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なつやすみのしゅくだい

遡ること約15年の話である。私は小学1年生であった。

夏休みという一大行事にどんな感情を抱いたのかはもう覚えていない。ただ、眠い目をこすりながら毎日行ったラジオ体操、それを終え家に帰ると、朝飯が据えてあった。首から下げたカードとともに腰を下ろし、網戸のほうを見ると、簾越しに水をやったばかりのアサガオが見え、そのにおいを載せた風が茶の間を通り抜け、俄かに夏を感じた。あの感覚だけは今でも覚えている。

部屋をかえると、「なつやすみのしゅくだい」と書かれたやや厚い角型2号の封筒が初々しさを帯びて勉強机の上に置かれていた。

私は不意に読書感想文の存在を思い出した。


そして2021年はもう9月になった。私はミュウジックを聴いていた。

「午後の蒸せるような気配も 懐かしくなるはず」

ジェニーハイの『夏嵐』という曲だった。記憶はその曲によって想起させられたのだった。


小学1年生のなつやすみに書いた読書感想文をはっきりと覚えている。『ぼくのパパはおおおとこ』という洋書であった。その「パパ」が自分の父親と似通っている部分を見つけ、選んだ本だったようだ。そして何よりもその感想文のタイトルが実に秀逸であった。

「ぼくのパパもおおおとこ」

今になっても名作であったと思えるほどの創造だった。(内容はもうはっきりと覚えていないが、ひたすら登場人物を父親と自分に置き換えたものだった。)

そしてその読書感想文は案の定、校内にとどまらず地域規模の賞を受賞した。

しかし、幼少ながら私はとても複雑な気持ちを覚えた。なぜならタイトル含めそれら感想文はほとんどは母親が考えたからだ。ほぼ「ゴーストライター」だった。


追憶も束の間で、2021年の夏休みは残り1日となった。毎日たくさんの宿題に追われている。(そう思い込んでいるだけかもしれないが。)だが、夏休みの宿題は夏休みでしかない。

取りこぼしはないか、はたまたあと一日で済ませられるのだろうか、嗚呼、願わくは夏休みをあと一日でも伸ばしたい、とも思うだろうか。

最終日というのはどうしてこうも気が気でないのだろうか。

#夏休みの宿題 #夏嵐 #夏休み #夏休みの思い出

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