え、木に登り体を預ければすぐ折れ切ってしまいそうだった。自動車が忙しなく往来し音を鳴らすも、それも街の音として還元されるので恐れることもない。  小さな子どもが心無しか白線を意識しながら舞っていたたが、何を言っているのかは聞き取れず、ある一種の動物の鳴き声として耳に入った。

          老人と烏

          エゴイズム(エッセイ)

           私はその日、3つのエゴイズムを見た。市バスに乗っていた時のことである 1.母と2人の子  私が利用するものは、右回りと左回りとで2つの経路がある。どちらがどうという変わりはなく、たまたまその日乗り合わせたのが左回りの経路であった。左回りであれば、住宅街を通るので、サラリーマンや子連れが多く利用するようだ。  バスは始発の駅を出、3つ目のバス停にとまり、そこへ母と子ども2人が乗ってきた。子どものほうは6歳ぐらいの姉と3歳ぐらいの弟である。  私は後部から一列前の右側の席

          エゴイズム(エッセイ)

          暇あらず【エッセイ】

           私は遠出をしていた。  家から一里ほど離れた丘の上に大きなショッピングエリアがある。洋服屋、飲食店、スーパー、ホームセンターまで立ち構えており、ひとまず立ち寄ればある程度の暇を満たすことができる。  久しくマクドナルドへ立ち寄った。  私の目の前に1人の男がいた。着古したグレーのパーカーに裾上げの為されていないダボダボのジーンズ、靴はよく覚えていない、メガネをかけていた。年齢でいうと31歳ぐらいであろうか。出番が訪れるとしゃくり上がった口調で淡々と注文をしているようだった

          暇あらず【エッセイ】

          冬の田園【エッセイ】

           まだ夜気を残した朝は霞がかっていた。その霞は向こうの林の頭を、油絵の具を塗りたくったように輪郭をぼかし、それがまた恐ろしさを引き立てていた。あたり一面には田圃が敷かれているが、もう稲は全て刈り取られていて、役割を終えていた。私がその時目にした一帯の風景は殺伐と呼ぶのがふさわしいだろうが、しかしながらその枯れ果て朽ちる草木を見ていると不思議と安堵した心持ちを受けるのだ。田は何年も何年も同じようなサイクルを以て苗を育てては稲穂をめぐらしまた朽ちるという円環の理の中に生きているの

          冬の田園【エッセイ】

          それを見たのは偶然だった。冷え症である故、日が短くなり寒さが堪える季節になると、おのずからホットドリンクコーナーに足が向いてしまう。その時私が見たのは青いエメマンの缶であった。不思議と安心感を覚えた。まるでショッピングモールではぐれ、焦りかける鼓動の中、家族を見つけたような感覚であった。 幼少期、実家では米とニラの栽培を主とし、農業を営んでいた。住まいから2・3町(200mほど)離れた場所に作業小屋があり、しばしば私と弟は小学校から下校すると自転車を引っ張り出し一目散に小屋

          なつやすみのしゅくだい

          遡ること約15年の話である。私は小学1年生であった。 夏休みという一大行事にどんな感情を抱いたのかはもう覚えていない。ただ、眠い目をこすりながら毎日行ったラジオ体操、それを終え家に帰ると、朝飯が据えてあった。首から下げたカードとともに腰を下ろし、網戸のほうを見ると、簾越しに水をやったばかりのアサガオが見え、そのにおいを載せた風が茶の間を通り抜け、俄かに夏を感じた。あの感覚だけは今でも覚えている。 部屋をかえると、「なつやすみのしゅくだい」と書かれたやや厚い角型2号の封筒が

          なつやすみのしゅくだい